隠し事 -1-

俺達は、信玄に促されて広間へ入って腰を落ち着けた。
遙は上座は落ち着かないと、小十郎の隣りの末席に着き、ほとんど倒れそうなほど真っ青な顔をして、それでも背筋を伸ばしてきちんと正座をしていた。
信玄との話合いはさっさと終わらせて、すぐに宿に帰るか、無理なら伊達と猿飛の忍に警護された部屋ですぐに遙を休ませなければ、心配でたまらない。

俺は、心配と焦りで、少しイラつきながら信玄の言葉を待った。
俺達の復讐劇は終わったが、あの馬鹿共の処遇を聞くまで納得が行かない。
信玄は、先ほどから感動したように、遙と俺をゆっくりと交互に見遣っては、満足そうに顎をさすり、笑みを深めていた。

「信玄、首尾よく事が運んだ。感謝してるぜ。真田幸村の屈服した、あの屈辱に満ちた顔を見たらすっきりしたぜ。俺にはあれでも生温いくらいだが、あれ以上は遙が許してくれねぇしな」
「遙が、か…。そなた、それほどまでに遙に惚れ込んで、己の欲求を抑えるとは、誠、天晴れなり。それに比べて幸村の煮え切らぬ、情けない事よ…。佐助から、幸村に遙が酷く傷付けられたとは聞いてはいたが、まさかあのような事までしていたとは、情けなさを通り越して、この武田信玄も許してはおけぬ。斬首を申し渡しても良いくらいだが、それでは遙が許さぬのであろうな…」
「はい…。憎くて悔しくてたまりませんでしたが、それで人に死んで欲しいとは思いません。職業柄でもありますが…私は人の命を救うためにこの手を穢しても、人の命を奪うために穢したいとは思いません。ひと時の感情で、例え死を願っても、きっと後で後悔します。幸村も姫様も互いに信じ合い、深い絆で結ばれて幸せになれば救われると思います。お館様、お二人の婚儀はお許しにならないのですか?」

遙は懇願するように信玄を見つめたが、信玄は厳しい表情で首を横に振った。

「姫のあの目付き、それから幸村もじゃ。目の色が濁っておる。良からぬ事をこの後に及んでまだ考えているとは、けしからん。性根を叩き直し、己のすべき事は一体何か、あの二人が悟り、共に手を取り合って、この武田信玄に願い出るまで、わしは白を切るつもりじゃ」
「白を切るって事は、相変わらずあの姫を俺に嫁がせる振りをするって事か?」
「政宗公と遙の絆を見た今、それは流石に気が引けるのう。他の手を考えるつもりじゃ。尼寺にでも放り込むと、そう仕向けるのが良かろう」
「ああ、その方が助かるぜ。あの姫と関わるのはもう御免だぜ」
「分かっておる。本当にすまなんだ…。遙のような繊細なおなごにあのような振る舞いをさせてしもうた。さぞや政宗公も辛かったであろう。愛する妻を、幸村にあのように傷付けられたとあっては、その姿を見るだけでも、怒りが沸いて当然よ。それを、二人ともぐっと怒りを堪え、あのように二人とも命を落とさず、怪我もせず、更に姫の命まで救われるとは思わなんだ…。誠、面目ない。そして、感謝してもしきれぬ。そなたらこそ、理想の夫婦よ。それも、天下人として相応しき夫婦じゃ!この武田信玄、ここまで感動した事は今までにない。それほどまでに、誠、素晴らしい復讐劇であった!」

信玄は、感極まったように目に涙を浮かべて、頷いた。

「俺達は、そろそろ引き上げる。遙の身体が心配だ。あの二人の処遇は、今後は信玄に任せた。それから、猿飛が言ってた、あんたが後ろ盾になるって何だ?それを聞いてから、江戸へ帰る」
「そうであったな。早く江戸へ帰り、妻を愛でたいであろうな。では、単刀直入に申す。わしは…」

信玄がそう言いかけた瞬間、廊下が騒がしくなって、猛スピードで足音が聞こえて来たと思ったら、障子が勢いよく開けられ、そこには目を蘭々と光らせた、あのバカ姫が立っていた。
信玄は、呆気に取られたように目を見開き、次の瞬間、雷を落とすように一喝した。

「馬鹿者!!よく、おめおめとここに姿を現しおって!!下がれ!!もしくは、ここで二人に頭を下げて詫びよっ!!」

姫はビクッと肩を震わせた後、決心したように俺の前に小走りに走った。
そのまま、前に控えて頭を下げるつもりか…?と思ったら、そのまま、姫は体当たりするように俺に抱き付いて、俺は一瞬頭が真っ白になった。

「政宗様っ!!てめぇ、政宗様から離れやがれっ!!」

小十郎の怒鳴り声で我に返って突き飛ばそうとした瞬間、姫は、俺の首にしがみつき、いきなりディープキスをして、俺はまたほんの一瞬固まった後、唇が穢されたような心地で気分が悪くなり、姫を突き飛ばした。

「遙様っ!?お待ち下さい!!」

姫が身体からようやく離れ、視野が確保された時には、遙はもう視界のすみから消えるように部屋を飛び出して、廊下を走り去って行く所だった。

「Shit!!てめぇ、覚えてやがれっ!!」

俺は、精一杯の怒りを込めて姫を睨みつけると、すぐに遙の後を追った。
遙は廊下を全力疾走していた。
俺も全力で走り、遙に追い付くと腕を掴んで振り向かせた。
遙の頬は涙で濡れていて、遙は嫌がるように顔を背けた。
俺は、その顎を掴み、遙の唇と重ねる寸前、押し殺した声で囁いた。

「俺を拒むな、絶対に。そんなの絶対許さねぇ!!胸くそ悪くて仕方ねぇ!今、すぐ、消毒させろ」

言うなり、遙にディープキスをして、何度も何度も舌を絡めては、軽く吸い上げるようなキスを繰り返すうちに、遙の足からかくんと力が抜けて、俺は遙を抱き上げた。

「ヤダ、政宗、ヤダ!姫様に会いたくない!」
「いいから、黙ってろ」

俺の腕の中で精一杯暴れる遙を抱き上げたまま、俺は信玄の待つ広間へ向かった。

…遙ってこんなに軽かったか…?
抵抗する力もこんなに弱かったか…?

それが、何か、とても不吉な予感をさせて仕方なくて、早く甲斐を離れたくて仕方ない。
さっさとあのバカ姫にケリをつけて、信玄との会談を終わらせて撤収だ。

広間へ戻ると、姫は勝気な表情で俺達を冷ややかに見つめていた。
俺は、遙を降ろし、また姫にわざと聞こえるように悪態を吐いた。

「この世で一番ムカつく女の唇の感触なんて、胸くそ悪くて仕方ねぇ!遙、たっぷりと消毒させろ。もう一度な」

そして、信玄も小十郎もいるのに構わず、抵抗する遙を無理矢理に抱き締めて、深いキスを何度もまた繰り返した。
たっぷり3分ほど繰り返すと、ようやく満足して、唇を離すと遙は潤み切った目で俺を見上げた。

「続きは後でな」

遙の髪をそっと何度か撫でて、俺は姫をまた睨みつけた。
姫は一瞬怯んだような表情を浮かべた後に、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「気が変わったの。父上の言う通り、私、政宗様に嫁ぐ事に決めたの。幸村の後朝の歌はただの真似事。私、まだ幸村に最後まで抱かれてないもの。伊達に武田の血筋が加われば、伊達は名実共に最高の家柄になるし、そんな姫、私しかいないわ!遙は、当然、側室止まりに決まってるし。政宗様だって、正室が必要でしょ?だから、嫁いであげる。さっきのはその誓いの接吻よ!」

こいつは、どこまでバカなんだと、頭を抱えたくなった。
自分が一番の血筋だって、無知にもほどがある。
養子縁組さえすれば、遙の家柄に敵う女なんていなくなる。
それすら頭が回らないなんて、マジでバカだ。

俺は、不覚にも唇を奪われた怒りで、ふと妙案が浮かんだ。
もう一度、めっためたにこの女の鼻っ柱を折ってやる!

「ああ、いいぜ。あんたを娶ってやるよ」
「やった!!」
「政宗様っ!?」
「政宗公!?」

遙はまた逃げ出そうとしたが、がっちりと押さえ込んで、キツくキツく抱き締めた。

「その言葉、二言はねぇな?」
「もちろんよ!」
「なら、決まりだな。あんたは俺が娶ってやる。ただし!!正室は遙だ。あんたは側室だな。真田幸村に中途半端に抱かれた女を娶ってやる慈悲深い男なんて俺くらいだぜ?」
「遙が正室!?そ、そんな…!!ただの医者じゃない!!そんなの世間が認めないわっ!」
「認めさせてやるよ、帝に願い出てな。遙は式部卿宮の養女になる。位は二位か従二位だな。無冠のあんたは当然側室止まりだ。娶ってはやるが、俺が愛して抱くのは遙だけだぜ?毎晩でも昼間でも、世継ぎが生まれるまで、遙だけを抱く。もちろん世継ぎが生まれた後も同じだな。あんたの事は、城の奥に、何不自由なく囲ってやるから感謝しろよ。尼寺よりずっとマシだぜ?二言はない約束だから、これで決まりだな。いいな?」
「そ、そんな…」
「信玄、異存は?」
「うむ。政宗公の広いお心に感謝の気持ちしか沸かぬ。姫、お主、よくぞ決断をした。褒めて使わす」

姫は、雷に打たれたように固まり、泣き崩れた。

「今は大事な話の最中だ。こいつを下がらせろ」
「政宗様、申し訳ございません!」

姫付きの侍女が、二人がかりで姫を抱えるようにして下がって行って、ようやく俺は一息吐いた。
遙は、不安そうに俺を見上げていた。
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