恋の暗号 -3-

「政宗…様、直々に、八王子にお作りになった里があるんですか?その…らい病、の患者様の里が…?」
「はい、さようでございます。政宗様は、見た目で差別されるなぞけしからぬ、との仰せで、この爺の命も里の者の命も救われたのでございます」
「政宗っ…様がっ…!良かった…良かった…政宗っ…様っ…」

みるみるうちに、遙殿の目に涙が盛り上がり、そして、ポロポロと頬を滑り落ちて行った。
すんすんと鼻を啜りながら、遙殿は静かに涙を零し続けた。

きっとあの涙は、爺さんや里の者のためだけではない。
政宗殿のための涙なのだ…。

俺は、ぎりりと歯を食いしばった。
どう足掻いても、政宗殿の下に戻ってしまうのか…。
甲斐におられるのも、あと僅かなのか…。

奪ってしまいたい…。
そんなどす黒い感情が胸の中を埋め尽くして行く。

「そんなに泣かないで下され。爺のための涙など、もったいのうございます。貴女が、疱瘡の治療をしておられるお医者様ですかな?」
「はい。如月遙と申す医者です」
「如月、遙様、でございますか…。爺の病を見て下さいますかな?」
「ええ、もちろん。準備を致しますから、少しお待ち下さい」
「遙っ!!ここで治療するの!?」

佐助が慌てたような声を上げた。
遙殿は涙を拭いながら、首を横に振った。

「治療には時間がかかるから、本格的に治療をするなら私は八王子に腰を落ち着けなきゃ出来ない。でも、本当にらい病かどうか、確認するのは今晩中にも出来るから。せっかく命懸けで来てくれたのに、そのまま帰って頂くのは偲びないもの」
「そう…」

佐助も流石にそれ以上、遙殿を止めなかった。
遙殿は鞄から白衣を取り出して着ると、白い手袋をはめて、爺さんの前に膝を着いた。
そして、懐紙の上に見た事のない道具を並べた。

「それでは、手を見せて下さい」
「手はそこまで酷くないんじゃよ。わしも、こんな姿を見せるのは偲びないんじゃが、顔を診て下さらぬか?」
「いいんですか?」
「いずれ、見せねばならぬのなら、同じ事」

言うなり、爺さんは、覆面を取り払った。
あまりの酷さに俺は声も出せず、ただ顔を背けた。

話には聞いていたが、あんなにも顔が変形する病だなんて思ってもいなかった。
しばらく夢に出そうな、今日は食事も喉を通らなそうなそんな心地がする。

佐助がぽんぽんと俺の頭を撫でた。

「だから、旦那は退避しててって言ったの」
「しかし、遙殿は?」
「顔色も変えず診察してるよ」

どこまで肝の据わったおなごなのだろう。
疱瘡の治療でも驚いたが、今回ばかりはと思ったのに、何故、そんなに冷静でいられるのか、分からない。

「お顔の皮膚を少し頂きます。痛んだら言って下さい」
「何のこれしき」

しばらく静寂が訪れた。

「もう、覆面を戻しても構いません」
「分かり申した」

覆面を被る、衣擦れの音が聞こえ、やっと俺は老人の姿を再び見た。

遙殿は、手袋を始末し、白衣を脱いでいる所だった。

「遙、大丈夫?」
「何が?」

佐助が声をかけると、遙殿は不思議そうに首を傾げた。
佐助は苦笑いをした。

「君って本当に見かけに寄らないね。そういう子、好きだよ!どうする?出かけられる?」
「うん!お腹空いた!」

遙殿の言葉に愕然とする。
何の衝撃も受けていないのか、よく食事などすぐに出来るものだと呆れる。
爺さんは声を立てて笑った。

「爺のこの顔を見ても気味悪がらず、これから逢瀬ですか。里の者以外で、こうして普通の人間のように話して下さるのは、政宗様と小十郎様だけです。貴女は、本当に素晴らしいお方だ…。貴女が、本物の志を持った医者ならば、お渡しするように、と、政宗様から文を預かりました」

爺さんは、懐から文を取り出した。
佐助が警戒心露わになる。

「改めさせてもらうけど、構わないよね?」

それは、爺さんと遙殿、両方に向けられた言葉だった。

「ええ、どうぞ。爺にはよく分からぬので、遙様とお侍様もご覧になれば、爺にも分かるやも知れませんな」

遙殿は、爺さんの顔をちらりと見たけれど、相変わらず目がにこにこと笑ってるのを見て、頷いた。
佐助が文を受け取り、広げた。
俺も隣から覗き込む。
手習いの紙には、さらさらと素っ気ない言葉が書かれていた。
政宗殿からの恋文かと思ったが、意味が全く分からない言葉の文だ。

『吉原のSTIを何とかしに来てくれ。頼む。政宗』

「吉原のエスティーアイ?」

佐助が眉を顰めた。

「佐助、英語、読めるの!?」

遙殿が驚いたように佐助を見上げた。

「いや、俺が読めるのはアルファベットだけ。あ!でも、I love you. は読めるし書けるし、意味も分かるよ♪ 遙ちゃん、I love you!」
「もう、佐助!茶化さないで!!」
「冗談、冗談!」
「冗談でも、愛してる!なんて言わないで!」

遙殿が何故か頬を染めて怒って、佐助をポカポカ叩いている。
佐助は笑いながら、また、あいらびゅー、と言っては怒られている。
…俺だけ除け者だ…。
あいらびゅー、とは、愛してるという意味、なのか…?

「それで、吉原のえすてぃーあい、とは何なのだ!?」

苛ついて声を荒げると、遙殿の表情が強張った。

「……遊女の哀れな最期の原因の病の事……」
「ふーん、性病の事?」

佐助があっけらかんとした口調で言った。

「なっ!?は、はは破廉恥なっ!!」

政宗殿は、何て破廉恥な病の治療の依頼をして来たのだ!?
遙殿は、恥らうかと思いきや、その文をじっと眺めて、また目に涙をいっぱい溜めている。

「…男が全部悪いんだよ…。たった一人を愛し抜けば、こんな哀しい病気なんて蔓延しないもの…」

佐助は、複雑な顔をして、黙った。

「やはり、貴女は、本物のお医者様ですな。吉原の現状、凄惨な内容ですが、政宗様が詳しく書かれたそうでございます。こちらの文です」

爺さんが、南蛮風の封筒を差し出した。
佐助がそれを受け取る。
表と裏を検分して、遙殿に渡した。

「蘭学か英語でも極めた医者に渡すつもりなんだろな。俺が検分しても読めない。裏の封印の、竹に雀の家紋は本物だね。蝋を使うなんて、流石南蛮かぶれだ。さっきの文の政宗って署名も、伊達の旦那の筆跡に間違いない。これは、お館様に報告しなきゃね。後で参上しなきゃ」

遙殿は、書簡の表書きを見て、口元を緩めた。

「ご冗談を…」
「どうしたの?」
「医者を愚弄する冗談が書いてあるの」
「ははっ!ますます、本物の伊達の旦那だ」
「そうだね…。佐助、もうちょっと時間が欲しいの。八王子の件と吉原の件について、あと、私はまだ甲斐から離れられないって手紙書くから」

遙殿は、鞄の中から板に似たものと紙の束を取り出して、ぺんというもので、ものすごい勢いで文を書き始めた。
隣から覗くと、横向きに書いていて、草書のようなのに全く読めない。

「遙ちゃん、何で、異国語?俺に読まれたくないの?」
「漢字すんごい苦手だから。あと、日本語の字、すごく下手なんだもん。政宗様に見せられる訳ないよ!それに、私が、異国語が分かる医者だっていう証明」
「ははっ!それもそうだ。つくづく君って頭いいねー。君の字、読みやすいけど、めちゃめちゃ下手だもんね!手習いでもしたら?」
「そんな暇ないもん。英語の方が、楽だし、速い」

言いながらも、手を休める事なく、ぺんの動きは止まらない。
紙をめくり、またぺんを走らす。
たっぷり4枚の紙を異国語で埋め尽くして、花押らしきものを書くと、紙を重ねて折りたたみ、封筒に入れて爺さんに渡した。

「政宗様にお渡し下さい。私の今置かれている状況と、八王子と吉原について、出来る事と出来ない事を書き綴りました」
「確かにお預かり致しました。政宗様からのお事付ですが、先程の封印された文はお一人で読まれた方が貴女のためだと」
「分かっています。あんな酷い言葉…一人じゃないと読めません」
「そんなに酷いの?」

佐助が意外そうに尋ねた。

「うん。脅し文句みたい。きっと泣いちゃうから…あと、調べ物が絶対必要だから、一人でゆっくり読まないと、分からない事も書いてあるはず。あー、緊張する…」

そう言いながらも、遙殿は、隠し切れない笑みを浮かべていた。

もしや、恋文…?
しかし、俺には読めないだろう。
先ほどの遙殿の文も、全く読めなかった。

「それでは、爺やは帰ります」
「爺さん、護衛をつけてやるよ。あんたに死なれたら、遙が悲しむ。無事、八王子まで送らせる」
「ありがとう存じます。それでは、またお会いするのを心待ちにしております」

爺さんは、深々と頭を下げると、また馬に乗り、遠ざかって行った。
遙殿は、竹に雀の家紋とその下に書かれた異国語をしげしげと眺め、また表書きを眺めている。
俺は、佐助の耳元で囁いた。

「お主、さっきの文、何か読めたか?」
「いや、全く。相当崩して書いてあったけど、確かに日本語よりは見映えが良かったかな」
「あいらびゅー、ならお主読めるのだろう?」
「うん、読めるけど?何で?あの文と関係あるの?どこにもそんなの書いてなかったよ?何か読める言葉、ないか探してたんだけど、話し言葉で使うような言い回しがあんまりなくてさ。話し言葉は割と出来るけど、俺、読み書きはほとんど出来ないからなー」
「そうでござるか…」

何をあんなに必死に書いていたのか気になって仕方ない。
恋文ではないかと疑って、佐助に聞いてみたが、違うらしい。

「ねぇ、佐助!」
「なぁに、遙?」

遙殿はすっかり荷物を纏め、鞄を持ってにこにこしていた。

「お腹ぺこぺこ…」
「そうだね、忘れる所だったよ!うん、出かけようか?おいで!」

佐助は馬に乗ると、遙殿を引っ張り上げ、横抱きに抱いた。
俺は思わず唖然として二人を見上げた。
だって、てっきり、遙殿は政宗殿の文を一刻も早く読みたくて村に戻ると思っていたから。

「あれ?旦那、どうしたの?俺達、もう行くけど…」
「いや、俺はやめておく。食欲がなくなった…」

佐助は、複雑な笑みを浮かべた。

「旦那には厳しすぎたね。うん、武田の屋敷にでも戻って休んだ方がいいよ」
「ああ、そうする」

遙殿の神経が、全く理解不能だ。
何故、あんな酷い患者を見た後でも、腹が減るのか。
何故、愛して止まない男からの恋文をすぐに読まないのか。

もっと繊細なおなごだと思っていたのに、俺の勘違いか…?
俺は、遠ざかる二人の姿を某然と見送った。





封印された封筒。

『Dear my sweet honey』が表書き。
『You're always mine』が裏書き。

嬉し涙を堪えるので必死だった。
政宗が私を見つけてくれた証拠だった。

7年も経つのに、いまだに私をhoneyって呼ぶなんて、酷い泣かせ文句。
医者に宛てた手紙なんかじゃない。
お前は、いつまでも俺の物だ、なんて、嬉しい脅し文句。

すぐにでも読みたかったけど、泣くのが分かってたし、じっくり何度も読みたかったから、後回しにした。
だって、その二つの言葉だけで今は十分幸せだったから。

私もずっとずっと愛してるよ。
胸が張り裂けそうなくらい、深く、深く。

私の愛の言葉が、政宗に届きますように…。
政宗に早く会えますように…。


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