万が一に備え、戦装束に着替え、馬の準備を申し付けておいた。
八王子の隠れ里は、誰も近寄りたがらないから、あそこは大丈夫だろうが、街道は護衛をつけておいた方がいい。
俺は、街道沿いの警備も手配して、早文を爺やに送った。
「小十郎、入るぜ」
言うなり襖が開いて、政宗様が部屋に入って来られた。
兜は被ってはいないが、政宗様も戦装束に身を包んでいる。
「Ha!お前も気合い入ってるな!」
「城下と違いますから当たり前です」
「お互い、久々じゃねぇか」
そう言って、政宗様は懐かしそうに俺の姿を眺めた。
俺も政宗様の戦装束のお姿を見るのは久方ぶりだ。
「平和になってから久しいという事ですよ。街道の護衛の手配は済んでおります。馬の準備も整いました。一足先に、爺やに早文も届くはずです」
「流石だな、小十郎!心置きなく、馬飛ばして行くぜ!」
「はっ!」
大股に廊下を歩いて行く政宗様について行くと、俺達のいる二の丸の庭に馬は既に用意されていた。久方ぶりの愛馬に二人共ひらりと飛び乗ると、馬を叱咤して走り出した。
江戸から甲斐に抜ける街道の途中に八王子はある。
途中、馬を時折休めながらも、政宗様は逸る気持ちが抑えられないというように、馬を走らせた。
半刻ほど馬を走らせ、獣道を行くと、隠れ里に辿り着いた。
一見すると、のどかな田畑だが、皆、全身を、すなわち、顔も手もボロ布で覆っている。
肌を見せるのを極端に嫌っているから、という理由もある。
しかし、だからこそ、その姿は病の象徴とも言える。
俺達は村の入り口に馬を繋いだ。
門の前には、予め知らせを受けていたのか、里の者が、俺達を待っていた。
そして、深々と頭を下げた。
「政宗様、いつも大変お世話になっております。政宗様のお陰で、俺達はこうして静かな暮らしが出来て、本当に感謝しております」
政宗様は、優しい目をして微笑んだ。
「礼には及ばねぇよ。城主として当然の事をしているまでだ。早速だが、爺やに取り付いでくれねぇか?」
「はい。お庭にお通しするよう申し付かっております。病の空気に触れると良くないから、との仰せで、政宗様にはお座敷にもお通しせず、申し訳ないとの事です」
「いや、構わねぇよ。行くぞ、小十郎」
政宗様と俺は、爺やの住まう、こじんまりとした屋敷の庭に入って行った。
爺やは、縁側で、石臼を使って薬草を粉末にしていた。
政宗様に気付くと、手を止め、頭を下げた。
「爺や、久しいな。顔を上げてくれ」
「ははっ!」
爺やの顔もすっかりボロ布で覆われて、瞳だけがそこからのぞいていた。
かつての黒脛巾組。
政宗様は恨んでいるのではと城で心配していたが、その両眼はとても穏やかだった。
「ご立派になられましたな、政宗様。政宗様にまたこうしてお会い出来るとは夢にも思わず、恐悦至極に存じます」
薄っすらと浮かんだ涙を見て、政宗様は苦笑いをした。
「泣くな、爺や。城から追い出されたと聞いた時は、己の無力さが情けなくて仕方なかった。生活に不自由はないか?」
「みな、静かに穏やかに暮らしております。政宗様に感謝しておりますよ」
「なら、良かった…。爺や…悪いが頼み事がある。俺から頼める義理じゃねぇかも知れねぇけど…」
政宗様が口ごもると、爺やは目で微笑んだ。
「この老いぼれでもお役に立てるなら、何なりと。甲斐への偵察ですかな?」
「流石、話が早い」
政宗様は満足そうに頷いている。
爺やは、笑みを湛えつつも、きらりと光るような眼光になった。
流石は元、黒脛巾組だ。
「甲斐で疱瘡の治療に当たっている、女の医者に接触してくれ。村の地図は後で渡す。そして…残酷かも知れねぇけど、その女に爺やの素顔を見せて、助けて欲しいと言ってくれ。八王子に隠れ里があるから、みなも助けてやってくれと。そう嘆願して欲しい」
政宗様のあまりのお言葉に、俺は絶句した。
何故、顔を隠すのか…。
それは、顔が崩れる病だからだ。
素顔の醜さに人には嫌われ、嫌われたくないから顔を覆う。
爺やの目も驚きに見開かれている。
「その女の名を確かめて来てくれ。間違いなく如月遙と名乗るだろう。遙ならば、爺やの病をすぐに見抜き、必ず助けられると言うはずだ」
「ま、政宗様…それでは、この爺やの病は…らい病は…」
「ああ、治せるんだ。遙ならば」
「ああ!何という事だ!!」
爺やは顔を両手で覆うと咽び泣いた。
「何度も何度も諦め申した。不治の病なのだと…。天罰なのだと…。まさか…まさか…治せる医者がいるとは…!!」
爺やの嗚咽を政宗様は静かに聞いていた。
やがて、それは小さくなり、涙を拭うと、爺やは現役の黒脛巾組そのものの、仕事人の鋭い眼光で政宗様を見つめた。
「命に代えても、やり遂げてみせましょうぞ」
「命は落とすな。きちんとお前の口から報告が聞きたい」
「そうでございますな」
爺やは泣き笑いを浮かべた。
政宗様は懐から何かを取り出した。
南蛮風の書簡と、折りたたんだ薄い紙。
そして、俺が黒脛巾組に描かせた地図。
「まずは、これが地図だ。頭に叩き込んだら焼き捨てろ。それから、爺やは、伊達政宗から疱瘡を治せる女の医者の話を聞いて、甲斐に来たのだと伝えろ。決して遙の名前は出すな。向こうに名乗らせろ。そして、後は爺やの腕の見せ所だな。遙が八王子に来るという約束を取り付けてくれ。それから…石橋を叩いて渡れって言うからな。この紙を広げて見せるんだ。真田幸村と猿飛佐助にもよーく見えるようにな」
気になって、俺も後ろから覗き込んだ。
手習いの紙にさらさらと書かれた文。
『吉原のSTIを何とかしに来てくれ。頼む。 政宗』
「政宗様、STIとは、何でございますか?」
アルファベットは読める俺でも意味が全く分からない。
政宗様は、クッと喉の奥で笑った。
「遙と俺なら分かる暗号だ。遙も爺やの言葉だけじゃ、本当に俺の使いか疑うかも知れねぇしな。爺や、遙がこの文を見て血相を変えたら、詳しい内容はここに書いてあると、こちらの封印されてる方の文を渡してくれ。武田では解読出来ない言葉で書いたつもりだが、一人で読んだ方があいつのためだ。そうだな、凄惨な内容だから、一人で読んだ方がいいって伝えてくれ」
伊達の軍師と呼ばれる俺にすら、今回の政宗様の作戦は全く読めない。
ただ、とても楽しそうに唇の端を吊り上げて笑っている。
「吉原…えすてぃーあい、とは、梅毒の事ですかな?」
爺やがぽつりと呟いた。
それで、ああ、成る程と、俺も納得した。
綺麗な遊女も最期は哀れ極まりない。
「流石だな、爺や。梅毒だけじゃねぇけどな。言葉を補足するも、しないも、爺やに任せる。太夫の哀れな最期を話してやってもいい。まあ、遙なら、STIだけで全て伝わるだろうけどな。あいつがその場で文の返事を書くようだったら、それを、俺に渡して欲しい」
「承知仕りました」
吉原の梅毒か…。
あれは深刻な問題だ。
吉原の存在、いや、男の性が罪なのか。
なくせるものならなくしたい存在であり、梅毒はなくならなくてはならない。
遙様を、無理にでも江戸に呼び寄せるエサ、という訳か。
とんでもねぇ、酷いエサだ。
遙様が、政宗様のお話の通りの御仁ならば、必ず江戸に来るだろう。
今回は、政宗様の作戦に完全に脱帽だ。
「政宗様、攫いに行かなくても、遙様はもう逃げられませんね…。江戸で待っていらしたら、いかがですか?」
感心してそう言うと、政宗様はキッと俺を睨み付けた。
「俺は、温い戦は好きじゃねぇ。これは、武田の外堀を埋める策に過ぎねぇ。俺は、必ず、この手で遙を攫いに行くからなっ!」
そう言い放つと、爺やがくつくつと笑った。
「爺やも、久々の戦、楽しみでございます。早速仕度をして甲斐に参ります。政宗様も日暮れ前にはお城に着かれた方がよろしいでしょう」
「さようでございますね。さあ、政宗様、そろそろ戻りましょう」
「ああ、江戸で待ってるぜ!じゃあな!」
戦の布陣が敷かれた。
武田から遙様を奪うための。
俺達は、ほぼ完全な勝利を確信していた…。
机上の布陣を見つめて…。
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