和解 -1-

チュンチュンと雀の鳴く声で目を覚ました。
薄っすらと目を開けると、腕枕をするように伸ばされた自分の腕が見えた。
まだ温もりはそこに残っているのに、遙殿の姿が見えない。
俺は、がばりと身体を起こした。
佐助が外を警備しているはずだから、滅多な事が起きるはずはない。
そんな事ではなくて、俺が心配したのは…。
いや、落胆したのは、抱き締めていた温もりが、もうそこにはなかったからだった。
そう広くはない部屋を見回すと、遙殿は、部屋の角で膝を立てて座り込み、何やら膝の上で、見た事もない不思議な板のようなものを熱心に見つめていた。

「遙殿、お目覚めであったか。朝はまだ冷え込む。大丈夫でござるか?」

そう尋ねると、遙殿は困ったような表情を浮かべ、膝の上に乗せた板を隠そうとする仕草を見せた。
あれも、未来の道具なのだろうか。
好奇心から近付いて覗き込むと、遙殿は、はぁっと溜め息を吐いた。

「幸村なら、いっか…」
「其れがしなら…?」

それは、遙殿が俺を信頼してくれているからだろうか。

「佐助に見つかったら、また問い詰められて、殺されそう」
「そんな事は、この真田幸村が断じて許さぬ。それに、佐助は、もうそなたを疑ってはいない」
「そうかなぁ…」

遙殿は、憂鬱そうにまた溜め息を吐いた。

「身体はもう大丈夫でござるか?まだ辛いようだったら、休むといい。其れがしがついている」

そう言うと、遙殿は、かあっと顔が真っ赤になった。

「ご、ごめんなさい。そんな気もないのに、男の人の腕の中で眠ってしまって…。本当に、ごめんなさい。…はしたない女だと思ったよね…。でもね、誰とでもこうして寝る訳じゃないの…。あっ!でも、幸村が好きとか、そういうのじゃなくて、あの…その…」

口ごもりながら、段々声が小さくなり、顔はますます赤くなる。
俺は、少しは期待していたのに、きっぱり好きではないと言われ、やはりとは思っていたものの、傷付かずにいられなかった。
遙殿が欲しかったのは、政宗殿の温もりだったのだろう。

どこで出会い、どうして恋仲になったのか、分からない。
佐助の報告によると、遙殿が突如として姿を現したのは、この甲斐の国で、初めて出会ったのは、俺とお館様なのだから。
だから、不思議で堪らなかった。
未来の仙台で、政宗殿の偉業に惚れ込んでいただけかも知れない。
それなら、何故、遙殿は、「政宗、愛してる」と呟いたのだろう。
分からない事だらけだ。

一体、どこで出会ったのか。
どうして恋に落ちたのか。
何故、政宗殿は、姫との縁談を断り続けるのか。

尋ねたい事はたくさんあった。

政宗殿も、遙殿を好いているから、姫との縁談を断り続けているのではないか…?

そう考えれば、辻褄が合う。
しかし、そんな事はとても容認出来なかった。
姫の婚儀はお館様の悲願。
そして…遙殿への恋心に気付いてしまった今、政宗殿に渡してしまいたくなかった。
ずっと甲斐の国で、暮らしていけばいい。
遙殿は、いつかは自分の国に帰ってしまうかも知れないが、その日まで一緒にいられるのであれば、それでも構わない。
少しでも、共に過ごして行きたい…。

「幸村…さん…。どうしたの…?」

知らぬ間に怖い顔をしていたのか、遙殿が怯えたような表情で、俺の顔を見つめていた。

「他人行儀な呼び方は、やめてはくれまいか。幸村と呼んでくれ。それから、敬語もやめて欲しい」

遙殿は、何度か口を開き、悩んでいる様子だったが、やがて、小さな声で、「幸村」と俺を呼んだ。
それがたまらなく嬉しくて微笑むと、遙殿もやっとホッとしたように柔らかく笑みを浮かべた。

やはり、そなたには陽だまりのような笑顔が似合う。
月の精のような、儚げで冷たい哀しい顔より、ずっと。

その頬に触れたい…。
でも、そんな破廉恥な事は到底出来なくて、俺は誤魔化すように、遙殿の膝の上に置かれた板を覗き込んだ。

「これは、何でござるか?」
「これは…。未来の機械」
「機械…からくりでござるか?」
「そうとも言えるかな」
「何に使うのでござるか?」

元親殿の作る、戦用のからくりには全然見えない。
板は、白く光り、俺には見た事のないような、文字のようなものがびっしりと書いてあり、天然痘にそっくりな膿疱が顔に出来た、異国人の絵が描いてあった。
それが、まるで実物のようで、どんな絵師にも描けそうにないほど精彩だった。

「これは、文字でござるか?」
「うん、そう」
「遙殿の国の言葉でござるか?其れがしには読めぬ」

遙殿は、ふふっと小さく笑った。

「私の国の言葉は、幸村の国の言葉と一緒だよ。これは、異国語。英語って言ってね、うーん、ねぇ、幸村?」
「何でござるか?」
「あのね…Let's party!!って誰かが言ってるの、聞いた事がない?」
「れっつぱーりー、でござるか?」

記憶を辿る。
どこで聞いたか…。
そして、すぐに、それを聞いた光景が鮮やかに脳裏に蘇った。
弦月の前立てと同じように吊り上げられた口元。
挑戦的で不遜な瞳。
迸る殺気と威圧的な強さ。
忘れもしない、政宗殿がよく口にしていた言葉だ。
政宗殿は、異国語を好んで使う。
伊達軍の兵士達もそうだ。
遙殿は、やはり、伊達と繋がりがあるのか…?

「そなた、政宗殿の知り合いか?それは政宗殿の口癖でござる」
「そっか…」

其れがしの質問には答えず、遙殿は遠い目をした。
何かを懐かしむような…。
しばしの静寂を破ったのは遙殿だった。

「異国語と言っても、一括りには出来ないの。この世界は、幸村が思っているよりずっと広くてね、色々な国の言葉があるんだよ。ここに書かれているのは、英語。政宗様が使ってらっしゃるのと同じ言葉。あと、私が読めるのは、ドイツ…神聖ローマ帝国の言葉と、フランス語、イスパニア語くらいかな」

世界がどんなに広いかは、政宗殿の居城の屏風絵で見た事がある。
あまりの世界の大きさに、そして日本のあまりの小ささに驚いたものだった。
確か、中でも神聖ろーま帝国と、ふらんす、いすぱにあはとても大きな国だった事を朧げに思い出す。

「そなた、世界中の言葉が分かるのだな」
「そんな事ないよ。大国の言葉がある程度分かるだけ」
「それだけでも、其れがし、感服致しまする!」

本当に、遙殿の教養は驚くべきものだ。
そして…、例えば元就殿が遙殿を手に入れて、大国と和議でも結ぼうものなら、政宗殿の天下すら危うくなる。
いや、元就殿だけでなく、他の大名でも…。
やはり、政宗殿におとなしく差し出すのが、日の本の平和になるのだろうか…。
しかし、遙殿には今しばらく甲斐にいてもらわなければ困る。
疱瘡の流行を止められるのは遙殿だけなのだから。

「ここには何が書かれているのでござるか?」
「簡単に言えば、疱瘡の治療法。膿疱が出来た患者さんでも助けられないかなって思って調べてたの。助からない人もいるかも知れないけれど、もしかしたら、命だけでも助けられるかも知れないってここに書いてある。確率はそんなに高くないけど、私もそろそろ病への免疫が出来てきたはずだから、急がなきゃと思って。しばらく私はここには帰って来ない事に決めた。幸村を危険な目に合わせたら、お館様と佐助に合わせる顔がないから、ここからは一人で頑張るよ」

遙殿は、凛とした真剣な眼差しで俺を見つめた。
確か、病への耐性が完全に出来るまであと1日か2日かかるはずだ。
…遙殿は、死ぬ覚悟を決めているのかも知れない。
そんな事をさせる訳にはいかなかった。
やっと想いに気付いたのに、一人で死なせる訳になんていかなかった。
死ぬなら俺も一緒に…。

「ならぬ。そなたを一人では行かせぬ。共に参ろう」
「でも…」
「そなた一人で診るには患者が多過ぎる。人手は多いに越した事はない」
「…命の保証は出来ないよ?」
「ならば、尚更だ。そなた一人で死なせるものか」

遙殿は言葉を失い、目を瞠って俺を見つめた。
俺は、微笑み頷いた。

「其れがしを見くびってもらっては困る。これでも日の本一の、武士ぞ。死ぬ覚悟はとうの昔に出来ている」

遙殿の瞳に涙が盛り上がっていく。
しまった!泣かせてしまった!
俺が慌てると、遙殿は俺の手をそっと握り、震える声で囁いた。

「幸村、ありがとう…。私、頑張る」
「其れがしは、そなたを守り抜く。この命を懸けて」

俺も遙殿の手を握り返した。

このまま二人で儚くなってしまったら、ずっと共にいられるのだろうか。
死ぬのを怖いと思った事はない。
ただ、もし二人で死ねるのなら、死とはとても幸せな事かも知れないと、そう思った。
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