Outbreak -3-

部屋で、政宗の写真を眺めていると、躊躇いがちに、外から幸村の声が聞こえた。

「遙殿、入ってもよろしいか?」

私は慌ててアルバムをバッグの中にしまった。

「どうぞ」

そう言うと、障子が開けられ、幸村が部屋の中に入って座った。
いつも明るい幸村が、とても浮かない表情をしていて、何か良くない事があったのだと感じた。

「何か良くない話ですか?黒脛巾組のことですか?」
「黒脛巾組?ああ、佐助から聞いたのだな。それは佐助に任せていれば心配ござらん。…遙殿、落ち着いて聞いて欲しい」

幸村は怖い位、真剣な表情で私を見つめた。
あまりに幸村が真剣なので、私も緊張してしまい、膝の上に揃えた手をぎゅっと握った。

「今、この甲斐の国では、疱瘡が流行り出しているのでござる。それがどういう事か、そなたなら分かるであろう?」
「疱瘡…!?」

疱瘡とは、水疱瘡と天然痘の両方を指す。
幸村の表情が浮かない事から、致死率の高い天然痘の方が流行しているのだろう。

「そんな…っ!!」

天然痘は私がいた世界においては根絶されて久しい。
でも、20世紀半ばまで、世界を震撼させた脅威の感染症だ。
ワクチンを持たないこの時代では、生きるか死ぬかは本当に運任せだ。
しかも、エアロゾルでも感染するくらい感染力が強く、致死率も高い。

そして、何より…。
政宗が右目と母の愛情を失った原因の病だった。
天然痘から生還しても、皮膚、特に顔に酷いあばたが残る事から、古くは見目定めの病とも呼ばれていた事で知られている。

何とかして、人々を助けたい。
そう思うのに、一つ大きな問題がある。

私の世界においては、ワクチンの重篤な副作用のため、ワクチン接種が廃止され、私は天然痘に対して免疫を持っていないのだ。
天然痘に対する効果的な治療はワクチン接種しかない。
つまり、私はワクチンで免疫を獲得した後でないと治療に当たれないのだ。
要するに、今の私には何も出来ない…。

「そなたの力を借りたい。お館様が直々に話をしたいと仰せでござる。其れがしと共に来てくれまいか」

死の恐怖を身近に感じて、手が震える。
微生物学の教科書で見た、天然痘患者の発疹を思い出すと、恐ろしい。
それでも、行かなければ。
出来る事を探さねば。

私は頷き、幸村と共に信玄公の下に向かった。


信玄公の部屋に行くと、信玄公が難しい顔をして、腕組みをしていた。
幸村に続いて部屋に入り、私が座ると、信玄公は低い声で呻いた。

「ふむ。よう参った。幸村から聞いておろう。この甲斐の国で疱瘡が流行っているという事を」
「はい」
「お主の力で何とかならぬか」

信玄公は射るような視線で私を見つめた。
私にも、出来る事と、出来ない事がある。
それが果たして分かってもらえるか。
私は魔法使いではない。
少し迷って、私は答えた。

「出来る事と、出来ない事があります」
「ふむ、出来る事と出来ない事とな。それはどういう意味じゃ?」
「まず、出来る事は、疱瘡が水疱瘡か天然痘か見分ける事です。もし、水疱瘡なら命にそこまで危険でなく、また治療薬もあります。もし、天然痘なら…発症して4日以内なら助けられるかも知れません。でも、それには大きな問題があります」
「問題とな?して、その問題とは」

臆病者と罵られるかも知れない。
それでも、真実を告げたかった。

「治療に当たる者は必ず病の耐性をつけてからでなくてはなりません。私には天然痘の耐性がないので、それが出来るまで何も出来ないのです」

信玄公は、片眉をつり上げて私を見た。

「そなた、臆病風に吹かれたか?病で死ぬのがそんなに恐ろしいか?」
「いいえ、そうではありません!もし、私が天然痘にかかってしまって、それとは知らずに患者を診察したら、天然痘にかかっていない患者にもうつしてしまいます。私が病の運び屋になってしまいます。それに、私が病に倒れてしまったら、治療出来る人もいなくなります」
「ふむ…」

信玄公は難しい顔をして考え込んでいた。

「病の耐性をつけるのにはどれくらいかかるか?」
「早くて、7日ほど。それで、耐性が得られなければ、さらに7日かかります」
「7日じゃと!?その間、病を野放しにするつもりか!?お主、4日以内でないと助けられぬと申したではないか!!7日も放置したら、あっという間に病が広まるではないか!!」

信玄公は目を見開いて一喝した。
予想は出来ていた事なので、じっと私は堪えた。

「私も心苦しいのです。…出来るだけの事はします。患者様がいる地域だけ地図で教えて下さい。そして、そこには誰も近付けさせないようにして下さい。それが病の流行をこれ以上広げない最善の策です。まず私は天然痘かどうか確かめに行きます」
「むう…。あい分かった。お主に任せよう。病の流行っている集落を示した地図は後で幸村に届けさせる。下がってよいぞ」
「はい」

一礼して私はいったん部屋に下がった。
天然痘かどうか確かめに行くと言っても、私には免疫がない。
恐ろしくてたまらなかった。
天然痘ウィルスはアメリカ、ロシアの2ヶ所の専門機関で厳重に保管されているバイオセーフティレベル4の病原体なのだ。
世間を騒がせた大腸菌O157ですらバイオセーフティレベル3だ。
バイオセーフティレベル4は、危険度では最も高く、その病原体を扱うには、特別な実験室で、厳重な防護服を着なくてはならない。
そんな装備も設備も私は持っていない。
あるのはマスクと手袋くらいだ。

どのような対策を取るべきか、私はスマートフォンを取り出して検索を始めた。
WHOが行ったと言われる封じ込め作戦や、現地で出来る装備について知りたかった。
スマートフォンのデータベースにそれは入っていた。
少し長いその英文の文書を20分ほどで読み終えた時の事だった。

「遙殿、入ってもよろしいか?」

幸村がやって来た。
私はバッグの中にスマートフォンをしまった。

「どうぞ」

部屋に入ってきた幸村は地図を携えていた。
私の前に座ると、幸村は地図を広げた。
感染拡大地域に印がついている。
離れた場所で同時多発的に発生していたら、手がつけられないと心配していたが、天然痘が発生している集落はかたまっていた。

「本来なら甲斐の地図を外部の人間に見せてはならぬのだが、お館様はそなたを信用している。あんな風にそなたを怒鳴りつけたりはしたが、お館様はそなたに悪気があった訳ではない事をご理解頂きたい。されど、この地図を渡す訳には参らぬので、其れがしがそなたに付き添って、持っている事になった。其れがしもそなたと参る」
「付き添う?幸村さんも来るんですか!?危険過ぎます!ダメです!一人で行かせて下さい!」

そう抗議すると、幸村はにこりと笑った。

「心配ござらん。そなたを守ると其れがしは誓った。病からは守ってやれぬかも知れぬがそなたが助けてくれるであろう?甲斐の国にも賊が現れる所もある。其れがしはそなたを守りたいのでござる!病など恐るるに足らず!そなただけ危険な目に合わせるなど、この幸村には出来ぬ。共に参ろうぞ!!」

見知らぬ土地で、一人で戦わなくてはならない。
そう決心していただけに、幸村のこの言葉は心に染み渡るようだった。
何て頼もしいんだろう。

私は、一人じゃないんだ…。

この世界に来てから、初めて心からそう思った。

「幸村、ありがとう。私、頑張る」

そう言うと、幸村は胸が締め付けられるくらい、眩しい綺麗な笑みを見せた。
初めての味方とも言える、幸村のこの笑顔が共にある間は、私は頑張れそうだと心から思った。

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