「どうした、遙?最近、上の空だぞ?」
「うん…。疱瘡の予防接種が間に合わなかったから、発想を逆転させて、抗ウイルス薬、つまり、治療薬が作れないかって考えていたんだ」
「お前、そんな事も出来るのか!?」
「ううん、こんなの初めてだもん。専門外だよ。だから、調べ物しなきゃ」
「身体の方は大丈夫なのか?」
「うん。ずっと点滴してる訳じゃないから、外した時に、調べ物がしたいな。政宗には退屈な思いをさせるかも知れないけど…」
「いや、疱瘡の治療薬なら大歓迎だ。あの姫がいくら憎くても、疱瘡で死んだり、目を失ったりしたら、不憫だし、疱瘡の辛さは俺が一番よく知ってる。お前の好きにしろ」
そう言うと、遙はふわりと笑い俺に掠めるようなキスをした。
「政宗、愛してる。政宗ならそう言ってくれると思ったよ。調べ物始めるね」
遙は微笑むと、点滴を外して俺の腕の中から抜け出し、iPadとレポート用紙を取り出して、何かを真剣に読み始めた。
そして、さらさらとレポート用紙に何かをメモをして、図を描いて行った。
俺は、7年前を思い出していた。
あの頃も、遙は大学の勉強を部屋で黙々としていた。
その知性的な横顔も好きでたまらなかった。
今も、そんな表情をして真剣に何かを勉強している。
そんな時、俺は遙にコーヒーを淹れてやったり、隣りで本を読んでいたりしながら、また遙の横顔に見惚れていた。
「なぁ、遙。何か、本はねぇか?あの頃みたいに、お前のそばで本が読みてぇな」
「どんな本がいい?」
「そうだな…俺の治世に役立ちそうな本がいい」
「分かった」
遙は、詳説世界史の本と、有機化学の歴史の本を取り出して、俺に手渡した。
「有機化学は、民のためになる肥料や、火薬の話とか書いてあるよ。世界史の本は、私が政宗にあげた資料集よりも詳しい」
「Thanks!お前は本当に、得難い女だな。俺の求める物をよく分かってる」
「ふふっ、政宗には古今東西ないくらいの、治世をして欲しいもの。私に出来る事なら何でもしてあげたい」
俺は、遙の頬にキスをして、文机の上でタバコを吸いながら、本を読み進めて行った。
「小十郎、茶を申し付けろ」
「はっ!」
小十郎の声を聞きながら、俺は有機化学の歴史について読んでいた。
何やら記号が難しいが、地の文自体はとても分かりやすくて、未来ではこれほどまでに科学が進んでいるのかと驚いた。
もっと理解したくて、俺は、遙を呼んだ。
「遙、レポート用紙、分けてくれ。あと、ボールペンだ」
「分かった」
遙は俺にレポート用紙とボールペンを手渡すと、また、iPadに目を落とし、レポート用紙に何かを書き込んでいた。
その横顔にしばらく見惚れてから、俺も有機化学の図と、役立ちそうな物質をメモして行った。
しかし、慣れない物質の名前が出て来るとやはりつまずいて、俺はまた遙に声をかけた。
「遙、化学の基礎の本をくれ」
「じゃあ、高校の化学の本と資料集、渡すね」
遙に渡された本をぱらぱらとめくり、資料集の方が写真があって分かりやすかったので、そちらから読み始めた。
遙も何冊か本を取り出して、それとiPadを見比べながら、レポート用紙に物凄い勢いで、何かを書き込んでいた。
「政宗様、小十郎です。茶をお持ち致しました」
「ああ、入れ」
小十郎は部屋に入ると、目を瞠って驚いた。
「政宗様!?遙様も一体何をなさっておられるのですか?」
「遙は、疱瘡の治療薬を作るつもりだ。俺は、治世に役立ちそうな本を読んでる。勉強だな」
「治療薬でございますか!?政宗様も随分と熱心に…。このようなお姿を見るのは初めてでございます!」
「遙の本がやたら難しくてな、本気で勉強してる所だった」
「あ、小十郎、お茶ありがとう。ちょっと休憩入れるね」
遙は嬉しそうに微笑み、iPadを持ったまま、俺の隣りに座り、茶を一口啜ってホッとしたような表情を浮かべた。
俺も茶を啜ると、肩の疲れが少し取れた。
「政宗様も遙様も、余程お疲れだったんですね。あまり、ご無理をなさらないように」
「ああ、分かってる」
「あ!政宗、茶柱だよ!きっといい事あるね!これ、濃いお煎茶だね。お茶っ葉が沈んでる」
「申し訳ございません。茶漉しを使うよう、申し付けます」
「ううん、いいの、美味しいから。……沈殿…?上澄み…?何で、気づかなかったんだろう!!記憶B細胞の培養!!」
遙は急に立ち上がり、バッグの中を漁って、何かを取り出した。
「あった!!実用化されてた!!」
「遙!?」
「遙様!?」
俺と小十郎が叫んだのは同時だった。
「理論上でしかないけど、治療薬を作る方法思い付いた!!」
振り向いた遙の瞳は輝いていた。
「政宗の力が必要なの!お願い、協力して!」
遙がそう叫ぶように言った時、美紀が猿飛を伴って部屋に入って来た。
「遙!?安静にしてなきゃダメでしょ!?」
「それどころじゃないの、美紀!ねぇ、姫様の状態は?」
「熱は下がったよ。口内の発疹は変わらず。少し悪化してる」
「マズい…。急がなきゃマズい…!!」
「マズいって何が?」
遙は、とても厳しい目付きになって叫ぶように言った。
「天然痘は、熱が寛解した後に発疹が全身に出来てしまうの!姫様の顔も命も危険かも知れない!」
「ええっ!?それじゃ…それじゃ、姫様は…」
「だから、急がなきゃ!!」
遙はほとんど美紀を睨みつけるような表情で言った。
美紀は、驚いたように目を瞠って、遙を見つめた。
「何をそんなに急ぐの?」
「天然痘の特効薬…抗体の産生をするの!」
「ええっ!?そんなの、トランスジェニックマウスがいないとモノクローナル抗体の産生なんて出来ないでしょ?」
「私だってそう思って諦めてたよ!流石にバッグの中から系統維持されたマウスなんて出て来ないもん!でもね、でもね、記憶B細胞の培養がin vitro…生体外での培養が実用化されてたの!」
「試験管での記憶B細胞の培養!?それじゃ、それじゃ…!」
「記憶B細胞と天然痘ウイルスさえあれば、抗体が作れるよ!特効薬が作れるよ!」
「遙…やっぱり、遙は化け物級だね…!」
俺達三人は、呆気に取られて遙と美紀を見つめていた。
天然痘の特効薬という事は分かる。
しかし、他の言葉が全く意味不明だ…。
化け物なのは、美紀も同じだ。
遙の言っている事を完璧に理解している。
それにしても、俺の協力が必要ってどういう事だ…?
「なぁ、遙。俺の力が必要ってどういう事だ?」
俺は、興奮している遙の頭をゆっくりと撫でて落ち着かせた。
「あ、政宗、ゴメンね。色んな方法を考えてたんだけど、抗体…つまり天然痘にだけ効く特効薬を作る方法を思い付いたの。 それには、今まで罹った事のある病気の記録が蓄積されてる記憶B細胞が必要でね、記憶B細胞の入った液体に、疱瘡の病原体を加えると、抗体が出来るの。私達の中で、天然痘に罹った事があるのは、政宗たった一人だから、政宗の力…政宗の身体が必要なの」
「俺の力…俺の身体の記憶B細胞って事か?病原体は…まさかあの姫から取り出すつもりか?」
遙は深く頷いた。
「でも、遙、いくら政宗の細胞を使っても、生産効率悪いよ。少ししか抗体が取れない」
「だから、モノクローナル抗体の作り方を応用して、細胞を加工して増殖のスピードを上げるんだよ」
「あ、そっか!それなら、培養して増やすのもかなりのスピードで出来るね!抗体とB細胞の分離は?」
「この際、遠心分離機を使って、B細胞を沈殿させて、上澄みに抗体を浮かせて、それを姫様に点滴をするの」
「ああ、それで、茶を見てお前が急に興奮し出したのか。びっくりしたぜ」
「この小十郎も、遙様がご乱心なさったのかと、ヒヤヒヤしました」
「ごめんなさい」
俯く遙の頭をそっと撫でて、顔を上げさせた。
「遙、間に合いそうか?」
「間に合わないかも知れないけど、やってみなきゃ」
「ああ、そうだな。どうすればいい?」
「政宗の血液が必要なの」
「遙様っ!?まさか政宗様に刀傷でも負わせるおつもりですか!?」
「違うよ。注射器で、政宗の血液を吸い上げるだけだよ」
「ならば、安心致しました」
遙は美紀を振り返った。
「美紀、培養のキット、美紀のバッグにも入ってるはずだから、美紀も手伝って!インキュベーターで政宗の細胞を培養し始めたら、姫様の所へ天然痘ウイルスを採取しに行こう」
「了解!二人でやった方がたくさん抗体が取れるからね!学生実験を思い出さなきゃいけないから、分からなかったら遙に聞くよ」
「私も臨床ばかりだったから、遠い記憶だけど、頑張る!」
それから、遙は太い注射器で俺の血液を何度か採取して、試験管と呼ばれる物に入れて行った。
それからは、ものすごい速さで、何かの機械を使いながら動き回り、遙の手順を一通り見た美紀も、同じように、バタバタと動き回って、俺達は唖然として見つめていた。
そして、やがて、小さな箱に試験管をしまうと、遙はホッとしたように脱力した。
「小十郎、茶だ。遙、一息入れろ。お前を見てると心配になる」
「ありがとう。ちょっと休憩をしたら、姫様の所へ行こう」
「大丈夫なのか?」
「美紀が誤解を解いてくれたんでしょう?だから、大丈夫。政宗も来て」
「分かった。小十郎も連れて行く。護衛にな」
「承知」
茶が届けられると、遙は頭の中で目まぐるしい速さで何かを考えている表情を浮かべながら、ゆっくりと茶を飲んだ。
俺も、遙をそっとしながら、熱い茶をゆっくりと飲みながらタバコを吸った。
遙も計算が終わったのか、久々のタバコを吸いながらゆっくりと茶を飲み干した。
そして、決心したように、白衣を着物の上から羽織り、バッグを持った。
「政宗、行こう」
「ああ、そうだな」
遙は、白衣を颯爽と靡かせながら、俺達と共に姫の部屋へと向かった。
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