最初の日のように無茶をする事はなくなったが、それでも、遙殿は長く集落に留まり衛生指導などをじっくりして帰るので、いつも小屋に帰り着く頃には日が暮れていた。
俺は心配でたまらなかった。
死病で、そばにいるだけでうつってしまうと言われる疱瘡の患者が多くいる所に毎日長く留まるので、遙殿も疱瘡で倒れてしまうのではないかと思った。
俺自身も怯えていた。
遙殿が決して患者に触れさせないようにしてくれているから大丈夫だと思う一方で、疱瘡の患者を目の前にすると恐ろしかった。
なのに、遙殿は恐れる素振りも見せず、むしろ、優しく微笑みかけて、患者を勇気付け続けた。
その慈愛に満ちた姿は、伴天連の信仰する聖母まりあを連想させた。
あまりに美しくて、優しくて、その笑顔を見つめている間、何故か、胸が苦しくて、切なかった。
3日目の夜の事だった。
いつものようにたらいで湯を使い、食事をした後、遙殿は疲れた目をしてとても元気がなかった。
時折、がたがたと震える。
確かに甲斐の夜は寒い。
だから俺も火を絶やさないようにしている。
しかし、遙殿がこんなに震えるのは初めてだった。
疱瘡に罹ると、最初に高熱が出るのだと遙殿が言っていた。
まさか、遙殿は疱瘡に罹ってしまったのか…!?
そう思うと、顔からざあっと血の気が引く思いがした。
だめだ…!!
そなたは死んではならぬ!!
「遙殿!!まさか、まさか、そなた疱瘡に!?」
遙殿は少し考えて、首を横に振った。
「違うと思います。…多分。疲れただけですよ」
「しかし、そんなに震えているではないか!!この部屋は暖かい。夜とは言え、そんなに震えるのはおかしいでござる!頼むから、少しでも早く休んで下され!!」
俺は立ち上がり、囲炉裏の周りに布団を敷いた。
夜は冷えるため、こうして2人で囲炉裏を囲んで寝ている。
戦場で、雑魚寝をする事もあったが、女人とこうして2人きりで眠るのは初めてで、まだ落ち着かない。
それでも、寝床に入って緊張が解けると、間もなく深い眠りに就く日が続いていた。
遙殿は俺が布団を敷くのをぼんやりと見ていた。
普段なら自分の布団は自分で敷くのに、立ち上がる元気もないようだ。
熱に浮かされたような顔をしている。
俺は不安で堪らなくなった。
「ごめんなさい。先に横になります」
そう言うと、遙殿は布団に入った。
それでも、がたがたと震える。
武田の屋敷と違って、この小屋の布団は粗末だ。
薄く、硬く、掛け布団も申し訳程度だ。
横になると底冷えがする感じがする。
ただでさえ寒気がする遙殿には辛いだろう。
辛そうに眉根を寄せて震える遙殿を見ていると、気が気でない。
何とか出来ないものか…。
そう考えていると妙案が浮かんだ。
とは言え、実行するのにはいささか躊躇いがある。
意識すれば意識するほど、自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
雪山で遭難した猟師は、犬と身を寄せ合って暖を取るのだと聞いた事がある。
犬はいないが、俺がいるではないか…?
しかし、それは嫁入り前の娘を抱き締めるという事になる。
そんな、破廉恥な事が出来るはずがない…!!
そう叫び出したくなるほど恥ずかしいのに、目の前の遙殿は辛そうに苦しそうに震えていて、何とかしなければと思う。
「う〜」
「どうしたんですか?」
思わず悩みが声になって出てしまった。
遙殿は、怪訝そうに俺を見つめた。
そうまじまじと見られると実行に移しにくい。
それでも、腹を括るしかなかった。
何とかして遙殿を助けたかった。
「遙殿、御免つかまつる!!」
そう言うと、俺は立ち上がり、遙殿の隣りに横になると、ぎゅっと抱き締めた。
「え…!?」
遙殿は驚いて、力なく俺の腕の中でもがいたが、俺は構わず抱き締めた。
「幸村…?」
不安そうな声で、遙殿が俺を呼ぶ。
俺は、顔を見られないように、遙殿の後頭部を引き寄せ、胸に押し付けた。
「寒いのであろう?こうしていれば、少しは楽になるはずでござる」
「でも…」
「其れがしは犬でござる!!」
「は?」
俺がそう言うと、遙殿は呆気にとられたような声を上げた。
「雪山で遭難した猟師は、犬で暖を取るのでござる。其れがしを男と思えば抵抗もござろうが、犬と思えば抵抗もなくなろう」
驚いたように遙殿は固まっていたが、やがてくすくすと笑い出した。
「ふふっ、犬…」
「う…。そんなに笑わないで下され。其れがしとて恥ずかしいのでござる」
「ごめん、幸村。…でも、いいよ。そんな事してくれなくても大丈夫」
「駄目でござる。遙殿が眠るまで、離さぬ」
もがく遙殿を抱き締めた。
遙殿はしばらくもがいていたが、流石に男の力には敵わず、やがて諦めた。
少しは寒くなくなったのか、先ほどよりは震えていない。
「あったかい…」
遙殿の口からホッとしたような声が漏れる。
見下ろすと、口許を幸せそうに緩めて、眠りかかっている遙殿の綺麗な顔が間近にあった。
何故かその顔を見て、とても安らぐ気持ちがした。
とても、大切にしたいような、何とも満たされた気持ちになる。
背中をとんとんと叩いていると、やがて、遙殿は小さな寝息を立てて眠り始めた。
髪をそっと撫で、ぎゅっと抱き締めると、何とも言えない、切ないような気持ちになる。
満たされると同時に、もっと温もりが欲しくて、何かを奪いたいような気持ちに駆られる。
ふと、天井裏が軋む気配がして、俺は現実に引き戻された。
俺は、佐助がいるのだと感づいた。
佐助が俺を見守るのは当たり前なのに、この光景は見られたくなかった。
誰にも見せたくなかった。
俺は、遙殿を起こさないように外に出た。
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