「あれ?遙?もう、治療は終わったの?」
「ううん、診察だけ。この子のお父様でいらっしゃいますか?」
「へぇ、さようでございます」
父親は心配そうに娘の眼帯を見つめていた。
「この子をご自宅に連れて行って下さい。そして、そばについていてあげて下さい」
「先生っ!!それじゃあ、娘は…」
「見た目には分かりませんが、疱瘡に罹っています。しかし、この子の様子を見る限り、命を落とす事はないでしょう」
両親の口からホッとしたような吐息が漏れた。
遙は、少し困ったような、表情を浮かべている。
「では、わしらは帰りますんで…」
「お母様に大切なお話があります。お父様は、この子を連れて、先にお帰り下さい」
「私にですか!?」
母親は、驚いたような声を上げた。
「お腹を痛めて生んだ、可愛らしい娘さんをここまで育て上げたお母様だからこそ、お話したい事があるんです」
遙がそう言うと、母親は大きく頷いた。
「ええ、ええ、分かりました。大事な大事な娘の事ですもの。先生のお話をお聞きしますとも。ほら、あんたは娘連れて、さっさと行きな!!」
…見た目通りの肝っ玉母さんだな、こりゃ。
父親は、逃げるように、娘の手を引いて家に帰って行った。
遙はふわりと笑った後、真剣な眼差しになった。
「さっきも申し上げた通り、娘さんは、疱瘡に罹っています。予防の薬を身体に入れた時には、既に疱瘡に罹っていたのでしょう。でも、あのように見た目には分からないほどの軽症で済んでいるのは薬のお陰です。でも…娘さんが、お食事が出来なくなったのはいつ頃からですか?」
「あの子は、よく口にでき物が出来て、ご飯が食べられない事があるから、そんなに気にしてなかったんですけど、そうねぇ、5日前くらいだったかしらねぇ」
「5日!?」
遙は驚いたように目を瞠った。
「何故、診察の時におっしゃって下さらなかったんですか!?それでは栄養不足になってしまいます!」
「先生、大袈裟ですよー!あの子は少しぽっちゃりしてるから、そうそう食べなくても飢え死になんてしませんから」
「飢え死にの事を心配してるのではありません。疱瘡は…口の中に出来る事もあるんです。疱瘡に罹ったら、後は体力勝負です。たっぷり栄養を取らないと、病に負けてしまいます!」
「ええ!?…そんな…いつものでき物だとばかり、思っていたのに…」
「お母様、お気を強く持って、これから私の話す事に、絶対に取り乱さないで下さい」
遙は怖いくらいに真剣な顔になった。
負けじと母親も厳しい顔つきになって大きく頷いた。
「先生、この私を見くびってもらっちゃあ困りますよ。これでも、村一番の肝っ玉母さんって呼ばれてるんだからね!」
「お心強いお言葉です」
遙は大きく頷いた。
緊張しているのか、額に薄っすらと汗をかいている。
「では、まず、単刀直入に申し上げます。娘さんの右目は病に冒され、視力を既に失っています。つまり、右目が見えなくなってしまっているんです。流石の私でも、一度失われた視力を元に戻す事は出来ません」
母親は驚いたように目を瞠った。
しかし、またキリッとした表情に戻った。
「そりゃあ、我が子の片目が見えなくなっちまったなんて思ったら、不憫でしょうがないよ…。でも、もう片目があるじゃないか、先生。あの子は、これからも元気に育っていくよ!見た目もあんまり変わらないじゃないか。命も落とさず、片目だけで済むなんて、お天道様に感謝しなくちゃね!」
そう言うと、声を立てて笑った。
遙は、いったんホッとしたように表情を緩めて吐息を吐くと、また厳しい顔つきになった。
「貴女がしっかり者で、感謝致します。その調子で娘さんを支えてあげて下さい。これからお話する事が、実は本題なんです。どうか、その強いお心のまま、取り乱さずにお聞き下さい」
遙の表情は、怖いくらいに真剣で、流石の俺ですら気圧されるほどの迫力があった。
母親も、遙の厳しい顔つきに気圧されるように、笑顔を引っ込めて、また真剣な顔つきになった。
「先生、この村の有様をこの目で何日も見てきたんだ。最初は肝が潰れたけど、今じゃあ、そうそうの事じゃ驚かないよ」
「ならば、申し上げます。娘さんの眼球は…目玉は、恐らく病に冒されています。娘さんの体力が勝れば、目の形はあのままで、ただ視力を失うだけで済むでしょう。しかし…病の進行の早さを考えると、このままだと、目玉は腫れ上がり…そして、目の窪みから飛び出して零れ出してしまうと思います。怪談の絵巻のように、目玉が飛び出してしまうのです」
「目玉が飛び出る!?」
「ええ、そうです。貴女はそれでも娘さんを可愛がれますか?気味が悪いと嫌ってしまいませんか?化け物だと罵ったりしませんか!?」
遙のあまりの言葉に、それも叫ぶような大声に俺は本当に驚いた。
と、同時に、伊達政宗の顔が脳裏に浮かんだ。
伊達政宗は、類い稀な美しさゆえに、母親の義姫に溺愛されていたけれど、疱瘡で目を患い、眼球が飛び出てしまった事で、義姫に醜い化け物と罵られたんだった。
遙はその逸話を知ってるからこそこんなに真剣なんだ…。
「目玉が飛び出る…。可哀想に、ああっ、可哀想に…!!女の子なのに…!!でもね、先生、目玉が飛び出たって指がちょん切れたって、あの子は、私の可愛い可愛い娘なんだよ!!化け物だなんてこれっぽっちも思うはずないじゃないか!!」
「そう…ですかっ!!ありがとう…本当にありがとうございます…っ!!」
母親の言葉を聞いた瞬間、遙はポロポロと涙を流し始めた。
「先生、泣かないで下さいよう!!母親なんだから、当然なんだから、ね?」
「それでも…嬉しいです。本当に、ありがとう…」
遙はまだ止まらない涙を手ぬぐいで拭うと泣き笑いを浮かべた。
「眼球が飛び出てしまったら、それを切り取るしかありません。痛みを感じさせない眠り薬を使うので、娘さんに痛い思いをさせる事はありません。綺麗に取り除いた後は、いったん仮初めの目玉を入れて、完全に膿が出切ってしまった後に、義眼…見た目には偽物と分からないほどよく出来た、偽物の目玉を入れます。そうしたら、一見したら、普通の可愛らしい女の子に見えるようになります」
「本当かい!?先生、ありがとうございます!!良かった!!本当に良かった!!先生、あんた本当にすごい医者だよ!!」
「いいえ、私は出来るだけの事をしているだけです。娘さんが心細くならないように、そばについてあげていて下さい。一応、忍の者を控えさせておきます。異変が起きたら、すぐに知らせが届くようにして、しっかりこちらも準備をしてから治療に取り掛かります。治療の準備に時間がかかってしまうのが心苦しいのですが、それまで、お辛いでしょうが、励まし続けて下さい。それから、栄養剤も後でお届けします」
「分かったよ、先生!!この村の人間は、みんな先生の腕を信じてるからね!!ちょっとの間、目玉が飛び出てようが、抱っこしてあやしてれば大丈夫だよ!だから、先生、うちの娘をよろしくお願いします」
母親は、深々と頭を下げて、そして家に帰って行った。
遙はその後姿を見送った後、ふらふらとよろけるように、腰掛けに座り込んだ。
慌てて俺も隣りに腰掛け、遙の身体を支えた。
「大丈夫!?」
「うん、大丈夫…」
遙は安堵したような深い吐息を吐いた。
「流石の遙も、今回は参った?らい病患者でも顔色変えないくせに」
「診察や治療は気持ち悪いなんて思わない。一番、精神的に堪えるのは、患者さんやそのご家族に説明する時なんだ…。泣かれたり、絶望したような顔を見るのは本当に辛い。あのお母様が、肝っ玉母さんで、本当に良かった…」
遙は、深い溜息を吐いて、またポロポロと涙を流した。
「すごく疲れた顔してるね。どうしようかな…。今日は、料亭止める?」
遙は、驚くほどの素早さで、俺の手首を掴んだ。
「佐助、今、すぐ、料亭、手配して!!」
「ええっ!?」
普通の女の子は、こういう時、寝込むんじゃないかなぁ…。
「食べなきゃ…。今夜はしっかり食べなきゃ…。ううん、おやつも間食もしなきゃ。それから、睡眠もたっぷり取らなきゃ…。私の予想だと、手術…治療は明日…。明日の朝はキジでも食べさせて」
「う、うん、いいよ…」
霞でも食って生きてそうな遙の口から食べ物の話ばかり出て来て驚く。
しかも、朝からキジ…。
絶句してると、遙は俺を見つめた。
「佐助は、戦とかで傷付いた人の眼球を摘出した事、ある?」
「ああ、何度もあるよ」
「そう、なら安心だ。手術の助手は佐助にお願いするね。眼球の周りの神経って細かいから集中力いるでしょう?時間もかかるでしょう?だから、今日は、気力も体力も充実させなきゃ。手術中に集中力切らす訳にはいかないよ」
「ああ、そういう意味ね。分かったよ」
俺は丁度通りかかった部下を呼び止め、料亭に遣いにやらせた。
そして、くノ一に栄養剤を持たせてあの子の家に行って控えているよう言付けた。
遙は、うーんと伸びをすると、さっきとは打って変わった満面の笑みを浮かべた。
「女子会、再び!!レッツゴー!!今日も心行くまでおしゃべりしよう?」
「ははっ!!女子会ね。レッツゴーは俺も分かる。んじゃあ、お互いさっさと着替えてまた出かけよう。また村の広場で会おうね!!」
「うん!」
遙の切り替えの早さには驚くけど、それくらいが俺には丁度いい。
女々しい女は面倒だ。
諜報で、女々しい女を相手にする時の面倒くささと言ったら、もう、溜息しか出てこない。
忍もすぐに気分を切り替えないと、仕事にならない。
俺と遙はちょっと似てるのかも知れない。
ただ、俺が穢れ切っているのに対して、遙が清純そのものなのが違う。
それこそが、俺が遙を奪っちゃいけない理由なんだ。
ただ遙を想い、遙の幸せを願う事しか許されない理由…。
君は何も知らなくていい。
知っちゃいけない。
俺を男として見ちゃいけない。
昨日遙に言った言葉を、もう一度胸の中で繰り返した。
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