最後の夜 -1-

信玄は、満足そうに広間の皆を見遣ると、声を上げた。

「皆の衆。今宵は宴じゃ!政宗公は、明日出発なさるとよかろう。佐助も宴の途中で里に帰り、政宗公について行く仕度をせよ。時に遙、お主、身体はもう大丈夫なのか?」
「はい。普通食も少しなら食べられるようになりました。元々食が細いので、問題ありません。あのような状態でも、ここまで来られましたから」
「そうか。無理せずとも、この甲斐で療養してから、婚礼の仕度をして政宗公の下に嫁いでも構わぬが」
「Hey, 信玄。俺は、もう片時も遙を離したくねぇ。また別れ別れになるのは御免だぜ。婚礼の仕度は、小十郎が張り切っている。全て伊達に任せてもらうぜ」
「政宗公のご意向がそうならば、政宗公に従うしかあるまい。遙よ、これからも、この懐刀をわしと思って、持っているが良い」

信玄は、家臣を欺くために使った懐刀を遙に手渡した。
これは、帝に謁見する時に使える。
遙は、うやうやしく受け取った。

「ありがとうございます、父上」

遙が信玄を「父上」と呼ぶと、信玄は相好を崩した。

「皆の者、散会じゃ」
「ははっ!」

そうして、家臣一同は、それぞれの持ち場に戻って行った。

「信玄、俺達は一旦部屋へ戻るぜ」
「あい分かった。明日から長旅ゆえ、ゆっくりと休まれるが良い」
「ああ、そうする。じゃあな」

俺は、皆を伴って部屋に戻った。
部屋に戻ると、美紀はすぐに遙の問診と診察を始めた。

「遙は、柔らかめの普通食を食べたがってるし、胃の痛みも取れて来てるね。お酒はまだダメだけど、普通に食べて良さそうだから、もう中心静脈栄養は、止めにしよう」

そう言って、遙の点滴の針を取る処置をした。
遙は、やっとホッとしたように笑った。

「もう、カロリー計算しながら食べないでいいから嬉しいな。あとは、服薬で治るから、もう大丈夫!江戸に着いたら、もう一度内視鏡で確認かな」
「そうだね…。また食事して吐血するようだったら、安静ね」
「もう大丈夫だもん。早く江戸に行ってみたいなぁ」
「私も!時代は違うけど、東京に帰りたいなぁ」
「東京って?」
「未来の世界で、私と遙がいた所だよ。未来では、江戸の事を東京って言うんだよ」

猿飛は、少し目を瞠った後、寂し気な笑顔を浮かべた。

「そうなんだ。なら、俺も行ってみたいな。旦那と離れるのはちょっと寂しいけどね。でも、八王子の爺さんを治す手伝い、俺もしたいからさ」
「ハンセン氏病の治療ね。やった事はないけど、治った後の再建手術は専門。助手が必要だけど、佐助が遙に鍛え上げられたなら、頼りになるな。本当は、遙を助手にしたいんだけどさ。麻酔の管理とか、専門的な所」
「それって専門外だけど、形成は美紀が専門だもんね。私も手伝いたいな」
「お前はまた背負いこむし、祝言の段取りが先だ。祝言を挙げたら、お前も行くといい。護衛は、俺と小十郎だ」

そう言うと、遙はくすくすと笑い出した。

「天下人が江戸を離れちゃダメでしょう?」
「なら、天下人の妻が、軽々しく外に出るな。俺はもう、片時もお前を離さねぇからな!」
「同感です。遙様のお命に危険が及ぶ可能性もあります。里に着いたら人は寄って来ないゆえ安心ですが、道中の警護は厳重に行ないます。政宗様が唯一愛したおなごと知れれば、何が起こるか分かりません」
「そういう事だ、遙。だから、俺と小十郎が護衛に就いて、守りはしっかり固める。猿飛の忍隊も護衛に就けば心強いしな」
「そう言ってくれて嬉しいなー。うん、美紀も遙も俺達が守るよ」

そう言って猿飛は、ようやく笑顔をまた見せた。

それから、小十郎は、撤退の布陣の指揮を取りに行き、成実への伝令を黒脛組に託して、また、江戸への撤退について話し合った。
美紀は、始終、部隊の規模に驚いて感心していた。

「遙ってば、本当にとんでもない男のハートをゲットしたんだね!前からそう思ってたけど、桁が違う!」
「ふふっ、そうだね。私も驚いてる」
「俺に釣り合う女は遙しかいねぇよ。釣り合う、釣り合わねぇ以前の問題で、俺は遙を忘れられなかったしな」
「いや、俺、本当に、伊達政宗に釣り合うのは遙しかいないって思ったくらいだから、政宗殿…いや、政宗様がそう思う気持ち、分かるなぁ」
「そうか、ならば、余計に好都合だな。帝への謁見も上手く行く」
「そうだね!」

それから、宴までの時間、よもやま話をしているうちに、遙は眠くなったのか、俺にしなだれかかるように眠ってしまって、俺も遙を抱き締めて、しばらくうたた寝をしていた。

数時間眠って、夕刻近くになって、小十郎の声で目が覚めた。

「政宗様。前田慶次が来ておりますが、目通りはいかが致しましょう?」
「俺が縁側へ行く。遙はこのまま寝かせておく」
「うーん…。政宗?」

俺が遙からそっと離れると、遙は寝返りを打ち、目を覚ましてしまった。

「悪ぃ。起こしちまったか。俺は前田慶次に会って来るから、お前は寝てろ」
「慶次…?私も会っていい?甲斐に来た時、慶次に会ったの…」
「そうか」

遙のガーネットのピアスを知らせて来たのは、前田慶次だった。
前田慶次は、遙に会っている。
思えば、それが全ての始まりだった。

「ああ、いいぜ」

俺が遙を伴って縁側に出ると、前田慶次は少し驚いたように、目を瞠った。

「あんたは…遙ちゃんだったよね?遙ちゃんの願掛けって政宗の事だったのかい?それで、政宗とよく似た耳飾りをしてたんだ…。だったら、あの時、江戸に連れて行ってあげれば良かったよ」
「あの頃は、佐助の監視が厳しかったし、姫様が政宗の許婚筆頭だって聞いて、甲斐から動けなかったの…。でも、慶次が政宗に知らせてくれたんでしょう?ありがとう」
「いや、とんでもねぇよ。辛い思いをさせちまったね。悪かったよ。でも、政宗に会えて本当に良かったな」

前田慶次は、本当に嬉しそうに笑った。

「それにしても、伊達の包囲網はすごくてさ、政宗に会いに来るのに手間取っちまったよ。政宗ってば、俺を待たずに甲斐に出陣しちまうしさ」
「悪ぃ、悪ぃ。あんたに確かめる前に、甲斐の医者は遙だって確証を得たから、先に動いちまった。今宵は宴らしいぜ?あんたも参加出来るように計らってやるから、機嫌を直せ」
「宴か。いいねぇ。信玄に挨拶して来るよ。じゃあな」

前田慶次は、ひらひらと手を振ると、庭の奥へ鼻歌を歌いながら去って行った。

それから、間もなくして、俺達は宴へ呼ばれた。
俺と遙と信玄は、上座に座り、次々に武田の家臣一同に祝われ、しこたま酒を飲まされた。
隣りに座る遙は、少し羨ましそうに俺を眺めていた。

「どうした?酒を飲みたいか?」
「うん…。でも、まだ我慢しなきゃ。身体が良くなったら、二人きりで政宗と飲みたいな…」
「ああ、お前と二人きりで酒を飲み交わすのは、7年振りだな…」
「私、政宗に会いたい時は、一人でお酒を飲んで泣いてた。元々強かったけど、もっと強くなって、政宗に幻滅されそう…」
「そんな事ねぇよ。俺も随分強くなった。酒に酔ったお前は可愛いからな。早く江戸に帰りてぇな」
「そうだね」

遙は、やっと食事が出来るようになり、俺は安心した。
食べている量は少ないが、元々食が細いのはよく知っているし、これだけ食べられたら上出来だ。
それでも、辛そうに胃のあたりを時折押さえるから、俺は心配になった。

俺は、酒を注ごうとする武田の家臣を制した。

「悪ぃ、少し酔ったみたいだ。遙も辛そうだから、少し外で酔いを覚ましてくる」
「ははっ!姫様の具合が悪いとは大事でございます。どうぞ、ごゆるりとお休み下さい」
「Thanks. さぁ、遙、行こうぜ」
「うん」

俺は、遙を抱き上げ、広間を後にし、廊下へ出た。
しばらく、そのまま遙を抱き上げながらあてもなく廊下を歩き、そして、見事な庭の前で遙を下ろし、二人で三日月を見ながら寄り添った。

「ここまで長かったな…」
「うん…。あんな姿で政宗に再会するのは嫌だったけど…。でも、政宗に会えて嬉しかったよ」
「そうか…。俺も悲しかったが、お前をこの腕で再び抱き締められて嬉しかったぜ?冷え込んで来たな。これ着てろ」

俺は、羽織を遙の小袖の上から羽織らせて、そして肩を抱いて、また三日月を見上げた。

「海に、空に願う…。いつも政宗を想いながら、三日月を見上げていたよ…」
「俺もだ、遙。空に願ってた。いつかお前に会える事を願いながら。やっと見つけた。もう、二度とお前を離さない」

そのまま何度か触れるだけのキスをして、また空を見上げていた。
その時、前田慶次がやって来て、俺の隣りに座った。
そして、くすりと笑った。

「2年前を思い出すな。あんたは恋をしていて、二度と想い人に会えねぇって言ってた」
「そうだな…。遠い遠い、俺の手の届かない所に遙はいたからな」
「でも、生きてるなら、いつか会えるって俺は信じてたよ。あの時の政宗、俺は忘れられなかった。とても苦しい恋をしてる感じがしたから。奇跡を俺は信じたかったよ。俺の想い人は死んじまったから…」
「慶次…」

遙は、薄っすらと涙を浮かべた。

「遙ちゃん、俺の事はいいんだ。やっと政宗が前へ歩いて行ける。俺、言ったんだ。自分の心を裏切るなって。遙ちゃんもそうだったんじゃないの?」

遙は、曖昧に微笑んだ。

「私は、自分の心を裏切る寸前だった。政宗がこんなに好きなのに、他の男の人に結婚を迫られてたから…。でも、その前に、政宗と同じ空の下へ来られた。姫様が政宗の許婚筆頭って聞いて、政宗の事、誰にも言えなかったの…」
「そっか。だから、遙ちゃんは、政宗と同じような表情を浮かべてたんだね。その石榴石も…」
「前田が知らせてくれた。俺のピアスと似たピアスをした、遙という女が甲斐にいるって。それで、探索を始めたんだ」
「そうなんだ。慶次は、私達の恩人だね」
「よしてくれよ。俺の恋は実らないから、政宗には幸せになって欲しかったんだ。俺も、前に進まねぇとな。また京にでも旅に出るか。じゃあな」

前田慶次は、俺の肩をポンと叩くと、廊下の奥へと消えて行った。
入れ替わるように、今度は猿飛と美紀が現れた。

「政宗様。俺もけじめをつけるために、忍の里へ美紀と行って来るよ。撤収の指揮も含めてね」
「ああ、分かった」
「美紀もおめでとう」
「遙みたいな恋にはまだ程遠いけどね。プロポーズから始まる恋愛もアリかなって思ったよ。じゃあ、行って来るよ」
「うん、気を付けてね」
「俺がついてるから大丈夫だよ。じゃあね」

猿飛は、美紀の肩を抱いて、消えて行った。
俺達は、しばらく三日月を見上げて、やがて部屋に戻ると、久方ぶりに遙を抱いた。
あの鎌倉の夜のように、優しく、優しく…。
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