美紀は、遙の部屋を訪れて、予防接種の効果の確認をしてもらった。
「うん、予防接種の効果はばっちりだね。種痘の痕なんてつけちゃって美紀には申し訳ないんだけど、副作用が出なくて本当に良かった…」
「それを言うなら遙もでしょ?綺麗な肌をしてるのに、政宗が気にするんじゃないかって気を揉んだよ?」
「俺は、遙がどんな姿になっても愛するって言っただろ?俺の右目も愛してくれた女だ。嫌う筈なんてねぇよ。確かに遙の肌は綺麗だったが、真田幸村のキスマークの方が俺には許せねぇな。でも、やっと殆ど消えて来た。遙もやっと落ち着いて来ただろ?」
「うん…。まだ幸村を見たら思い出しそうで怖いけど、政宗がずっと一緒にいてくれるから大丈夫。それより、美紀の方が心配。美紀は、明るいけど、結構色々溜め込むから…」
遙は、本当に心配そうに美紀を見つめた。
美紀は、ふわりと笑って遙の手を握った。
「遙への誤解を解くまで、倒れる訳にはいかないからね。だから、心配いらないよ。今日は、初めて姫様とお茶をするから、ちょっと緊張するけど、佐助もいるから大丈夫。佐助、援護期待してるからね!」
美紀は、そう言って、茶目っ気たっぷりにウィンクをした。
何だか心の霧が晴れて行くような、そんな表情だった。
遙は、本当に綺麗で儚気な美人だけど、快活な美紀の笑顔も可愛い。
また胸を焦がすような遙への想いが時折こみ上げるけど、この瞬間だけは、忘れられた。
政宗殿に愛されて、遙が幸せそうな顔をすると、心がちくりと痛むけど、俺の恋心は封印。
あのキスだけで、俺はとても幸せだった。
これから遙を幸せにするのは、政宗殿だ。
遙の幸せだけを望んでいたから、これでいいんだ…。
俺は、心を隠して、笑顔の仮面を着けた。
「もちろんだよ、美紀ちゃん。姫様の事は、俺、よく知ってるし、姫様も美紀ちゃんに会うのを楽しみにしてると思うな。だって、真田幸村への想いを話せるのって、乳母以外には俺と美紀ちゃんしかいないんだから。じゃあ、姫様の所へ行こうか?」
「うん!」
美紀は、鞄を持って、俺と共に姫様の部屋へと向かった。
「姫様、俺だよ、佐助だよ。美紀ちゃんもやっと姫様のお部屋に入れるようになったよ」
「あ!佐助、入って頂戴」
「じゃあ、失礼」
俺は、美紀を伴って姫様の部屋に入った。
姫様は、待ち切れないというように、布団から身体を起こした。
美紀は、気遣わし気に姫様を見つめた。
「姫様、まだ熱があるでしょ?無理しないの!先に診察するから、もうちょっと我慢してくれる?」
「うん!」
乳母もホッとしたように、鉄瓶でお湯を沸かし始めた。
「じゃあ、まずは、検温からね」
美紀は、体温計で姫様の熱を測った。
「まだ40度か…。姫様、辛くない?」
「ふらふらするけど、寝てるから大丈夫。貴女と早くお話したかったし、お食事も頑張って食べたよ?」
「そう…。ちょっとお口の中を見せてくれる?何も怖い事はないから」
「分かった」
美紀は、ライトで照らしながら、姫様の口の中を念入りに観察した。
美紀の表情が少し強張った。
「姫様、お食事した時、痛かったんじゃない?」
「痛かったけど、雑炊なら食べれたわ」
「そう…。このお口の中のできものは、疱瘡のできものだから、しばらくお食事はやめようね。お雑炊だけじゃ栄養が足りないから、身体に直接栄養たっぷりの点滴をしよう」
「点滴?」
「うん。それで、姫様の体力が回復するから、お顔にできものは出来ないと思うな。動きにくくなるけど、いい?」
「顔が無事なら我慢するわ」
「じゃあ、処置をしようね。まだお薬は続けよう。お薬は苦かった?」
「全然。貴女ってすごいのね!」
「そう?ありがとう」
美紀は、手早く中心静脈栄養法の処置をした。
姫様は、それを不思議そうに見ていた。
「姫様、これは、お館様にも遙がした処置だから大丈夫。栄養たっぷりだから、無理にお食事しなくても、元気になるよ。俺、疱瘡の患者さんを看て来たから保証するよ」
遙と聞いて、姫様は拗ねたような、怒ったような表情を浮かべた。
「ほらほら、そんな顔をしないの。遙はここに来ないから、大丈夫。お口の中、痛いでしょ?お茶は温めのお茶にしようね」
俺がそう言うと、姫様は表情を緩めた。
「私、あの人、嫌い。だって、私と幸村を脅して、幸村に愛されたんだもの。幸村は、私だけを愛してると思っていたのに…」
「遙の事をそんな風に言われたら、私、悲しいな。遙は、絶対に人を傷付けられない人だから」
「でも、でも、銃であんなに脅されて怖かったんだから!私、傷付いたんだから!」
「でも、姫様も幸村も、どこも怪我してないでしょ?遙なら、一発で幸村を殺せたんだよ?姫様だってどこも怪我してないでしょ?わざと外してたんだよ」
「わざと外した…?」
「その話は後でにしようね。それより、私、姫様と幸村の恋の事、聞きたいなー」
美紀は、真剣な顔をから一転、朗らかに、にこにこと笑った。
姫様も、つられたように笑って、夢見るような表情になった。
「あのね、幸村は、私の守役だったの。その時、私は7歳だった。幸村は、すごく優しくて、私、すぐに幸村の事を好きになっちゃったの。槍を教えてくれたのも幸村なんだよ?」
「そうだったね。姫様は、いつも旦那と一緒にいたもんね」
「へぇー、そうなんだ!いいなー。7歳の頃から恋してるって、すんごい素敵だね!」
美紀がそう言うと、姫様は、照れたように笑った。
「幸村ったらね、私が奇襲をかけたら、反撃して押し倒したりもしたんだよ?私、恥ずかしくてたまらなかったけど、そんな幸村もかっこ良かったなぁ」
「そうなの!?あの破廉恥って叫んでるような幸村が姫様にそんな事をするなんて、幸村は相当姫様の事が好きだったんだね!」
「美紀もそう思う?私、ずっと幸村と恋仲だと思ってたよ。一緒に城下に行ってお団子を食べたり、簪を買ってくれて綺麗だって褒めてくれたり、お庭のお花を摘んでくれたり、とっても優しかったの」
「わぁ…。姫様、とっても優しくしてもらってたんだね!」
姫様は、うっとりとした表情で、惚気話を続けて、美紀は、にこにこしながら、うんうんと頷いていた。
「いいなー。そういう恋愛、私もしたいなー。姫様、とっても幸せだったんだね!幸村に恋するのも分かるよ」
「本当?そう思ってくれる?私も幸村と祝言を挙げるんだとずっと思ってた…。でもね…父上が…」
そこで、姫様は涙目になって行った。
「私を政宗様に嫁がせるって言い出したの…。私、すごく悲しかった…。幸村が父上を止めてくれると思ってた…。でも、幸村ったら、父上の言う事に賛成しちゃったんだもん。ずっと恋仲で、幸村と祝言を挙げるんだと思っていたのに、すごくすごく悲しかった…」
「それは、幸村が悪いね。そこで、姫様を貰い受けるって言ってくれたら良かったのに」
「俺もそう思ったさ。だって、姫様と旦那はあんなに仲良くて、幸せな恋仲だと思ってたからさ」
「美紀も佐助もそう思う?私だってそう思ったよ?幸村の意気地なしって…」
姫様は、そこで思い出したように、しくしくと泣き出した。
美紀は、姫様の手をそっと握った。
「姫様、辛かったね。そんなに恋してたのに、政宗に嫁ぐなんて、嫌だったよね…」
「うん…。私、悲しくて悲しくて、泣きながら部屋に戻ったの。でも、幸村が忘れられなくて…。幸村が上田に帰っちゃうって聞いて、決心したの」
「どんな決心?」
姫様は、そこで顔を真っ赤に染めた。
「幸村に…その…せ、接吻をして、最後の思い出にしようと思ったの」
美紀は、驚いたように目を瞠って、そして優しく姫様に微笑みかけた。
「姫様のその勇気、私にはないなー。すごい事だと思うよ?本当に本当に姫様は幸村の事が好きだったんだね!」
「うん!最後だと思ったから、そんな事も出来たの。私、幸村の馬鹿って叫んで帰っちゃったんだけど、本当は、すごく幸せだったんだ…。幸村が好きだから」
「あの時、俺も悲しかったよ…。俺も姫様と旦那は恋仲だと思ってたからさ。姫様には幸せになって欲しかったんだよ?」
「佐助も?」
「うん。だって、姫様が小さい頃から見守って来たからね。俺、姫様の純愛、大好きだったよ」
「そっか…。佐助は私の味方だったんだね…」
「俺、滅多に泣かないのに、あの時はこっそり泣いちゃった。姫様には、旦那と幸せになって欲しいよ…」
「佐助、ありがとう…」
「悲しいけど、とても素敵な恋愛だね。姫様の純愛、憧れるなー」
「美紀もそう思ってくれるの?ありがとう。私、一生の思い出にしようと思ったんだ…」
姫様は、懐かしむような、夢見るような表情になって、言葉を切った。
その時、お茶菓子と温めのお茶が入って、俺たちは、沈黙したままお茶を飲んだ。
姫様は、少し辛そうにお茶をのんで、溜息を吐いた。
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