俺達は、武田の屋敷へと戻った。
「ねぇ、旦那、入ってもいい?」
「ああ、構わねぇ」
右目の旦那は、美紀を見て目を瞠った。
「お前ぇ、髪が濡れてるじゃねぇか」
「ん?流石に、8歳年下のさ、それも22歳のあんまり親しくない女の子の惚気話を長々と聞きながら、丸め込むのは精神的に疲れちゃってさ。佐助に温泉に連れて行ってもらったの。すっきりしたー!」
美紀は、また笑顔の仮面で、旦那ににこにこと微笑みかけた。
「旦那、ゴメンねー。報告してからの方が良かったんだけどさ、美紀ちゃん、相当疲れてたからね。後回しにして悪かったよ」
「そうか。仕方ねぇな。あの姫相手だ。疲れもするだろう。それで、首尾はどうだった?」
「丸み込め作戦成功!佐助の援護も絶妙でさ、姫様、泣きながら、遙と政宗に謝りたいって言ってた。しっかり誤解も解けて、姫様、思ってたより真っ直ぐな子で助かったよ」
「そうか!よくやった!」
しかし、美紀は、厳しい顔付きになった。
「遙とは話せそう?遙、まだ眠ってる?」
「いや、起きてるぜ?」
隣りの部屋から政宗の声が聞こえて、すぐに襖が開けられた。
まだ中心静脈栄養の袋をぶらさげたままの遙を気遣いながら、政宗殿は、こちらの部屋に入って来た。
「話し声は聞こえていた。美紀、猿飛、よくやった。それで、遙に何の用だ?」
「姫様の疱瘡の事だよ」
すると、遙の目付きも厳しいものになった。
「じゃあ、報告するね。姫様の熱が40度から下がらない。口腔内の水疱が確認出来た。雑炊しか受け付けないって言うから、中心静脈栄養で様子見する事にしたよ。解熱剤が効かないとなると、そろそろ手に発疹が出来てもおかしくない」
「そう…。身体に発疹が出て来たら、姫様は取り乱すだろうね…。でも、美紀の処置は完璧だよ。あとは運を天に任せるしかないか…」
「ワクチンがある程度効くなら、これ以上は酷くならない可能性もあるよね?」
「でも…右目を失った子もそうだったから、心配だな…。発疹が出来たら、私をすぐに呼んで?私が診察するから」
「おい、遙、大丈夫なのか?」
「私は確かに姫様を傷付けたから、心が痛むけど、治してあげたい。姫様が私達に謝りたいって言ってるのなら、尚更かな。政宗も一緒に来てくれると心強いな…」
「当たり前だ。こんな身体のお前を片時も離せねぇ。あのバカに会うのは御免だけどな」
政宗殿がそう言うと、美紀は頬を膨らませて怒ったような表情になった。
「確かに姫様は、ちょっと無神経だし、政宗が嫌がるのも分かるけど、本当は真っ直ぐでいい子だったよ?政宗にも謝りたいって言ってたんだから。幸村が遙にした事も知って、泣いてたよ?姫様の事をあんまり悪く言ったら、私、怒るからね!」
政宗殿は深い溜息を吐いた。
「単純バカが功を奏したなら仕方ねぇな。分かった。遙の診察の時に、姫の話を聞いてやる。それでいいか?」
「うん!流石、政宗!姫様の側室宣言も取り消してあげてね」
「I see. 江戸に連れて行くのも面倒だからな。取り消してやるよ」
「あー、良かった!あとは、姫様が真田幸村をどう丸め込むかが問題だね。これは、右目の旦那とまた作戦会議かな」
「ああ、任せろ」
「じゃあ、俺は遙を休ませて来る」
政宗殿は、遙を支えながら、部屋に戻って行った。
「ねぇねぇ、美紀ちゃん。遙の中心静脈栄養が終わるのっていつ頃?」
「そろそろ全粥か、雑炊でも大丈夫。姫様の診察の頃には、点滴も外して大丈夫だよ」
「そっか。思ってたより早く治りそうで良かった!」
「まだ気は抜けないけどね。幸村に出会ったら、また遙は思い出して、食事を受け付けなくなりそうで、心配だよ…」
「それに関しては、焔と話し合って、伊達軍も警備に当たってるから、大丈夫だ」
「焔と?流石、旦那、気が利くねー」
「政宗様のためにも、遙様をお守りしなきゃならねぇからな」
右目の旦那は厳しい顔付きになって、俺達を見つめた。
「姫の事はよくやった。次は真田幸村だな。あいつは、まだ遙様の事を誤解していやがるし、信玄が真田幸村を姫には絶対に近付けねぇだろうな。厄介だ…。俺達がいくら誤解を解こうとしても聞く耳も持ちそうにねぇ。頼りは姫だが、先ほどの会話を聞く限り、姫も動けそうにねぇ。手詰まりだ」
「旦那もそう思う?俺も考えてたんだけど、本当、真田幸村を動かせるのは姫様だけなんだよね。でも、姫様はあんな状態だし…。姫様が疱瘡から回復するのを待つしかないね」
「ねぇねぇ、小十郎がお館様と密約をして、幸村を姫様に会わせられないかな?」
「いや、それは無理だろう。信玄は、真田幸村が動くのを待ってるからな。真田幸村が武田の兵士の包囲網をくぐって、姫に会いに行く漢気がねぇと無理だろう」
「そっか…。期待出来そうにないね…。はぁ…姫様は絶対安静だから動かせないし、今、幸村に会わせる訳には行かないからなー。やっぱ手詰まり!私、それよりも遙の食事の指導しなきゃ」
美紀は、一転明るい笑顔になって、俺に遙の食事内容を伝え、政宗殿の部屋へ入って行って、遙の診察をしている様子だった。
それから、皆で、遙の食事を見守り、談笑しながら食事を終えた。
相変わらず、政宗殿は、遙にぴったりと寄り添い、甲斐甲斐しく世話をしていた。
あれが、本当の愛情なのかな…。
俺、あんな風に、美紀を愛せるんだろうか…?
だって俺が遙に抱いた狂おしいほどの恋心と違って、美紀に対する気持ちはとても穏やかで安心出来る気持ちだ。
これも恋なの?これも愛なの?
そんな事を思いながら、俺と美紀は部屋に戻った。
布団に転がると、美紀は、甘えるように俺に寄り添い、手を繋いだ。
その仕草が可愛くて、俺はくすりと笑った。
「右目の旦那に聞こえちゃうよ?」
耳元で、小さく囁くと、美紀は顔を真っ赤にした。
「流石にここであんな事する訳ないでしょ?」
美紀も内緒話をするように、膨れっ面をして囁いた。
「ゴメン、ゴメン」
美紀は、ほうっと溜息を吐いて、また囁いた。
「やっぱり、政宗と遙の恋愛、憧れるなー」
「そうだね…。俺の遙への想いって、もしかしたら、憧れだったのかも知れないってさっき思ったよ。いくら手を伸ばしても届かない、煌めく星みたいにさ。儚気な表情と、誰かを想っている、そんな遙に惹かれてただけなのかなって。でも、君は…」
俺は、美紀を抱き締めた。
「燦々と降り注ぐ陽の光みたいだよ。手を翳せば、その手が温かくなるような、太陽みたいな存在。その明るさで、皆の心を温める太陽だよ…。こんな影の存在の俺ですら、明るく照らしてくれる、太陽だよ…」
そう言って、触れるだけのキスをした。
「そんな事、言ってくれるの、佐助だけだよ?」
「そんな事、ないさ。遙もきっとそう思ってるはずだよ?」
美紀は複雑な表情で、溜息を吐いた。
「はぁ…ダメだな…。一度温もりを知っちゃうと、手放せなくなっちゃう。元旦那にはそんな事、感じた事もないのにね。こんなの初めてで、どうしたらいいのか分からないよ」
俺はまた美紀と手を繋ぎ、そして、手の甲にキスをした。
美紀は驚いたように、固まった。
「これからは、君を全ての悲しみから守ってあげる。君の騎士になるよ。遙の騎士の役割は、もうお終い。だから、君も、元旦那の呪縛から解き放たれて。裏の仕事がある限り、君を本当の意味で幸せに出来ないかも知れない。それでも、精一杯、君を守りたいんだ」
そう言うと、美紀の目に涙が浮かんだ。
そして、泣き笑いをしながら言った。
「イケメンの騎士ってぴったりだね。そんな守る価値もない女だよ、私は」
「そんな憎まれ口を叩かないの。おとなしく、俺に守られてなさい。そんな口はこうして塞がなきゃね」
俺は、美紀を抱きすくめて、何度も何度も深いキスを繰り返した。
こうしてキスを繰り返すと、心の底から愛しいような気持ちが沸き上がって来た。
遙への恋心は辛くてたまらなかったのに、こんなに温かい気持ちが俺の中にあるなんて知らなかった。
美紀は、いつの間にか涙を流していて、俺の背をぎゅっと抱き締めていた。
唇を離して見つめ合うと、美紀は、濡れた頬を手で拭って呟いた。
「あれ?私、何で泣いたんだろう…。すごく心の中が疼いて、幸せな感じがして…淋しさが薄らいでいく…。それに、とても気持ち良かった…」
俺も、こんな幸せな感じがするキスは美紀が初めてだった。
「じゃあ、もう一度、キスしよう?君の淋しさがなくなるまで」
また俺は、美紀を抱き締めて、キスを繰り返した。
また、心の中が温かくなって行く…。
離れがたくて、飽き足らなくて、何度も何度も唇を重ねた。
やがて、美紀の呼吸が上がって行って、ようやく俺は唇を離した。
「苦しかった?」
「ううん…。これ以上続けたら、また佐助が欲しくなっちゃうから、ダメ」
「じゃあ、また俺の部屋で抱かせて?」
「うん…。今日は、抱き合いながら眠りたいな…。初めてなの…」
「今日、俺の腕の中で寝たくせに」
「だから、佐助が初めてなの!淋しくならないように、お願い…」
「分かったよ、美紀」
もう一度だけ、掠めるようなキスをして、俺は美紀を抱き締めた。
しばらくして、安らかな寝息が聞こえて来て、それが何だか愛しかった。
「俺、恋に落ちかけてる。忍は大切な者を作っちゃいけないのに…。汚い仕事もしなきゃいけないのに…。ゴメンね、美紀。でも、俺は、本当に君を守りたいんだよ?」
美紀の額にキスをして、俺も眠りに就いた。
いつになったら、この業から解放されるんだろう…。
それさえなければ、きっと君に真っ直ぐな愛情を注げるのに…。
誰か、助けて。
そして、教えて。
俺が抱いているこの気持ちは本物の愛なの?
俺、遙から卒業して美紀を本気で愛したいよ…。
⇒Next Chapter
しおりを挟む
top