政宗殿と遙の恋は、ロミオとジュリエットのように実らないものだったのかと思うと、悲しくて仕方ない。
遙は、あんなに辛い目に遭いながら、やっと政宗殿に巡り合えたのに、一緒に過ごせたのはたった一週間。
これから幸せになれるはずの二人だったのに、それが遙の死で幕を閉じるなんて思ってもみなかった。
それに…。
俺は、本当に、本当に遙が好きでたまらなかった。
今まで、誰も愛した事はなかった俺が、唯一愛してしまった女の子だから。
俺の恋は実らないのは分かってた。
だから、遙の幸せだけが、俺の願いで希望の光だった。
政宗殿と一緒にいる遙は、誰よりも輝いて見えて、政宗殿も遙をいつも愛しげに見つめていて、二人を見ているだけで、俺もなんだか幸せな気持ちになっていた。
なのに、こんな終わり方ってないよ…。
でも……。
遙が言ってた、『遙の世界の医者』さえ見つかれば、遙を治す事が出来る…。
甲斐で起こっている神隠しは収束したとはいえ、その間に、遙の世界から来た医者だって全国を探せばいるかも知れない。
今の武田の状態だったら、政宗殿の黒脛組と俺の忍隊と共同で何とか探し出せるかも知れない。
いるかどうかも分からない、雲を掴むような探索だけど、それで遙が救えるのならば、どんな手でも尽くしてあげたい。
今の政宗殿は、ショックのあまり、まだこの計画を話せる状態じゃない。
話すなら右目の旦那だ。
俺は、声を殺して泣いている、右目の旦那に声をかけようとした。
その時の事だった。
にわかに、屋敷の奥庭から異質な気配を感じて俺は顔を上げた。
すぐに武田の兵に囲まれたのか、遠くから喧騒が聞こえる。
そう、その気配の現れ方は、俺の掴んだ遙の現れ方ととてもよく似ていた。
それが医者なのか分からない。
それでも、遙の世界の人間ならば、少なくとも俺達よりも、遙の状態を正確に把握出来るかも知れない。
俺は、一縷の望みを賭けて部屋を飛び出し、騒ぎの起こっている庭へと駆け出した。
遠目に見える、武田の兵に囲まれた人物は、遙と同い年くらいの女の子で、何か焦ったように喚いていた。
そこに焔がすっと現れ、武田の兵達は、焔に道を開けた。
段々と声がはっきり聞こえて来た所で、その女の子が何を話しているのか、ようやく聞こえて来た。
「何度言ったら分かるの!?確かに私は不審者だけど、この屋敷に用があるの!!政宗に会わせてよっ!!」
「政宗様をどなたと心得ると何度言ったら分かるんだ、この不躾な女め!」
「止めろ。俺が話す」
「焔、佐助の右腕だからと言ってつけあがるな!」
「俺は今、政宗様にお仕えしている。この方が政宗様との目通りを希望しているのなら、話を聞くのが筋。お館様へのご報告は好きにしろ」
「チッ…政宗様にお仕えか…。……好きにしろ」
「言われなくてもそうするさ」
「わぁっ!!超イケメン!声も渋い!けど、誰?」
「焔と申します。佐助様にお仕えしております。その鞄……色違いではございますが……遙様と同じ物と見受けられますが、違いますか?もう一つの大きな鞄も」
何だって!?
遙と同じ鞄!?
もしかして、医者なの!?
「佐助の部下!?遙の事、知ってるの!?ねぇ、お願い!!一刻も早く、遙に会わせて!!多分なんだけど、遙は私の助けを必要としてるから!!」
「遙様が…?」
えええっ!?
遙の知り合い!?
しかも、遙を助けに来たの!?
「ちょっと、みんな、下がって!!その子の話、詳しく聞きたいから!!お館様には、遙を治せる医者が現れたって報告!いいねっ!?」
「遙…あの天下人が片時も離さない医者の事か!!さすれば、お館様へご報告せねばならぬな!承知した!あとは、佐助、頼んだ!」
俺がそう叫ぶように言うと、兵士達は、素早くお館様への下へと向かって行った。
俺が姿を現すと、その子はハッとしたように目を瞠った。
焔の言う通り、その子は遙と色違いの鞄を持っていた。
遙と同じ、医者の可能性は高い!
俺は、一筋の希望の光に縋るように彼女に尋ねた。
「君の名前、聞かせてくれる?遙を知ってるの?遙とはどういう関係?」
「私は、藤原美紀。遙とは大学時代からの親友で、遙と同じ医者だよ。政宗とも7年前に会ってる。遙の危機なんでしょ!?私はそのために呼ばれたの。遙に早く会わせて!!」
美紀…遙の話してた親友の名前だ!!
間違いなく、遙の世界の医者だ!!
俺は、安堵のあまり、思わず膝から崩れ落ちた。
それを慌てて焔が支えた。
「佐助様、いかがなされましたか?遙様の身に何か!?労咳ならば、遙様ご自身で治せるのではございませんか?」
「遙は労咳じゃない。今、遙は自分一人では治せない病にかかってる。さっきも吐血してた。余命2ヶ月足らずだって遙自身からさっき聞かされたばかりで、遙と同じ技術を持った医者を探しに行こうと思ってたんだ」
「遙様が!?何という事だ!!」
「ねぇ、美紀ちゃん、俺と今すぐ来て!遙を助けて!!お願い!!」
「分かってるよ、佐助!早く案内して!」
俺は、美紀を抱き上げ、屋敷の奥へと飛んで行った。
「わぁお、流石、忍者!!それに佐助ったら大胆!」
美紀は、俺の腕の中ではしゃいだ。
…俺、こんなに軽くないつもりだけど、確かに俺にちょっと似てるかも…。
だから、遙は、俺を男として全然意識しなかったのね…。
部屋の前の庭に美紀を降ろすと、美紀は声を張り上げた。
「政宗っ!政宗っ!!遙に会わせて!!美紀だよっ!!遙を助けに来たよっ!!」
その瞬間、スパーンと障子が開き、政宗殿は、涙で頬を濡らしたまま、驚いたように美紀を見つめた。
「美紀じゃねぇか!!頼む!!遙を助けてくれっ!!」
「政宗様っ!?そのように馴れ馴れしく、お名前を呼ばわれるのはいかがなものかと…っ!?…貴女は…!!政宗様と遙様のお写真を撮った、遙様のご友人ではありませんか!!」
「わあっ!小十郎、イケメン、美声、胸キュン!!…なんて言ってる場合じゃなかった!遙に会わせて!」
「この部屋の中だ。上がってくれ」
「もちろん!」
美紀は、いそいそと履物を脱いで、部屋に大股に入って行き、俺も急いで後を追った。
布団の中で、苦しそうに寝汗をかいていた遙が、美紀と目が合うと、驚いたように目を見開いた。
「嘘…。美紀なの…?もしかして、援軍って美紀の事だったの?もう会えないし、私の事、忘れちゃったと思ってた…」
遙がポロポロと涙を流すと、美紀も遙のそばに跪き、遙の華奢な手をそっと握って涙を浮かべた。
「いくら記憶を消されたからって、遙の事を忘れちゃってゴメンね…。でも、何かが足りなくて寂しい日常だったよ…。きっと、遙が足りなかったんだね。もう、全部思い出したから大丈夫。政宗と遙の一夏の恋の事も、私と遙の出会いの事も、何もかも全部思い出したよ。それから、遙が私の助けを必要としてるから、私はここに呼ばれたの」
「記憶を消された?どういう事だ?」
政宗殿が訝しげに尋ねると、美紀はぴしゃりと遮った。
「今は、遙の治療の方が大事!!遙は余命2ヶ月って言ってたみたいだけど、下手したら、ここ一週間が山場なんだから!胃、あるいは十二指腸の穿孔で、腹膜炎かもしくは敗血症にでもなったら、緊急手術。敗血症になったら、本当に急いでも間に合わないかも知れないんだから!保っても3日が限度!遙の最悪の想定のスキルス胃がんだったら、確かに余命2ヶ月、治療もほぼ不可能なのは確かだけどさ」
「何だって!?3日だと!?」
政宗殿は目を見開いて、そのまま膝から崩れ落ちた。
遙も驚いたように目を瞠った。
「何で、私の病気の事、そこまで知ってるの?」
「それを聞かされてから、ここに呼ばれたの。ある程度知ってるつもりだけど、一応セオリー通り問診から始めるよ」
美紀は、遙が持っているのと同じ、鉄の板を取り出した。
その板には保護するカバーが付いていて、カバーに不思議な凹凸とそこにはアルファベットが書いてあった。
「あ!キーボード付きのiPad、いいなー。電子カルテになるんだね」
「遙、今、そこに感心してる場合じゃないから!んもう!はい、じゃあ始めるよ。吐血の色と、吐血の回数と時期から」
「吐血の色は茶色。臭いと味から、上部消化器官の潰瘍で間違いなし。回数は、きちんと記録はしてないけど、始まったのは8日前から。その頃の頻度は一日一度程度だったけど、その後、頻度は増していって、最大で一日4回」
「はぁ…そんなに吐血してたら、嫌な感じがするな…。でも、遙なら、吐血した段階で服薬したでしょ?服薬を始めたのはいつ?」
「ううっ…薬すら受け付けないくらいショック受けてたから、出遅れちゃった…。プロトンポンプ阻害剤をここ3日。でも、吐血が治まらなくて、潰瘍ならクリッピング、ガンなら、胃の摘出まで必要だと思うんだけど、一人じゃ出来ないから死んじゃうかと思ったよ…」
「薬を受け付けないくらいのショックね…。その話は後でね。H2ブロッカーとの併用は?」
「してない。よくよく考えたら、眠ってる間に胃酸の分泌を抑えるのはH2ブロッカーだよね。それに、抗不安剤飲んでたから、粘膜保護剤を飲むべきだったのに、すっかり忘れてた。ううっ…医者失格だよ…」
遙は情けなさそうに涙を浮かべて、美紀に甘えるようにしくしくと泣き出した。
美紀は、優しく遙の髪を何度か撫でて、遙を落ち着かせた。
「抗不安剤…か。遙らしくないな。よっぽどの事があったんだね。それがストレッサーと考えて間違いなさそうだね。分かった。食事は?」
遙は気まずそうに、顔を背けて口を噤んだ。
美紀は溜息を吐いて、呆れたように言った。
「あのねぇ、遙。医者がこんな場面で黙秘なんてしないの!はぁ…食べてなかったんだね。どれくらい食べてなかったのか、どんな環境下にいたのか教えてよ。誰でもいいからさ」
遙は相変わらず顔を背けたまま、口を噤んでいる。
俺の口から全てを話すのは気が引けるけど、甲斐での遙の事は、俺が一番よく知っている。
俺は恐る恐る小さく挙手した。
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