「まず、着物を脱いで、身体を洗うのが先です。身体を洗うお湯に薬を入れます。それで、病の元は洗い流せるはずです。着物もその薬を入れたお湯で洗います」
「そうか。では、湯を沸かさねばならぬな」
「湯船に入らない方がいいと思います」
「ならば、たらいに入れて持って参る。裏口に風呂場がある故、そちらに参ろう」
遙殿は、驚く事に、火の起こし方を知らなかったので、俺が代わりに湯を沸かした。
その間、遙殿は石の上に座り、疲れた表情でじっと手元を見ていた。
湯が沸いたので、先に遙殿に湯を使わせて、その後でまた湯を汲み、俺も少しツンとする臭いの湯で身体を洗い、2人とも着替えてやっと落ち着いた。
遙殿が2人の着物をたらいに張った湯にしばらく漬けて、洗って外に干した。
その間に武田の屋敷から握り飯と漬け物が届けられ、洗濯が終わった後、俺達はほとんど言葉を交わさずにそれを食べた。
そして、食事の後に茶を沸かしていた時の事だった。
佐助が音もなく現れた。
佐助は冷たい目で遙殿を見た。
「旦那を危険な目に合わせないでよね」
そう、鋼のような声で佐助が言う。
遙殿は瞳を伏せた。
「ごめんなさい…」
「それから。…肝心の病の人を診ないってどういう事?怖かったの?医者のくせに、逃げ帰って来た訳?」
流石に佐助を咎めようとしたその時だった。
遙殿は弾かれたように立ち上がり、佐助を平手打ちした。
乾いた音が部屋に響き渡った。
佐助は、打たれた頬を押さえ、驚いたような表情で遙殿を見つめた。
俺も驚いた。
佐助がそんな隙を見せていた事にではなく、遙殿がとてもそんな事をする人間に見えなかったからだ。
だからこそ佐助も油断したのだろう。
遙殿は目にいっぱい涙を溜めたまま佐助を睨み付けた。
「何も知らないくせに、知ったような口、利かないで!!どんなに悔しいか、分からないくせに!!私だって、助けられるものだったら助けたかったよ!!」
そう言うと、遙殿はへなへなと崩れ落ち、両手で顔を覆って声を殺して泣き始めた。
佐助は、驚いたように遙殿を見つめていたが、我に返ると小屋を出て行った。
「佐助!!」
「幸村、待って!!」
遙殿に止められて、俺は振り返った。
遙殿は涙を一生懸命拭いながら、鞄を引き寄せた。
「佐助の所に行くなら、佐助にも予防接種してあげて。私は、今、佐助に合わせる顔がないから…。それから、佐助に、忍隊の人にも接種するように伝えて。道具を渡すから、やり方を教えてあげて」
遙殿は佐助を恨んでも仕方がないくらいなのに、何故そんなに優しいんだろう。
殺されそうになったり、刺々しい言葉ばかりぶつけられたりしているのに。
「そなたは、何故、そんなに優しいのだ?」
「優しくなんかない。天然痘は、哀しい、哀しい、病だから。それで、もう、誰にも傷付いて欲しくないだけ。…佐助にも。忍隊が病に罹ったら、全国に広まってしまう。そんなの、ダメ」
優しくなかったら、そんな言葉は出て来ない。
遙殿は、やっぱり優しい。
俺は、両手で遙殿の肩を叩いた。
「礼を言う。佐助の所に行って参る」
そう言うと、遙殿は頷き、俺に大量の薬と針を託した。
小屋の外に出ると、佐助は木に背中を預けて立っていた。
「佐助…」
「俺は謝らないよ。危険な事、もう止めてよね。勤め先、なくなるし」
「悪かった。しかし、病の人は見過ごせぬ」
佐助は溜め息を吐いた。
「そんなのは医者に任せておけばいいでしょ?」
「それより、佐助。遙殿から事付けがござる」
「ふーん、何?」
佐助は警戒心露わに俺を見つめた。
「お主が疱瘡にかからぬよう、予防の薬をお主に打って欲しいと頼まれた。お主の忍隊の分もある。俺がお主に薬を打つから、それを覚えて忍隊の皆にも打ってやって欲しいと」
そう言うと、佐助は驚いたように目を瞠った。
「何…で…?俺、恨まれる事しかしてないのに…」
「疱瘡は、哀しい病だから、誰にも罹って欲しくないのだそうだ。…佐助、お主にもな」
佐助は、何か葛藤するような表情で俺を見つめていたが、やがて、俯いてぽつりと呟いた。
「馬鹿だよ…。そんなんで、戦国の世を生きられる訳ないだろ?本当に、馬鹿…。馬鹿のお人好し…」
俺は佐助の肩を叩いた。
「遙殿はそういうお人だ。お主も素直になれ。遙殿を、信じよ」
佐助は頷きも拒否もせず、ただじっと足元を見つめていた。
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