愛をとりもどせ -2-

政宗様のお部屋の中からは、煙草の匂いがしていた。
今は、中にいらっしゃるようだ。

「政宗様、小十郎でございます」
「ああ、小十郎か。構わねぇ、入れ」

部屋に入ると、政宗様は灰皿に煙管の灰をとんとんと落としながら、脇息にもたれかかっていた。
俺は政宗様の前に控えた。

「いいから顔を上げろ。前田慶次の事か?」
「いえ…。京を2日前に早馬で出立したという知らせを受けたばかりです」
「Shit!よりによってこんな大事な時に遠くにいやがって。で、他には?お前が来たのはそんなくだらねぇ事をわざわざ報告しに来た訳じゃねぇんだろ?」

政宗様の鋭い視線がじっと俺の顔に向けられた。
相変わらず、勘の鋭いお方だ。

「相変わらずのご慧眼でございますね。黒脛巾組からの報告に気になる点がございましたので、政宗様なら何か思い当たる事でもあるかと思い、参上仕りました」
「黒脛巾組!?」

政宗様は、身を乗り出すように姿勢を正した。
その顔は、怖いくらいに真剣だ。

「遙と接触出来たのか?」
「いえ、いまだ、それは…。しかし、拠点を突き止める事は出来ました。只今、見取り図を描かせている所です。それから、真田幸村といる女の医者を近くで見かけたというので、特徴を聞き出しました」
「女で、医者、か…。報告を受けた、女の特徴を聞かせろ」

女で、医者…と呟く政宗様は、視線を落とし、じっと考え込んでいる様子だった。
黒脛巾組のもたらした情報は、政宗様にとって大きな手がかりになるのだろうか。
俺は、注意深く、言葉を選びながら話し始めた。

「相変わらず、真田幸村と猿飛佐助が護衛についているそうにございます。そして、猿飛佐助の忍隊の指揮を取り、馬に乗るため、粗末な小袖と袴を身につけていると…」
「男装か。馬に乗るなら当然だな。しかし、馬、か…。いや、あいつは馬には乗れなかったはずだ。人違いか…?それとも、俺が帰った後に稽古でもしたか…?不確定要素だな。それにしても、猿飛佐助を丸め込むとはな…。あいつならやりかねねぇか。あいつの涙に弱いのは俺だけじゃねぇって事か、Shit!他には?」
「風変わりな白い長い上着をいつも着ていると」
「白い、長い、上着…?」

じっと政宗様が考えるように、眉間に皺を寄せて、煙管を弄んでいる。
遠い記憶を辿るような目をして…。
しばらくして、その隻眼がハッとしたように見開かれた。

「そうかっ!白衣の事かっ!」

こちらに視線を向けた政宗様の瞳は希望の光を見つけたように、爛々と輝いていた。

「白衣、でございますか?」

聞いた事のない衣装の名前だ。
政宗様は大きく頷いた。

「ああ、そうだ。遙の部屋で見た事がある。医者や研究者が身に付ける衣装だって教わった。あいつはもう見習いを卒業して、医者になってるはずだ。白衣を着ているという事は、少なくともその女はあの異世界から来た医者という事に間違いねぇ」
「それでは、やはり、遙様なのでしょうか?」
「いや、まだ断定出来ねぇな。その医者の名前が本当に遙なのか確かめる必要がある。それに、前田慶次に顔も確認させる必要がある。あいつが馬に乗ってるなんて想像出来ねぇしな。他には?何か特徴はねぇのか?」
「はい、もう一つだけ。この小十郎も、腑に落ちぬ、風変わりな特徴が…」
「お前が?」

政宗様は、驚いたように目を瞠った。
俺は頷いた。

「町医者というものは、薬箱を背負うか、風呂敷包み、または、ずた袋を持って往診するという事は、政宗様もご存知でございますね?」
「ああ。もしくは、薬草の入った薬箪笥を家に置き、患者がそこに訪れて治療をするものだな」

俺は軽く頷いた。

「ところが、その女の医者は、大きな革の鞄を肌身離さず持ち歩いているそうにございます」
「革の、鞄…だ、と…!?」

政宗様は驚愕に目を見開き、そして、煙管を取り落とした。
まさか政宗様がそこまで驚くとは思わず、かえって俺の方が驚いて、言葉を失った。

「…ま、さか…エルメスの…バーキン…」

政宗様が何か呪文のような言葉を囁くような声で呟いた。
政宗様は瞬きもせず、目を見開いたまま、床をじっと見つめ、その手はかたかたと震えていた。
そして、俺を怖いくらいに鋭い目で見ると、言い放った。

「黒脛巾組が見た鞄の特徴を言い当ててやろう!それは、荷物がたくさん入るような大きな鞄で、大名でしか手に入らねぇほどの上等ななめしの革で出来た、黒い鞄だ。そして、金の上品な金具の装飾がついてる。間違いねぇか!?」

寸分違わず言い当てられて、俺は驚きのあまり言葉を失った。

「小十郎、答えろ。そうなんだろ?」

有無を言わさぬ口調に我に返り、俺は頭を下げた。

「っ…お、おっしゃる通りにございます」
「そ、うか……そうか…。あいつっ…無事に受け取って、ずっと、ずっと、大事にしてくれてるんだなっ…離れてしまっても、ずっとっ…くっ…!!」

震える政宗様の声に顔を上げると、政宗様は静かに涙を流していた。

「政宗様…?」
「悪ぃ、小十郎…。遙の事になると、何でこんなに涙脆いのか、情けねぇ。…その鞄は、俺が遙に贈った、最後の贈り物だったんだ…」
「政宗様が!?それでは…!!」
「ああ、今、確信した。真田幸村といる女は、間違いなく、俺の愛した、今でも愛して止まない、俺だけの遙だ…やっと、見つけた…」

囁くようにそう言うと、ポロポロと隻眼から涙が零れ落ちていった。
俺は、しばらく沈黙していた。
ずっと辛そうな涙ばかり見せていた政宗様が、安堵したような、喜びの涙を流していらっしゃる。
早く、遙様をこの城にお迎えせねば…。

「政宗様…すぐにでも攫いに行きますか?」

政宗様は涙を拭いながら、小さく首を横に振った。

「いや、確実に遙を手に入れるため、外堀も埋めて、絶対に逃げられないようにしてやる。武田がどう足掻いても、遙を俺に差し出さずにいられないようにな」

すっかり涙を拭き取った政宗様の瞳は、不遜な光を湛えていた。

「江戸に来られずにはいられないように仕向けてやる。もちろん、攫いに行くつもりだけどな。仮に不利になって、撤退せざるを得なくなっても、結局は、遙が江戸に向かわざるを得ないようにな」

そう言って、ニヤリと笑った。
政宗様は武術に非常に長けておられる。
きっと、上手く攫って来られるだろう。
しかし、このお方のお得意とするものは、武術だけではない。
それは、諜報戦略だ。
伊達の黒脛巾組は、戦闘ではなく、諜報活動を最も得意とするのもそのためだ。

「そうだな…手始めに、遙を頼って病の人間が訪ねて行くように手配するか…。温い病じゃ、今の武田は遙を簡単には手放さねぇな」
「病の人を利用するおつもりですか、はぁ…」

効果的かも知れないが、些かやり方が汚い。
思わず深い溜息が漏れた。

「人聞きの悪い事、言うんじゃねぇ。遙がいれば、この江戸に巣食う病の人間が多く助かる。誰を寄越すかが問題だな…。俺に所縁のある人間で、絶対の信頼が置けて、重い病を患った人間か…」

政宗様は、脇息に、肘を付いて目を閉じて、じっと考えを巡らせ始めた。

絶対の信頼、となると、伊達に仕える人間、あるいは、かつて仕えていた人間…。
重い病…。
重い病の者は、とうに死んでしまった。
誰か、いなかったか…?
不治の病で、隠居した者で、まだ存命の者で…。

そこで、俺は思い出した。
江戸に居城を構えた時に、政宗様が何ヶ所かに療養所をお作りになり、政宗様を慕って移り住んだ元家臣や元黒脛巾組がいた事を。
その中で、一番、俺と政宗様をよく知る人物を思い描く。

そして、思い当たった。
政宗様のお父上にお仕えしていた忍を…。
八王子で、その医術を生かしながら、療養所の人々の治療に当たってる人物を…。

しかし、あの方は…。
あの方、ご自身が…。
忍を辞めざるを得ない、疱瘡と同じくらいに人々に忌み嫌われる病にかかってしまっている。
治す事の出来ないその病を、自ら研究し、同じ病の人々や自分自身の治療を八王子の隠れ里で行なっている。

それに、疱瘡を患った事もある。
政宗様が疱瘡にかかったのは、あの方が疱瘡を城内に持ち帰ったからだとも噂されたほどだ。
あの方が、不治の病にかかり、忍を辞めざるを得なかった時、天罰だとも陰で言われた。
政宗様の右目をなくした天罰だと。

あの病にかかった人間は、人里から隔絶され、人里に現れると人々に石を投げつけられる事もしばしば。
家族ですら、山に打ち捨てて逃げ帰ってしまう。
とても、哀しい、残酷な病だ。

でも、これ以上の適任者はいない。
政宗様は、隠れ里を八王子に作らせ、患者同士で助け合い、慰め合いながら暮らせるように計らっている。
見た目で忌み嫌われる事の哀しさを、痛いほどご存知の政宗様らしいお取り計らいだと思った。
その、元忍、八王子の爺やは、政宗様にとても恩義を感じている。
疱瘡と同じくらいに哀しい病の人々の存在を知らせたら、遙様なら八王子まで必ず来る。
八王子と甲斐は、そう離れてもいない。

「大変、申し上げにくいのですが…八王子の爺やならば、適任かと存じます」

恐る恐るそう告げると、政宗様は哀しげな笑みを浮かべた。

「やっぱりお前もそう思うか?爺やは俺を恨んでいるだろうか…。俺の疱瘡は、爺やのせいじゃねぇよ。でも、城の人間にそう言われて叩き出されたから、俺は恨まれても仕方ねぇ。これ以上はないというくらい適任だが、爺やは俺に会ってくれるだろうか…」
「ま、政宗様がお会いなさるおつもりですか!?なりません!病がうつったら、どうなさるおつもりですか!」
「Ah〜?うつんねぇよ。あの病は、触れ合う程の距離でしかうつらねぇし、感染力も弱い。要するに、触らなきゃいいんだ」
「しかしっ!!」
「俺の言う事が聞けねぇか、小十郎。遙から直接教わったから間違いねぇ。あれは、差別なんてされちゃならねぇ、哀しい、哀しい、病だ。そんなに怖かったら、お前は患者から十尺は距離取っとけ。そうすれば、たいていの病は絶対うつんねぇよ」

そうきっぱりと言われたら、口をつぐむしかなかった。
触らなければうつらない、というのは初耳だが、遙様がそう仰ったのならば、それが事実なのだろう。

「分かりました。政宗様にお任せ致します。もちろん、この小十郎もお供致します」
「Okay, 小十郎、よく言った!俺はこれから遙に文を書く。仕度が出来たら呼びに行かせるから一旦下がれ。今日中には八王子に着くよう出立するつもりでいるから、お前も急げ」
「承知仕りました。では、御前を失礼致します」

頭を下げて、顔を上げると、既に政宗様は文机に南蛮の紙を広げ、羽ペンにインクを付けていた。

余程、待ち切れないのですね。

そんな政宗様を微笑ましく思いながら、俺は政宗様の部屋を後にした。
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