旦那は遙に恋をしている。
俺だって遙の事が心配で、出来るなら看病してやりたいのに、旦那が決して俺を小屋に近付けなかった。
忍の妙薬を渡そうとも思ったけれど、遙が薬は持っているからと断られてしまった。
遙の治療が的確なのはお館様の手当てで実証済みだ。
俺は何も出来ない…。
何度か俺に状況を伝えるために、旦那が外に出て来たけれど、事態はあんまり芳しくない様子だった。
遙とは、まるで喧嘩別れのように別れたっきりだ。
俺はもう遙を疑っていない。
出来れば言葉を交わしたい。
真田の旦那の前でおどけるように、屈託なく遙の前で笑いたい。
でも、旦那がああもべったり遙にまとわりついていて、俺は俺で外の警備を命じられているから出来なかった。
それに、伊達も諦めた訳ではないらしい。
黒脛巾組は一旦は引いたものの、新たに部隊を再編成して、忍を甲斐に送り込んで来ているらしい。
主に疱瘡の流行っている集落を偵察しているようだから、甲斐の病の流行状況を調べているだけかも知れない。
甲斐と江戸はそう遠くはない。
江戸へ飛び火する事を恐れているだけなのかも知れない。
今までほど活発には活動していないので、俺は奴等を泳がせておく事にした。
遙にさえ接触しなければこちらは探られても痛い腹などない。
そう、問題は遙なのだ…。
遙自身にその気がないとしても、伊達と何か繋がりがある気がしてならない。
黒脛巾組が探しているのは遙なのかも知れない。
それを確かめるには、俺自身が伊達に潜り込んで偵察すればいいのに、この場を離れられなかった。
いや、離れたくなかった。
それは、真田の旦那を守らなくてはならないというのもある。
でも、そこいらの野盗相手にやられるような旦那ではない。
いくら遙が足でまといになるとは言え、そんな事で負けるような旦那じゃない。
俺がこの場を離れたくないのは…。
旦那の腕の中で眠る遙と、遙を愛しげに見つめる旦那を見てしまったからだ。
あの奥手の旦那に限って間違いが起きたりなんてことは絶対にないとは思うけれど、二人寄り添って眠っていると思うと、何故か嫉妬のような感情が心の中で渦巻いた。
こうして外にいても気が気でしょうがない。
いっそ二人の様子を見に行くか…。
旦那は忍の気配に敏感だけど、俺だって伊達に忍頭ではない。
完全に気配を殺す事だって出来る。
俺は細心の注意をはらって、天井裏に忍び込み、羽目板の隙間から部屋の様子を覗いた。
その時の俺の衝撃をどう言い表せばいいだろう。
だって…。
遙があんなに穏やかで幸せそうに、旦那の腕の中で、微笑みながら眠っているなんて思ってもみなかったから。
元々綺麗な子だとは思っていたけれど、幸せそうに緩み切った表情は可愛らしく、今まで見た事がないくらい綺麗な表情だった。
遙は眠りながら旦那の背をギュッと抱き締めた。
そして幸せそうに頬ずりをする。
まさか…。
遙は旦那に恋をした…?
二人の気持ちが結ばれるのは喜ばしい事なのに俺の気持ちは晴れなかった。
何故か心の奥がまたつきんと痛んだ。
ああ、俺は旦那に嫉妬してるんだ。
遙の笑顔を奪ったのはきっと俺自身なのに、遙があんな風に旦那の腕の中で微笑むから。
俺だって遙とああいう風に微笑み合いたい。
だって、遙には柔らかな日差しのような微笑みの方が似合うから。
「絶対に離さないでね」
そう遙が囁くと、旦那は切なげな表情を浮かべて遙を抱きすくめて、その頬に接吻を落とした。
胸が苦しくて堪らない。
「ああ、そなたを離さぬ。誰にも渡さぬ」
旦那がそう言うと、遙は至極嬉しそうに笑い、旦那の頭を引き寄せて頬に口付けた。
もうこれ以上見ていられなかった。
元々、俺なんて最初から遙に嫌われている。
こんな風に嫉妬する方が間違っているんだ。
俺は影の存在。
旦那と遙の恋を、兄のような温かい気持ちで応援する方が似つかわしい。
これ以上二人の様子を窺うのが、辛くて、馬鹿馬鹿しくて、俺はそっとその場を離れた。
今でも胸を張って言える。
あの時から、俺は君の幸せを心から望んでいたんだよ…。
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