「あ、旦那!今日は、遙を城下の料亭に連れてくって約束しちゃった。俺達、もうすぐ出かけるから」
料亭…だと!?
「ははは破廉恥でござる!!料亭と言えばっ…!!」
お代官様、ご無体な!!
およしになって下さいまし!!
良いではないか、良いではないか、クックックッ!!
などという光景が浮かび、ふらあっと目が回りそうになった。
「は、破廉恥極まりないっ!!」
「ちょっとー。旦那の方が、よっぽど破廉恥!!何、分かりやすい妄想してんの!!遙に手は出さないって言ったでしょ!?遙は、練りきりと玉露、それから牡丹鍋が食べたいんだって!美味しい食べ物に飢えてるの!料亭じゃないとそんなもん出せないよ…。そんなに心配だったら旦那も来ればいいでしょ!あー、もう、せっかく二人きりで逢瀬しようと思ってたのになー」
「なななならぬ!俺も行く!!逢瀬など、逢瀬…おおお逢瀬だとっ!?ええい、佐助、そこに直れ!!この真田幸村が成敗してくれるっ!!」
俺が槍を構えると、佐助はさっと間合いを取って肩を竦めた。
「だーかーらー、旦那も連れてくって言ったでしょ?俺、料亭押さえて、忍隊に指揮取ってくるから、旦那も出かける仕度して。じゃあね!」
佐助は、愛鳥を呼ぶと、風のように消えて行った。
槍を構えたまま固まっていると、着物をくいっと引かれて我に返った。
「幸村様、怒ってるの?お顔が真っ赤だよ?」
つぶらな瞳で子供にじっと見つめられて、急に恥ずかしくなって、慌てて槍を収めた。
「いや、大事ない。もうすぐ出かける故、また今度遊ぼう」
そう言って、子供の頭を撫でると、子供は大きく頷いて返事をし、また子供同士で遊び始めた。
ほどなくして、遙殿が、白衣を脱いだ姿で、黒い鞄を持って出て来た。
綺麗な華やかな小袖に着替えている。
美しい町娘、いや、どこかの大店のお嬢様のようだ。
驚き目を瞠ると遙殿は微笑んだ。
「料亭に行くなら、それなりの格好をしないと失礼だから着替えたの。佐助と出かけてくるね」
「わぁ、先生、綺麗!!」
子供達が駆け寄って来て、惚れ惚れと遙殿の姿を見つめている。
「お出かけ?」
「そうなの。でも、夜には帰って来るから心配しないで」
「うん、分かった!」
また子供達は散り散りに走って行った。
そうだ、俺もこうしてはおられぬ。
着替えねば!
「遙殿、其れがしも着替えて来る故、お待ち下され!!」
「え!?」
遙殿が驚いたような声を上げたが、構わず俺は駆け出した。
遙殿があんなに着飾って、料亭など、ますます心配だ。
俺も、上等な着物と袴に着替えると、村の広場に出た。
俺が広場に着くと、佐助も着物と袴に着替えて、遙殿と何か笑いながら話していた。
こうして二人を眺めると、美男美女が逢瀬をしているようで妬けて来る。
俺は、大股に二人に近付いた。
「ああ、旦那も着替えたんだね。何も言わないのに、遙がきちんとした格好をしてるから、流石だねって褒めてた所なんだ。化粧もすごく綺麗だし。堂々と料亭に入れるね」
言われて気付く。
遙殿は、薄化粧をしていた。
何故か、いつもより睫毛は長く、顔立ちもますますはっきりとして、まるで南蛮の人形のように美しい。
「手配も済んだし、出かけよう。遙は俺の馬に乗りなよ。横抱きにしてあげるから」
「うん」
「ならぬ!馬なら俺が…」
「旦那は、ダメ。遙に見惚れてよからぬ事を考えて、落っことしそうだもん」
「ぐっ…!!」
言い返せないのが悔しい。
それ位に、今日の遙殿は本当に綺麗だ。
「じゃあ、旦那も納得した事だし、出かけようか」
佐助は、手綱を握り、馬を歩かせ始めた。
村の入口から乗るつもりらしい。
遙殿もあとに続くので、俺も溜息を吐いて、自分の馬を歩かせ始めた。
村の入口を出て、大きな通りに出た時の事だった。
佐助の殺気を感じて、俺も佐助の視線の先を見た。
馬を歩かせながらこちらに向かっている男がいる。
それだけなら、何の不自然な点もない。
だけど、あの覆面は…手綱を握る手を覆ったボロ布は…。
「旦那は退避してて。あの男をこれ以上近付けちゃいけない…甲斐に入れたらいけない…」
「うむ、そうだな、さあ遙殿…」
そう言って、遙殿の手首を掴むと、遙殿は、それを驚くほどの力で振りほどいた。
「待って!佐助!!あの人、もしかして、もしかして…!!病気なんでしょう!?」
「ああ、…らい病だ…。死んでもらうしか…」
「ダメっ!!」
遙殿は、佐助に体当たりをするように、後ろから抱き付いた。
決して行かせはしないという、強い意思に燃えた瞳をして。
「遙、離して…」
「ダメっ!!殺させたりなんて、しないっ!!らい病は…ハンセン氏病は、治せるし、触らない限りうつらないんだからっ!!差別なんてされたら、絶対ダメな病気なんだからっ!!」
「何だって!?」
佐助が驚き、遙殿を振り返った。
遙殿は、目に涙をいっぱいためていた。
「お願い…あの人と、話をさせて…」
佐助は、少し迷っているようだったが、頷き、遙殿の手を取って、馬を引きながら歩き始めた。
「佐助!!」
「遙の腕は確かだ。俺も確かめなきゃいけない事があるから行くよ。旦那は退避しててくれ」
「ならば、俺も行く。触らねば良いのならば、構わぬ」
佐助は、それに答えず、歩み去って行く。
俺も後を追った。
何歩も歩かないうちに、俺達は、覆面の男と対峙した。
男は、よっこらしょ、と言いながら馬を降り、そして、俺達の前で土下座をした。
「お願いでございます。どうか、この爺の話を聞いて下さりませぬか」
「ああ、爺さん。聞かせてもらおうか。人里には決して降りて来ない、らい病のあんたが、何で甲斐にいるかって事をね」
佐助は鋼のような声で告げた。
その顔は表情を消し、おかしな真似をするようならすぐに殺すという殺気に満ち溢れていた。
「わしは、八王子の隠れ里から参りました。甲斐に、疱瘡を治せる女性のお医者様がいらっしゃるとの噂を聞き、もしや、この爺の病も、里の者の病も治して頂けるのではないかと、命懸けで参った次第にございます。どうか、どうか、そのお医者様に会わせて下され。お願いでございまする」
老人の声は震え、涙声だった。
命懸け、というのもあながち大袈裟ではない。
見つかれば、命の保証など出来ないほど、忌み嫌われている病なのだから。
「あの…」
「君はまだ黙ってて!!」
佐助は、遙殿の言葉を鋭く遮った。
「誰から聞いたの、その女の医者の話?そんなに噂になるほど、警備が薄いはずないからね」
「ははっ!!仰せの通りにございまする。八王子の隠れ里は、政宗様、直々にお作りになった、らい病患者の里。政宗様は、長いこと、らい病の治療の出来るお医者様を探しておいででした。そして、甲斐に疱瘡の治療をしている女性のお医者様がいるとお知りになり、政宗様、直々に、この爺に教えて下さったのでございます」
「チッ、黒脛巾組め。伊達の旦那の耳に入ったか。それなら納得が行く…。はぁ…」
佐助は、深い溜息を吐いた。
「八王子の隠れ里の事は聞いた事がある。伊達の旦那もいい治世をするもんだと感心したよ。本当にね。伊達の旦那の耳に入った以上、隠し立てしても、もう無駄か。いいよ、会わせてあげる、その医者に。ほら、遙。もう、話してもいいよ」
佐助は振り返り、遙殿を呼んだ。
その目は、深い哀しみに満ちていた。
きっと遙殿は八王子に行ってしまうのだと、悟ったんだろう。
俺だって、平静でなんていられなかった。
八王子に行けば、遙殿が政宗殿の懐に入るも同然。
もう、共に過ごす事は出来なくなってしまう。
「遙殿…。甲斐の疱瘡を見捨てるのでござるか?」
自分でも驚くほど冷たい非難の声が漏れた。
遙殿は振り返り、首を横に振った。
その瞳には涙が薄っすらと浮かんでいた。
「医療行為には、重症度別の優先度があるの。間違いなく、疱瘡の流行を止めるのが一番優先度が高いから、私はそれが収まるまで甲斐を離れられない…」
ホッとしたような吐息が、佐助と俺の口から同時に漏れた。
「でも、こうして命懸けで私に会いに来て下さったんだから、私はこの人の話を聞きたい。ダメ?」
そんな風に聞かれて、止める言葉なんて何も浮かばなかった。
小さく首を横に振ると、遙殿は微笑んだ。
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