昨日の夜は泣きに泣いて、便箋や封筒を涙で汚したくなくて、枕元の布団の下に隠して眠ったのだった。
誰かに改められていないか、確認すると、封筒はそのままそこにあって、ホッと安堵の吐息が漏れた。
佐助がloveという言葉を読めるのなら、政宗の手紙がラブレターだとバレてしまう。
昨日は本当に幸せな日だった。
寛ぎながら、ゆっくり美味しい食事を楽しく佐助とおしゃべりをしながらして、帰ってからは、政宗の愛情に包まれながら眠れたのだから。
政宗が迎えに来てくれた時に、政宗に幻滅されないように、しっかり仕事しなきゃ。
政宗の心に深い傷を付けた病に、全力で立ち向かわなきゃ。
私は、バッグの中に手紙をしまうと、手鏡を取り出して、目が腫れてないか確認した。
あれだけ泣いたのに、目をほとんど擦らなかったお陰か、睡眠が十分足りてたお陰か、瞼は全く腫れていなかった。
ホッとして腕時計を見ると、もう11時だった。
10時間くらい寝ていた事になる。
こんなに眠るのは久方ぶりで、身体の怠さはすっかり取れて、頭もすっきりしている。
もう、村の朝食はとっくに終わっている時間だから、私は経腸栄養剤を飲み干すと、部屋を出た。
村長の家の広間に集まっている人達の診察を一通り終えると、12時半になってしまった。
そして、他の患者の様子を見に行くために、村長の家を出た。
丁度、外に出ていた佐助がすぐに私に気付き、にこにこと笑いながら近付いて来た。
「本当にお昼まで寝るとはね。よっぽど疲れてたんだね。でも、すっきりした顔してるよ。ご飯はちゃんと食べた?」
「うん。いつものやつ飲んで、広間の人達の診察もして来たよ」
「はぁ…。流石の俺様もびっくりな仕事人だね、遙は。じゃあ、もう少し早く起きてたんだ。せっかく昨日はゆっくりしたんだから、そんなに朝起きてすぐに手早く仕事しなくてもいいのに」
「だって、外に出る通り道に広間があるから、どうせならついでに診察した方が効率いいでしょ?」
「そういう所が本当に仕事人なの!!はぁ、俺も苦労人だって自覚してたのに、遙はもうそれが習慣になってるんだね。恐れ入ったよ、全く」
「佐助、何か変わった報告は?」
「いや、特に…。衰弱して死んだ患者が何人か…。君も知ってる、危篤状態だった人達ね。病に打ち勝てるかは運次第で君もお手上げって言ってたから、あえて起こしにいかなかった。死相が浮かんでたって報告聞いたしね」
「そう…」
やっぱり、急患がいたんだ…。
でも、AEDで無理に蘇生させても、きっと助けられなかった。
私にもどうしようもなかった。
幸村もそうだけど、佐助と忍隊の人達の見立て…死相って言うのは、本当によく当たる。
私には分からない、何かをきちんと見切っている。
だから、私も仕方なく諦めた。
バイオテロにも使われるほどの感染症で、ワクチンと対症療法だけで死人を一人も出さないという事の方が難しい。
私は頭を振って、気分を切り替えた。
「幸村は?」
「ああ、文が届いたよ。もう少し武田の屋敷で休むって。槍の鍛錬もしたいって」
「そっか…。悪い事しちゃったなぁ。よっぽどショックだったんだね…。差別されてる病だって事は知ってたんだけど、幸村には見せない方が良かった…」
「ショック?ああ、衝撃を受けたって事ね。旦那を無理にでも止めなかった俺が悪い。俺は知ってたからね、らい病患者の姿を。まあ、いいんじゃない?旦那の本分は、あくまで武士。槍の鍛錬も必要さ。君の事は俺と忍隊が守るし、忍隊の方が人間の身体の事には詳しいからね。君の手助けは旦那よりよっぽど出来るよ。正直、旦那はここにいる必要はもうないんだ。村人の信用を得るためには必要だったかな、ってくらいで」
「ふふっ。何だか幸村が可哀想。佐助ってドライだね。流石仕事人」
「ドライ?何かけなされてる気がする。まぁ、仕事人って言葉は褒め言葉として受け取っとくよ」
肩を竦めて笑う佐助につられて、私も笑った。
二人で笑い合っていると、子供達がわらわらと集まって来た。
「先生!こんにちは!今日は遅かったね!」
「うん、ちょっと疲れが溜まっちゃってね。でも、いっぱい寝たから大丈夫だよ!」
「へぇ!先生って天女様みたいに全然寝なくてもご飯食べなくても、ずっとずっと元気で綺麗なんだと思ってたけど、私達みたいにちゃんと寝るんだね!」
私は苦笑いするしかなかった。
佐助は隣りでくすくす笑っている。
その時、私を取り囲んでいる子供達の中の、一人の女の子の様子に違和感を感じた。
何だか熱に浮かされたように頬がほんのり赤くて、少し元気がない。
それに…目の焦点が合っていない。
いや、片目はしっかり私を見ているのに、もう片目の焦点が合っていない。
昨日か一昨日まで、この子にはこういう異常はなかったはずだ。
何だか胸騒ぎがする…。
「遙、どうしたの?」
ほとんど表情を変えなかったつもりなのに、佐助は敏感に私の顔色の変化を読み取ったみたいだ。
「うん、ちょっとね…。ねぇ、先生のお話、聞いてくれる?」
私はその子の前に屈み込んで、じっと目を見て話した。
やっぱり目の焦点がおかしい。
「うん、なあに?」
その子は首を傾げて私を見つめた。
「お熱があるんじゃないかな?顔が赤いよ?」
「うん、ちょっとお熱あるかも。でも、このくらいだったら、いっつも外で遊んでるもん」
「そう…。ご飯はちゃんと食べてる?」
「ううん、あのね、お口の中が痛くてちょこっとしか食べられないの。でも、よくある事だし、ほっといたらいつもすぐ治るから大丈夫!」
発熱に、食事が出来ないほどの口内炎。
それに、焦点の合わない目…。
これは、もしかしたら、かなりまずいかも知れない。
「ちょっと、先生とお話しようか。あそこの腰掛けの所に座ってお話しよう?」
「うん!」
子供は嬉しそうに頷くと、私と手を繋いだ。
「佐助、この子のご両親を呼んで来て。念のために」
「遙…もしかして…」
「私の杞憂ならいいんだけど、お聞きしたい事もあるから」
「分かった。呼んで来るよ」
私はその子の手を引き、民家の前に設えてある、木のベンチに一緒に座ると、バッグを開けた。
まず、熱を測る事。
それから、口内炎の確認。
視力検査。
体温計を脇の下に挟むと、子供はすっかり慣れた様子でじっとしていた。
ピピッという音を聞いて、脇の下から抜き取って体温を確認すると、39.2度もあって驚いた。
子供は熱に強いっていうから、多分この子も熱っぽいなぁ、程度にしか思ってなかったのかも知れない。
「先生、お熱あった?」
「うん、そうだよ。きちんと寝てないといけないくらい、高い熱だよ。それから、お口の中も見せてもらうね」
私は口を開けさせ、ライトで照らして口腔を確認した。
ある意味、予想通りの…それも、悪い予想通りの口腔だった。
口内はびっしりと水疱で埋め尽くされていた。
天然痘は、皮膚の顕著な特徴で有名だけど、粘膜が侵される事の方が、厄介だ。
発見が遅れるから。
これは、間違いなく天然痘による水疱だろう。
こんなに水疱が出来ていたら、食べ物を食べられるはずがない。
次に、視力検査をしなければ…。
私の予想では、この子は右目の視力をもう失っている。
恐らく、眼球の裏側に膿疱が出来ているのだろう。
もしかしたら、眼球まで痛んでいるかも知れない。
ワクチンを接種したのは覚えている。
でも、その時既にこの子は天然痘に感染してたのだろう。
ワクチンの副作用とは様子が違う。
この子の眼球やその裏がどうなっているか、それは切開しない限り、手持ちの道具では確認出来ない。
片目を隠す道具を手渡すと、子供は不思議そうにそれを眺めた。
「これって、お玉?」
「ううん、それで左目を隠して、何が見えるか先生に教えて欲しいの」
「うん、分かった!」
子供は、大きく頷いて、左目を隠した。
「あれ?先生、何か真っ暗で何も見えないよ?おかしいな〜」
私は目の前が真っ暗になったような気がした。
「前から右目が見えないって事、あった?」
「いつも両目で見てるから分かんないけど、多分見えてたと思うよ」
そう言うと、子供は私に道具を返した。
思った通り…あの焦点のずれ方は、盲目の人の瞳によく似ていた。
そして、私の記憶が確かならば、少なくとも2日前までは異常がなかったはずだ。
何と言う事だろう…。
子供が、天然痘で、右目を失うなんて…。
政宗とこの子がダブって見える。
眼球が飛び出してしまって、化け物と義姫様に罵られて嫌われ憎まれた政宗…。
この子の母親には、嫌わないで欲しい。
辛い時だからこそ、そばにいて励ましてあげて欲しい。
私は、鞄の中から白い眼帯を取り出すと、その子の右目を覆うように被せた。
その時、佐助が、ご両親を連れてやって来た。
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