幸村はその中に馬に乗ったまま入って行く。
医師らしくもなく、私はかなり動揺していた。
東京で外科医をしていると、マムシに咬まれた患者など、まず診る事はない。
ただ、マムシの毒は出血性毒なので、口腔内の傷口から毒が入るのを防ぐため、幸村を止めたのだった。
早く助けなければ…!!
馬を走らせながら、私は打つべき手立てを考えていた。
次第に冷静になり、信玄公の傷口より中枢寄りを緊縛しなかった事が気がかりになった。
そろそろ浮腫が現れる時間だ。
あまりにも浮腫が酷いと、体液減少や腎不全になる恐れもある。
咬傷が数ヶ所に及んでいる事も気がかりだ。
「時間がありません!命に別状はなくても心配な点がいくつかあります!お屋敷に着いたら、すぐに大量の布と水を用意させて部屋に運ばせて下さい!」
私は幸村の背中に向かってそう叫んだ。
「分かり申した!すぐに、すぐにお助け致しまする、お館様ぁああ!!誰かある!」
幸村が声を張り上げると、小姓が慌てて現れた。
幸村は私の頼んだものを申し付け、信玄公の部屋に布団を敷くように指示した。
小姓は慌ただしく立ち去って行った。
幸村が信玄公に肩を貸して歩かせようとするので、私は慌てて止めた。
「待って!傷口の確認と、毒が回らないように緊縛させて下さい!」
「しかし、お館様をこんな所に留めておく訳には…」
「動いたら毒が回ります!」
「うむ…。ならば仕方がない。お館様、ご無礼を」
幸村は床に信玄公を座らせた。
激しい疼痛のためか、信玄公の顔は歪んでいる。
私は、信玄公の前に跪いて、尋ねた。
「如月遙と申す医師です。咬まれた箇所を教えて下さい」
「世話になるのう。情けない事に4ヶ所も咬まれてしもうた。ぐうっ…!!」
信玄公は、脚を3ヶ所、腕を1ヶ所指差した。
あまり、よくない状況に自分の表情が険しくなるのが分かった。
かなり浮腫が進んでいる。
傷口はかなり深く、このままでは膿んでしまう可能性が高い。
バッグの中に何か縛るものはないか。
そう考えながらエルメスのバッグを開けると、自分が入れた覚えのないさらしと、ハサミ、薬、点滴注射のキットが入っていた。
無限に供給されるというのはどうやらこういう事らしい。
私はさらしをハサミで切ると、信玄公の脚と腕をきつめに縛った。
「あまり動かさない方がいいのですが、お部屋までなら構いません」
「そうか!お館様、参りましょうぞ!」
幸村は現れた小姓と共に信玄公を奥の部屋へと連れて行った。
部屋に着くと、既に布団が敷かれていた。
切開する事を考慮に入れて、布団をなるべく汚さないよう、用意された布を敷く。
私はバッグの中から白衣を取り出して、それを服の上に着た。
「毒を吸い出したり、筋肉の壊死を防ぐために脚を切開するかも知れません。申し訳ありませんが、寝巻きに着替えて頂けますか?」
そう言うと、小姓はすぐに浴衣を持って来て、信玄公を着替えさせた。
幸村はそわそわと落ち着きなく、それを見守っている。
「遅れ申したが、其れがしは、真田源二郎幸村と申す。其れがしにも何か出来る事はござらんか?」
「お手伝いが必要になったらお願いするかも知れません。それより…。真田さんが毒を口で吸引したのが心配です。何か症状が出るかも知れないので、私のそばで大人しくしていて下さい」
「う…。さようか…。仕方あるまい」
幸村はうなだれて、私のそばに座り込んだ。
着替えた信玄公の傷口より上を縛り直す。
私がボストンバッグから点滴の道具を出すと、幸村が不思議そうに私の手元を眺めた。
「医者というものは、薬湯を作るのが仕事ではないのか?」
確かに、戦国時代であればそうだろう。
こんなものを使ったら怪しまれる。
それでも、もし信玄公が腎不全にでもなったら、命が危うい。
流石に設備がなければ人工透析をする事は出来ない。
絶対に早急に治療しなければならないのだ。
「液体状の薬を直接身体の中に入れます。見た事のない治療法だとは思いますが、必ずお助けしますから」
じっと幸村を見つめると、しばらく後に幸村は頷いた。
「そなたを信じよう、遙殿」
初めて名前を呼ばれた。
私は頷いた。
点滴の準備をして、私は信玄公に話しかけた。
「薬を血管から入れます。針を身体に刺すので少しちくりとしますが、その後は痛みません」
「構わぬ。続けるが良い」
「はい」
咬まれていない方の腕をゴムチューブで縛り、アルコールで消毒をして針を刺す。
治療が数日に及ぶ事を考慮して、留置針を使う事にした。
点滴のチューブさえ外してしまえば用を足しに行く事も入浴する事も出来る。
信玄公は微かに眉を顰めたが、さほど痛くなかったのか、驚くような事はなかった。
隣で見ている幸村の方がよっぽどはらはらしている様子だ。
組み立て式の点滴のスタンドにぶら下がった点滴のバッグを物珍しげに眺めている。
まだ、終わりではない。
後、注射が4つと点滴が1つ残っている。
その間に、傷口からの毒の吸引と、必要ならば、手術を行わなければならない。
驚く幸村に説明をしながら、信玄公に了解を取り、筋肉注射を終えて、吸引器で毒の吸引を行なおうとした時の事だった。
「ねぇ、君、そこで何やってるの?」
いつの間にか、部屋の隅に、厳しい表情をした猿飛佐助がいた。
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