石榴石 -3-

お館様の怪我が回復してからというもの、遙殿は領民の治療に当たっているとは言え、屋敷で過ごす事が以前より多くなった。
どこか不安げに、そして物思いに耽っている姿を目にして、元気付けたいと心から願った。
患者を目の前にすると、菩薩のように温かく優しい眼差しを見せるのに、部屋にいる時はまるで魂の抜け殻のようだ。

だから、俺は、遙殿を散歩に誘ったり、近くまで馬で出かけたりした。
俺が話しかけている間は、優しい笑顔を俺に向けてくれて、それが嬉しかった。
少しでも心の支えになれていると感じると、何とも言えない充実感に胸を満たされた。

急に孤独になったのだから仕方ない。
俺が心の支えにならなければ…!
遙殿はお館様の命の恩人ぞ!

そんな使命感もあり、その日も前田慶次が出立した後、一緒に散歩に出かけたのだった。
いつものように、如何に甲斐の国が素晴らしいか、そして、お館様が素晴らしいかについて話していた。
いつもなら、優しい笑みを浮かべて、相槌を打ちながら聞いてくれるのに、何だか元気がない。

願かけをした願いについて何か思いを馳せているのか…?

遙殿の仲間と呼べる人間はこの世界にはいない。
出来れば俺がその最初の仲間になって差し上げようと思い、親しくしていた。
それでも、遙殿が生まれ落ちた世界の友人にはまだ敵わない。
それは当然の事だ。

気分転換にでもなれば良いと思って連れ出したが、こんなに塞ぎ込んでしまっていたら、かえって疲れさせてしまう。
俺は早めに散歩を切り上げ、遙殿を部屋まで送り、そしてまた鍛錬を始めた。

夕方になり、共に夕食を摂った後、遙殿はお館様の傷の診察に行った。
俺は、書物を読んでいるうちに眠くなり、明かりを消してうとうとと眠り始めた。

しばらくして、ふと目が覚めた。
二刻ほど眠っていたらしい。
屋敷の人間はもう皆眠っている所だ。

そこで初めて俺は違和感に気付いた。

遙殿の気配が隣りの部屋から感じられない…。

佐助も見張っているはずだから、屋敷から逃げ出した訳ではないだろう。
しかし、お館様の診察にしては、帰りが遅すぎる。
俺は、着流しを身に付け、部屋を出た。

部屋を出た廊下は月で明るく照らされている。
庭の池や木などまで照らし出されて、綺麗な満月の夜だ。

そして…。
庭の中央には、遙殿がいた。
時折煙草を吸いながら、満月を見上げて、綺麗な声で歌っている。
耳をすますと、それは異国語だという事が解った。

哀しいような、けれども優しいような。
何とも言えず、胸の奥が切ない思いで満たされてしまうような。
そんな声と表情で歌っていた。

きっと、哀しい歌なんだ。
そう、思った。

遙殿が共に願をかけたという人物とは、恐らく永遠に巡り会う事はないだろう。

そんな哀しい顔をさせたくない。
同志と会えないのが哀しいのならば、俺が遙殿の味方になって、いつでも、守る。
遙殿の真の友になろう。

何故なら、そなたには笑顔こそが似つかわしいから…。
その笑顔を其れがしは守りたいのだ…。

庭に降りると、石を踏みしめた音に気付いて遙殿はこちらを振り向いた。

「幸村…」

何故か、遙殿は敬称を付けずに俺をそう呼んだ。

「眠れないのでござるか?」

そう尋ねると、遙殿は頷き、また空を見上げた。

「綺麗な満月でござるな。しかし、いささか時刻も遅い。眠れなくても身体を横にした方が良いのではござらぬか?」
「うん。そうなんだけど…。今夜はあまりにも月が綺麗だから…。ちょっと思い出す事があったの」

昼間、前田慶次が言った言葉を俺は思い出した。

『あんたも政宗みたいに辛い恋をしてるのかい?』

そう聞かれた遙殿は、哀しそうに瞳を揺らせた。
肯定も否定もしなかったが、俺は直感的に前田慶次が言った事は当たってるのだと思った。

「一緒に願かけをした御仁の事でござるか?」

そう問うと、遙殿は空を見上げたまま答えた。

「海に、空に願うって約束したの。甲斐の国には海がないけれど、私の世界と変わらない夜空が広がってるから」

俺には色恋沙汰の事はよく分からない。
それでも、遙殿には好いた御仁がいるのかも知れないと思った。
俺も街に行くと、俺を好いてるおなごから想いを告げられる事もある。
おなごはどこか強引で恐ろしい。

でも、誰かを想って、こうして夜空を見上げる遙殿は、儚げで、とても美しかった。

そこまでその御仁の事が好きで御座るか…。

その男にもう二度と会えないのは不憫だ。
そう思う一方で、遙殿にそこまで想われている男が羨ましいような何だか寂しいような気持ちになった。

その男に遙殿がもう二度と会えない以上、その男の事を忘れる事でしか遙殿は救われない。
少しずつでいいから、甲斐に慣れて、そして俺達に心を開き、いずれは遠い思い出になればいいと思った。

遙殿の心を救って差し上げたい…。

俺は遙殿の前に跪いて、そして、白い手を取りそっと握った。

「そなたの事は、この真田幸村が命をかけてお守り致す。哀しい出来事があっても、そなたの心が安らぐよう、お助けしたいのでござる。そなたには優しい笑顔が似合うから。だから、辛くなったら、其れがしにそなたを救わせて頂きたい」

遙殿は、少し驚いたように俺を見つめていたが、やがて、切なくなるほど儚い笑みを浮かべた。

「幸村、ありがとう。まだ大丈夫。強くなるって、月に約束したから」

そう微笑んだが、壊れそうなほど繊細な笑みだと思った。
何とも言えず、哀しくて、俺に出来る事ならなんでもして差し上げたかった。


俺はまだその時は、その想いの名を知らなかった。
胸の奥に小さく芽生えたその想いの名を…。
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