それを見ているうちに退屈したのか、政宗殿は、右目の旦那に向き直り、鋭い視線で右目の旦那に問いかけた。
「小十郎、まだ手間取りそうだから、今のうちに報告だ。信玄の真意についてな。あくまで武田の人間を俺に嫁がせるつもりなのかどうか。今回、俺は信玄の懐の深さを知ったつもりだから、解せねぇ。そんな俗人めいた事を言い出したのには驚いたし、ショックだったが、よくよく考えたら、『後ろ盾』だからな」
「はっ!政宗様のおっしゃる通りでございます。信玄公は、すでに政宗様と同じお考えをしておりました。あくまで大名の娘を妻に迎えるならば、縁談騒ぎは今後も収まらないはずだと。しかし、公卿の娘として養子縁組をすると、ますます藤原摂関家の再興だと公卿達が色めき立ち、今度は公卿達がこぞって娘の縁談を政宗様に持ちかける事になります」
「やっぱりな。だから、公卿との養子縁組は嫌な予感がしたんだ」
「左様でございましたか。信玄公曰く、そうなると、宮家との養子縁組しかないとの事。正直、この小十郎も公卿達の娘までは考えが及びませんでしたが、信玄公は見抜いておられました。式部卿宮ならば、今上帝と程よい血筋の繋がりだと、政宗様の策に感心しておられました。信玄公は別の宮家をお考えでしたが、いずれにせよ、平民とも言える遙様の宮家との養子縁組はかなり困難でございます。いくら足利家の養女となっても、所詮は養女。帝のお許しが簡単には出ないであろうとの事。それならば、信玄公が、諏訪の姫君略奪の折に、遙様がお生まれになって、乳母に預けて今まで匿われていた、紛れもない信玄公の実の娘にした方が有利との事です。諏訪の姫君は、信玄公の妻の中では格下ではございますが、略奪の折にお生まれになったとすれば、最も怪しまれません。源姓は、皇子様が臣下に下る時に賜る姓。武田は名門の源氏ですから、遠い昔とはいえ、帝の血筋でございます。宮家との養子縁組にはこの上ない後ろ盾です。信玄公の実子からの養子縁組ならば、きっと上手く行くだろうというのが信玄公の真意で、政宗様にお詫びするには、この一手が信玄公に出来る最大の礼だとおっしゃいました」
政宗殿は、目を瞠って驚き、そして深い溜息を吐いて額に手を当てた。
「早とちりしちまったぜ。あくまで武田の人間として嫁がせるつもりだってな。信玄はそこまで考えての上で、遙を実の子だと公表するつもりだったのか。ったく、武田の人間って、何であんなに突っ走って結論から物を言うんだ?遙も、それで驚いて吐血したんだろ、きっと。だから、娘もいきなり行動から突っ走るように育っちまうんだ、ったく!!」
……そこを突かれると痛いよ、政宗殿。
お館様も真田幸村も、やる事がいきなり過ぎるし、物を言うのも単刀直入過ぎるんだよね…。
右目の旦那は堪え切れないようにくつくつと笑った。
「全く同感です。信玄公には、一応、今回の件に関しまして、政宗様は誤解してらっしゃると釘をさして参りました」
「Thanks, 小十郎」
「良かった…。甲斐に骨を埋めるんじゃないかって怖くなって、また吐血しちゃったんだけど、そうじゃないんだ…。良かったよ…。私も最後までちゃんと聞けば良かった…」
「遙、お前は悪くねぇよ。それにさっき、吐血は今に始まった事じゃねぇって言ってただろ?だから、今はとにかく身体を治せ。おい、美紀!準備はまだか?」
美紀は、丁度点滴の袋を三脚の上に吊るしている所だった。
「もう、いつでも出来るよ。遙、そのバッグの中からiPadとレポート用紙、出してもいい?」
「いいよ」
「サンキュ!」
美紀は、遙のバッグからiPadとレポート用紙、それからクリップ付きのレポート用紙の下敷きを取り出し、白衣のポケットからペンを抜くと、遙に手渡した。
遙はそれを脇に置くと、政宗殿を振り向いた。
「政宗、これから喉の麻酔をするの。本当は専用の背もたれを使って半分身体を起こした状態で麻酔をかけるんだけど、背もたれがないから、私を後ろから抱き締めてて欲しいの」
「天下人を背もたれ代わりか、クッ…。そんな事、出来るの、お前だけだぜ?分かった、抱き締めててやるから心配すんな」
遙は、角度を細かく政宗殿に指示すると、ホッとしたように政宗殿に背中を預けて、気持ち良さそうに微笑んだ。
その顔を上から政宗殿が覗き込んで、政宗殿も愛しそうに微笑み、遙の額にキスをした。
「はい、そこ、ラブラブしてる場合じゃないから!んもう!抱き合うといっつもこうなんだから、遙と政宗は!…7年経っても全然変わってなくて嬉しいけどね。じゃあ、始めるよ」
美紀は遙にお猪口のような器を手渡し、遙はその中の薬を口に含むと、天井を見つめて喉の奥でその薬を飲み込まずに止めている様子だった。
数分後、美紀の合図で遙はそれを飲み込み、それを何度か繰り返した。
美紀はその間に、遙のiPadを操作して、床の上に立てかけた。
そこには、部屋の中が映し出されていた。
不思議そうに俺が見つめていると、美紀はにっこりと笑った。
「佐助、これはね、この管の先にある物がここに映し出されるんだよ。今からもう一度弱い麻酔を全身にかけて、この管を喉から胃まで入れるの。そうしたら、胃の中が見えるし、そのまま手術も出来るんだよ」
「えええ!?そんな事したら吐いちゃうんじゃないの!?」
「だから、吐かないように麻酔するんだよ。遙、もう少し身体を低くして。政宗の膝枕がいいかな。その角度なら、文字書ける?」
遙は頷き、政宗殿の膝の上に頭を乗せて、レポート用紙とペンを挟んだ板をお腹の上で持った。
美紀は、点滴を開始し、点滴の管の中ほどから大きな注射器で、薬を注入して行った。
遙の目の焦点がすぐに合わなくなって、美紀はプラスチックの器具を遙に咥えさせて、そこに空いた穴から黒い管を挿入して行った。
僅かに遙の眉が顰められて、でも喉を過ぎたあたりから遙は楽になったのか、横目でiPadの画面をじっと見つめていた。
俺達は、生きている人間の臓腑の中を見るのは初めてで、ただただ驚きながらその画面を見つめていた。
美紀は、所々で画像を止めて、その度に電子音が鳴った。
「何をしてるの?」
「ん?動画も撮影してるんだけど、病変のある所は画像に残して、病変の大きさも記録してるんだよ。管の先についてるのは、カメラっていってね、見たまんまの画像を保存出来るんだよ。遙ったら、やっぱり食事してなかったから、胃酸過多で、逆流性食道炎起こしてる。潰瘍まではいってないけど、これも一応薬で治そうね」
遙は、紙に「OK」と書いて、目で頷いた。
美紀も頷くと、また念入りに管を操作しながら、更に奥へとカメラを進めて行った。
そして、胃に到達して中が照らし出された瞬間、俺達は、思わず息を飲んだ。
それまで比較的綺麗な桃色だった粘膜が爛れ、一番酷い所は醜く盛り上がって言葉には出来ない色に変色していて、その中央は赤く染まっていた。
美紀は、目を見開き、眉を顰めた。
「ある意味、予想通りだけどこれは酷いね。んもう!なんでこんなになるまで放っておいたの!?」
遙は、「お説教はあとで。」と紙に書き、「胃、全体くまなく撮影。病変部位のステージ確認後、生検とピロリ菌の検査、止血の後、十二指腸まで撮影」と書いた。
美紀は、深い溜息を吐いた。
「まぁ、遙がしゃべれないのにお説教しても仕方ないし、負担になるからちゃっちゃと進めるよ。じゃ、まず、撮影を終わらせるね」
美紀は角度を変えながら、撮影をして行った。
遙は、厳しい目で画面を見つめながら、また紙に書いた。
「内視鏡でのスキルス胃がんの所見なし。X線か、生検でないと確定は不可能」
「同感。一応、びらんが出来ている所の生検はしておこう」
「Thanks」
美紀は器具を操作して、胃壁の粘膜を小さなハサミのようなもので採取すると、液体で止血してはまた撮影に戻り、それを何度か繰り返した。
そして、一番大きな病変の所でカメラを止めて、画像を拡大した。
肝が座ってないと、腰を抜かしてしまいそうなほど、おどろおどろしい。
それほどまでに、胃の中が爛れてしまっている。
政宗殿は、厳しい顔をして、じっとその画像を見つめていた。
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