その間、何度も深い溜息を吐かれて、何を考えているのか気になる。
姫様の事か…。
姫様は、お館様の大事な姫君。
尊敬して止まないお館様の姫君と思い、この真田幸村、全身全霊をかけて姫様をお守りし、お育てして来たつもりだ。
武芸に長けて、お姿もお美しく成長なさった。
武田の誇れる姫君だ。
お若い故、少々子供っぽい所もまだおありになるが、それがまた可愛らしさを醸し出し、誰からも愛でられる姫君だと胸を張って言える。
政宗殿だって、姫様とお過ごしになったら、きっと心は晴れやかになり、お美しさと可愛らしさに、きっと心を奪われるだろう。
そして、お世継ぎがお生まれになれば、伊達も、武田も基盤が盤石なものとなる。
だからこそ、俺は、お館様のお考えに賛成したのだった。
でも…。
あの日、姫様は、泣きながら俺の所に来て、そして、接吻をしたのだった…。
接吻…。
接吻…せ、接吻、…だ、と…!?
「は、はははは破廉恥でござるっ!!」
「うわあああああ!おおお驚かさないでよ、旦那っ!何なのいきなり大声出して!!」
「ひ、姫様が!!」
「うん」
「お、おお俺に!!」
「はいはい」
「せ、せせ接吻だと!?」
そう叫ぶと、佐助は口をあんぐりと開けて固まった後、がくっとうなだれた。
「だから何度も言ってるでしょ?そうなの!今頃気付いたの!?そう、接吻!」
「なななな、何という事を、俺は!!」
「攻めたの姫様。押し倒されたの旦那。旦那、悪くないよ。隙見せたのだけが悪い」
「し、しししかし!」
「姫様に、奪われたの、初チュー。いい加減、現実見てよ」
佐助に何度も繰り返し言われると、何かが頭の中でパーンと弾けたような感覚がして、ふらあっと目が回りそうになった。
慌てて佐助が俺を支えた。
「もう!無自覚にも程があるよっ!大切な初チューくらい、ちゃんと覚えてなよ!姫様はね、旦那と初めて出会った時から、旦那に恋してたの!7つの頃から!」
「そ、そうなのか!?ななななならぬ!俺は、あくまで姫様の守役で、恋などと…!!」
恋という言葉に驚き身体を起こした。
あまりの事に、まだ頭が混乱している。
「あんだけ仲睦まじく、恋人同士みたいだったのに、酷いよ、旦那」
「それは!姫様を大切に思えばこそであり、この、真田幸村、姫様に手を出そうなどとは、毛頭!!」
「ふーん、そうだったんだ…」
急に佐助は、すうっと冷めた目でじっと俺を見つめた。
「遙は、抱こうと思えば抱けるのに、独占したいと思うのに、姫様は、無理なの?」
そう、鋼のような声で問い詰められる。
「そうだ。姫様は、決してこの真田幸村なぞが穢してなどならぬ、大切な、大切な、お方」
「あっそ。じゃあ、旦那に、姫様の行く末を教えてあげようか?」
佐助の目が、残忍な色を帯びた。
それが、碌な事ではないのはよく分かっている。
「姫様は、必ず、お幸せになられるっ!!」
佐助の言葉を打ち消すように食い下がると、佐助は鼻で笑った。
「いい加減、現実を見なよ、旦那。姫様はね、このままだと、伊達の旦那に嫁ぐのさ。それが、本当に幸せだなんて、虫がいいにも程がある」
「…どういう事だ…?」
「伊達の旦那は、婚儀に全く興味がない。姫様が嫁いだ所で、愛する事なんてないだろうね」
「そ、んな…。姫様はあんなにも愛されるべきお方なのに…」
「最悪の事態も教えてあげる。伊達の旦那って残忍だよ。城下の女、引っかけては戯れに抱いて、片っ端から捨てて来たんだから。…昔の話だけどね。そうだね…。どうしても、お世継ぎを、と周りに急かされたら、伊達の旦那なら、愛情を交わす事もなく、泣き叫ぶ姫様を碌に愛撫もせずに無理矢理犯して、男児が生まれるまで犯し続けて、男児が生まれたら、奥に囲ったまま、放置、だろうね」
あの可愛らしい姫様が、泣きながら無理矢理犯される…。
ざあっと血の気が引いていくような気がした。
そして、次第に、ふつふつと、怒りが湧いてくる。
姫様を穢すだけでなく、遙殿の心まで奪い、お館様に一目置かれ、これ以上、政宗殿は、この真田幸村から一体何を奪おうというのか…!?
「許さぬ…。許さぬぞ、伊達政宗ぇええ!!」
「ちょっ!大声出さないでよ。真夜中なんだから。あくまで、最悪の想定だからね。俺の勘では、伊達の旦那は姫様に手は出さないよ。…噂なんだけど、伊達の旦那は、何かに…いや、誰かに操を立てているらしいんだ」
「操を…?」
その噂ならば、以前、前田慶次から聞いたような気がする。
だから、縁談を片っ端から断っているのだと。
「ああ。そろそろ隠し子でも出て来てお家騒動にでもなるんじゃないかと探らせた事もあるけど、伊達の旦那は、天下統一を始めてから、誰も抱いてないらしいんだ」
「そう、か…」
そこで、遙殿の顔が脳裏に浮かんだ。
政宗殿が操を立てているのは、遙殿にではないのか、と。
遙殿は、涙を流しながら、政宗殿の名を呼んでいた…。
二人は、再会すべきなのかも知れない。
でも、それでは、お館様の悲願が…!!
そして、俺の、恋心が…。
「ねぇ、旦那…。旦那は本当に遙が好き?恋してるの?」
「この、狂おしいほど、恋しくて、誰にも奪われたくない、という気持ちが恋と呼ばれるものならば、恋なんだろう…」
「そっか…。遙は姫様と違った意味で、本当に綺麗だからね…。旦那が惹かれるのも、分からなくもない。でもね、旦那。遙は元々綺麗な子だけど、より一層綺麗に見えるのは、遙が誰かに恋してるからなんだよ。それも、苦しくて切ない恋を…。旦那に言われて初めて気付いた。想い人がいるから、あんなに綺麗なんだって」
「想い人…」
俺の宿敵、伊達政宗…。
「切なそうな、愁いを帯びた表情を浮かべた遙はとても綺麗だ。それは、俺も認める。だけど、旦那は、笑顔を取り戻したい、なんて思ってるうちに、惚れた気持ちになっちゃったんじゃない?俺にはないものねだりにしか見えないよ」
「ないものねだり、なのだろうか。こんな気持ち、初めてなのに…」
「そりゃ、そうだよ。姫様の時は何時の間にか両想いだったし、淡い恋心だったからね。遙を手に入れるには障害がある。障害がある恋ほど、男は惹かれ、燃えるもんだよ。だから、ないものねだり。遙を無理矢理奪ってどうするの?その後、すぐに冷めちゃうんじゃないの?」
また、佐助の声が鋼のように冷たく鋭利な刃のようになった。
俺は、答えられないまま、視線を泳がせた。
遙殿の事は好きだ。
でも、これは、一時の激情に過ぎないのだろうか…。
「俺…遙の事が好きだ」
「何…!?」
唐突な、佐助の告白に驚き目を瞠った。
佐助は真っ直ぐに俺を見つめていた。
「遙には、幸せになって欲しい。だから、旦那が無理矢理奪おうなんてしたら、俺は絶対許さない。必ず遙を守る」
「佐助…しかし、お主、惚れたおなごを奪ってでも側に置きたいとは思わぬのか?いつか、振り向いて欲しいと…。共に時を過ごして行きたいと…」
「そう…だね…。そんな気持ちもなくはない。でも、俺、はっきり分かったんだ。遙が恋してるのに気付いたあの時に…。遙の幸せだけを願おうって。馬鹿みたいにお人好しでさ、自分の身の危険も顧みないでさ、今もああして苦しんでいる人達を助けようと必死だ。そのためだったら、ろくに睡眠も取らないしね。恨まれても、憎まれても、じっと耐えて、無理矢理にも笑顔を浮かべて…。敵にすら、情けをかけて…。そんないじらしい姿見てたら、惹かれずにいられなかったよ。あれだけ辛く当たってた俺が、遙に恋する資格なんてないのにね…」
佐助は、寂しそうに笑った。
「俺は…遙の望むものを与えてあげたい。遙を奪うんじゃなくて…。本当に、大切で、きらきら輝く存在なんだ。想い人がいるのなら、遙が帰る手立てを探してあげたい。そして、その男と幸せになって欲しい。遙の笑顔を取り戻せるのは、俺じゃない。きっと、その想い人だけなんだ。変な愛情かも知れないけど、俺は、遙をこの手で守って、大切にしたい。本当の幸せを返してあげたい。あの時誓った言葉は、俺の本心なんだよ、旦那…」
淋しそうな笑顔で紡がれる言葉は、とても胸に痛かった。
俺の、自分勝手とも言える、子供じみた気持ちなんかと全然違う。
佐助は、本当に、本当に、遙殿の事を大切に想っている。
そのためなら、身を引く事すら厭わない程に…。
まるで、母のような愛情だ。
優しく、全てを包み込むような…。
「みなが、お主を慕うのも分かる気がするな」
「そう?俺って鬼とか冷たいとか、そんな風にしか思われてないと思うけど?」
俺は、驚き、目を瞠った。
「お主、自分が陰で何と呼ばれてるのか知らぬのか!?」
「陰で?ふーん。陰だったら、陰口だよね。碌な呼び名じゃないだろ、どうせ」
佐助は拗ねたような表情を浮かべた。
俺は、それがおかしくて笑みを深めた。
まさか、知らぬは本人だけとはな。
「そうではない。お主の陰の名は、『オカン』だ」
「なっ!?お、オカン!?そりゃないよ〜。俺、一応、鬼の忍頭だよ!形なしじゃないか…」
佐助は、深い溜息を吐いた。
佐助の腕は確かだし、鬼神のような戦いぶりも知っているけど、みな、佐助の本当の優しさも知っている。
俺は、慰めるように佐助の肩をぽんぽんと叩いたが、佐助はうな垂れたままだった。
遙殿を政宗殿の下に返す…。
それが、佐助の望みか…。
色々な想いが胸の中で渦巻いて、考えがまとまらない。
政宗殿に嫁いでも、愛されない姫様。
下手したら、犯されてしまうかもしれない、姫様。
それなら、いっそ、遙殿を差し出して…いや、お館様が許すはずがない。
政宗殿が焦がれている女人が遙殿と決まっている訳でもない。
疱瘡の流行が止まらない限り、まだまだ遙殿を渡す訳にはいかない。
それに、俺自身の幼い恋心をはっきりさせる前に手放したくない。
姫様も、遙殿も。
だから、俺は結局佐助に打ち明けなかった。
遙殿の想い人が政宗殿なのだと…。
運命の歯車が大きく狂ったのは、この晩の事だったのだと気付いたのは、ずっと後になってからだった。
俺がもっと大人だったら、遙殿をあんなに傷付ける事は、きっと、なかった…。
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