初めて遙様のお顔の絵を拝見した時も、あまりの精彩さに驚いたものだったが、それは小さな絵だったし、ちらりと見ただけだったから、余程腕のいい絵師が描いたのだろうと納得していた。
でも、この絵の精彩さは何と表現したらいいだろう。
まるで、風景をそのまま切り取って、紙に写し取ったようだ。
そんな絵が、何枚も台紙に貼り付けてある。
そして、見た事もない風景が広がっていて、この日本にはない、全く別の世界のようだった。
その世界の中で、政宗様が、とても美しく、また同時にとても可愛らしく知的な女性と仲睦まじく手を繋いで微笑んでいる。
この女性がきっと遙様なのだろう。
遙様も政宗様を見上げ、眩しい笑顔を真っ直ぐに政宗様に向けていた。
お二人の笑顔を見るだけで、分かる。
どんなに互いの事を愛しく思っておられるか。
政宗様も、遙様も、見た事のないような服を着ておられる。
夏なのだろうか、肌を大きく露出していて、この国では考えられないような格好をしている。
政宗様は、一体どこで、この絵を…?
何時の間に…?
「政宗様、ここは一体どこでございますか?何時の間にこんな所にいらっしゃったのですか?」
政宗様は、少しの間、言葉を探すように沈黙をして、そして、おもむろに答えた。
「何時の間に、か…。春日山城での戦の間、お前とはぐれた時だな。俺は、どういう訳か、異世界に飛ばされた。異世界というか、未来の世界と言った方がいいか」
「異世界、未来の世界、でございますか」
とても信じられないような話だが、こうして信じ難いような絵を実際に手に取って見せられると、一笑に伏してしまう事なんて出来なかった。
「しかし、政宗様。遙様を失ったのは、春日山城を攻め落とす少し前だと仰いましたね」
「ああ。俺が消えたのは、戦の途中だったが、帰って来たのは、出立の前の時空だ」
頭が混乱して来た。
政宗様は、戦の途中で消えて、それより前の時に戻って来たと。
それでは、過去と未来を行き来した事になる。
しかし、それはとても短い時間だ。
困惑して黙り込んでいると、政宗様が補足するように話し始めた。
「お前が混乱するのも分かる。実際に体験した俺ですら、混乱したんだからな。とにかく、俺はこの世界から一度消え、異世界に飛ばされ、遙と出会った。正確には、俺は遙の部屋に飛ばされたんだ。おかしかったぜ。初めて出会った時、二人とも夢を見てるんじゃないかって顔しててな。遙も驚きのあまり、最初は夢か幻覚を見てるんだと思ってたらしいからな。俺だって夢の中に迷い込んだと思ってた」
遙様の部屋に現れたという事は、遙様が政宗様を攫ったのではないかと一瞬疑ったが、政宗様の話を聞く限り、どうもそういう訳ではなさそうだ。
「でも、夢はいつまで経っても覚めなかった。眠って起きても、俺は遙の部屋にいるままで。それで、やっと、自分が異世界にいるんだと納得せざるを得なかった…」
政宗様は、一息吐くと、脇に置いていた煙管を手に取り、煙草を燻らせた。
「前にも話した事があると思うが、遙って本当に馬鹿みたいにお人好しでな、困ってるやつがいるとほっとけない女なんだ。若い女一人の所帯に、男を住まわせるなんて、危険極まりないのにな」
「それで、政宗様は、すぐに遙様に手を出されたのですか?」
全く、このお方はいつも手を出すのが早いのだから、と非難を込めた目で見つめると、政宗様は、不貞腐れたようにふいと顔を逸らした。
「そんな事、してねぇよ。そんな事…出来なかった…」
絞り出すような声で低く呟き、また政宗様の隻眼が潤み始める。
そして、激情を露わにして声を張り上げた。
「あんなに別れがすぐ訪れる事が分かってたら…!いや、それでも、無理だった!他の女だったら、戯れにすぐに抱けた!でも、でも…初めてだったんだ…。あんな気持ち…。狂おしいくらいに、愛しくて、たまらなくて。大切過ぎて、傷付けたくなくて…。いずれ、遙の前から消えてしまうと思ったら、俺の恋心なんて封印して、絶対に手を出さねぇって心に決めてた。遙を傷付けたくなかった。あの頃はな…」
瞳に溜まった涙が頬を滑り落ちていく。
政宗様は、それを拭わないまま、言葉を続けた。
「でも、いまだに後悔してる…。結局惹かれあって、一線を越えてしまうのなら、何でもっと早くあいつを抱かなかったのかってな。もっと、もっと、この腕で抱き締めていたかったっ…!!たった一ヶ月半しか一緒にいられないのなら、尚更っ!」
また溢れ出した涙がぽたりと着物の上に落ちた。
膝の上で、拳が、固く固く握り締められている。
溢れる涙を隠そうともせずに、切々と紡がれる言葉が痛いくらいに胸に突き刺さった。
政宗様は、初めての恋で、そして、本当に深く遙様を愛してしまったのだとひしひしと感じられた。
例え、一ヶ月半しか一緒にいられなかったのだとしても。
異世界の女だったとしても。
大切過ぎて、女に手を出せない政宗様なんて、余程の事だ。
俺の推測に過ぎないが、政宗様は異世界で遙様と一ヶ月半の時を過ごし、そして、この世界の、春日山城を攻め落とす戦の前の時に戻って来られたのだろう。
言葉を切って、声を押し殺して涙を流す政宗様を、俺は見ていられなくて、書物に目を落とし、頁をめくっていった。
燦々と降り注ぐ陽射しの中で、政宗様と遙様の笑顔が輝いていた。
内緒話をするように、政宗様が耳元で囁いているのを聞いて、堪え切れないように笑う遙様の絵。
額をくっつけて嬉しそうにくすくすと笑うお二人の姿。
そして、幸せそうに接吻を交わしているお二人。
どれも、幸せに満ち溢れた絵ばかりだった。
政宗様がこのような笑顔を浮かべているのを、俺は初めて見た。
どんな言葉よりも雄弁に、政宗様が深く深く遙様を愛しておられるのが伝わって来た。
こんなに深く愛しておられるのなら、どんな手を尽くしても遙様を探し出して、お二人を再会させて差し上げたい。
もし、この世界におられるのなら…。
遙様がご友人と思しき女性とじゃれるように抱き合っている絵もあった。
とても仲睦まじい様子で、友人にも大切に思われるお人柄が現れているような絵だった。
初めて見る俺ですら、眺めているだけで心の中が温かくなって、幸せな気持ちになるような絵を、政宗様は一体どんなお気持ちで眺めていらしたのだろう…。
愛した女が、いまだに色褪せる事なく写し出された、この書物を…。
食い入るように絵を次々に見て行くうちに、最後の頁に辿り着いてしまった。
頁をめくって、俺は思わず息を呑んだ。
それまでの絵と違って、それは大きな一枚絵だった。
閨で一夜を明かした後なのだろう。
胸の所までぞんざいに引っかけた夜着に覆われているが、胸元から上が露わで、綺麗な鎖骨、華奢な肩がさらけ出されていて、そして左腕が、無造作に布団の上に投げ出されている遙様の絵だった。
その左手には政宗様の指輪と同じ指輪がはめられていた。
夜着では覆い切れなかった白い脚も、太腿の中程から露わで、膝が緩やかにくの字に曲がっている。
脚が長くて、少し筋肉質でほっそりとしていてとても綺麗だ。
遙様の鎖骨のすぐ下には、政宗様の物と対の翼の首飾りがあった。
長い睫毛が伏せられて、ぐっすり眠っている様子で、しかし、口元はとても幸せそうに緩んで微笑んでいた。
これはきっと絵師に描かせたのではない。
何らかの方法で、政宗様ご自身がこのお姿を紙に写し取られたのだ。
愛する女と肌を重ねて、目覚めた時に、こんな寝顔を、身体を見たら…俺だって残せるものなら残しておきたい。
そんな風に思ってしまう程、とても幸せな光景だ。
政宗様が笑う気配を感じて顔を上げた。
「そんなに俺の女の寝顔を熱心に見るな。妬けてくる」
「め、滅相もございません!ただ、とても、お綺麗で、幸せそうな寝顔だと…!」
「身体も綺麗だと思って見てただろ?」
俺は顔を背け、咳払いをした。
見惚れていたのは確かだし、とても綺麗な身体だと思ってしまったのも本当の事だからだ。
他の絵より熱心に見つめていたのを知っていて、政宗様が揶揄をしているのも分かる。
貴方がこんな絵まで見せるのがいけないんです。
そう言いたかったけれども、この絵を一番最後の頁に貼り付けた政宗様のお気持ちを考えると、言葉が出なかった。
とても、とても、綺麗で幸せな光景だから。
夜伽の後の、女が眠る姿が、女の一番綺麗な姿なんだって事は、俺だって知っている。
政宗様は、一人、この書物を眺めては、遙様に思いを馳せていたのだろう。
愛し合った記憶を辿りながら…。
俺は黙って書物を閉じ、政宗様に差し出した。
政宗様は、複雑な表情で微笑むと、最後の頁を開いて、切なそうに見つめた。
「無防備な、寝顔。綺麗な身体、無造作にさらけ出しやがって。こんな顔されたら離れがたくなる。何度、そう思った事か…。連れて帰れないかも知れないなら、この寝姿だけでも持って帰れないかと思って、写真を撮った」
「写真、ですか?」
「ああ。風景をありのまま写し取る、便利な未来の道具だ」
それで、あんなにまるで実物のようだったのかと納得する。
そして、政宗様が写真を撮らずにいられなかったお気持ちも、痛いほど分かった。
政宗様に愛されて、幸せそうに眠る遙様の姿は、自分の主の女にも関わらず、俺の心を動かしたから。
政宗様は、俺が政略結婚をする事を固く禁じた。
想い合った女と必ず一緒になれ、と。
そうして、俺は、愛し合った女を娶った。
妻と過ごす日々はとても幸せな日々だが、あの写真を思い浮かべると、胸が痛む。
俺が妻を愛する以上に、政宗様は遙様を愛しておられる。
だからこそ、この身を政略結婚に捧げようとした時に、政宗様は、固くそれを禁じたのだ。
それなのに、俺は、無理矢理、政宗様の政略結婚を進めてしまった。
政宗様のお気持ちを完全に無視して…。
しかし、政宗様は、天下人。
俺と立場が違い過ぎる。
それでも…。
政宗様の本当のお気持ちを知った今、遙様が手に入るなら、政宗様にもう一度会わせて差し上げたい。
「政宗様…。こんな大切な写真を、この小十郎に見せてもよろしかったのですか?」
「ああ。お前は、愛妻家だからな。俺の気持ち、分かってくれると思った。他の男になんて見せられねぇよ。前田には、ほんの一部しか見せねぇ。いや、見せたくねぇな」
「政宗様のお気持ち、痛いほど分かりました」
俺は居住まいを正した。
「まずは、前田慶次に遙様かどうか確かめましょう。もし、本当に遙様ならば、政宗様ご自身でお迎えに行って差し上げて下さい」
「小十郎…」
「真田幸村と戦闘になってもいた仕方ないでしょう。腕利きを集めます。あくまでお忍びですから、人数は割けませんが」
「Thanks, 小十郎…」
礼を言う、政宗様の声は震えていた。
泣くなら一人で泣きたいだろう。
俺は立ち上がると一礼をし、政宗様の部屋を出た。
そして、声を張り上げる。
「おいっ!何をぐずぐずしてやがるっ!草の根分けても早急に前田慶次を連れて来やがれ!今日中にだっ!!」
廊下で談笑していた野郎どもが俺を見て声を失って固まった。
「聞こえなかったか…?今、すぐ、手の空いてる奴ら片っ端からひっ捕まえて、前田慶次を探しに行けっ!!」
「わわわわ、分かりましたぁあ!」
走り去って行く男達の後ろ姿を見ながら俺は溜息を吐いた。
今度こそ、本物の遙様でありますように…。
政宗様が、お幸せになりますように…。
そう願わずにはいられなかった。
⇒Next Chapter
しおりを挟む
top