ちゃぶ台の前に、昨日と同じように座ると、遙は深い溜息を吐いて、両肘をついて、顔を覆った。
「ごめんねー。流石にちょっと堪えたよ…。お行儀悪くてゴメン」
「いいの、いいの!君は、お座敷の方が落ち着くんでしょ?だったら、ゆっくり好きな格好でリラックスすれば?」
「うん、そうする…。あー、こういう時、本当に着物って面倒!立て膝したり、寝っ転がったりって出来ないもん」
「ははっ!お嬢様でもそんな格好するんだ!何か意外!」
「だから、私は不出来なお嬢様なの!本業は医者だからね。お嬢様みたいにお家でじっと優雅にお稽古事だけしてなんて暮らし、してないもん。本っ当、男社会だからね、外科は特に」
「外科?」
「そう!小刀で、身体や内臓を切ったり縫ったり、そういうのが外科の仕事!まあ、簡単に言えばって話だけど。だから、本当は、疱瘡の封じ込め作戦は私の専門外!」
「ええっ!?内臓まで切るの!?そりゃ、そうそうの事じゃ驚かないはずだよ…。それにしても専門外でよくあれだけの治療するね、全く感心するよ…」
「私のいた未来の世界では、疱瘡は根絶されてるからね。知識としては知ってるけど、本当、試行錯誤。だから、こうして戦場からちょっとでも離れるのが、すっごい気楽。はぁ〜、やっと落ち着いた…。今日は、愚痴も出て来そう。ちょっとだけヤケ酒でもしたいくらいだよ」
「愚痴でも、ヤケ酒でも好きなだけすれば?とことん付き合うよ。明日も昼から行動すればいいから、夜半までここにいようよ」
「佐助、サンキュ!!」
「どういたしまして。じゃあ、まずはおやつからにしようか?疲れたら、甘いもの欲しくなるもんね」
「うん!」
遙は憂鬱そうな表情から一転、明るい笑顔になった。
中居を呼んで、玉露と練り切りを頼んだ。
それにしても、俺も相当な修羅場を潜って来たつもりだけど、遙も女だてらに相当な修羅場を経験して来たと思うと感服する。
こんなに虫も殺さないような顔をしてるのに。
まぁ、遙は誰も死なせたくないって強い信念を持っているから、虫も殺さないってのは、合ってるか。
「ねぇ、遙?」
「うん、なぁに?」
「明日の治療って、君の専門だろ?切ったり貼ったりってのは」
「身も蓋もない言い方!そうだね、メスを握るのはちょっと久々だけど」
「何か腑に落ちないんだよねー。やっと専門の仕事でホッとしそうなものなのに、遙がいつになく動揺してるからさ」
そう言うと、遙は少し目を瞠って、苦笑いをした。
「佐助って、本当に鋭いねー。はぁ、バレたか…」
「もしかして、目の手術は初めて?」
「いや、何度か経験あるよ」
「ふーん。じゃあ、何で?」
遙の瞳が少し潤んで揺れた。
そして、少し遠い目になる…。
「はぁ…。内緒!」
深い溜息を吐いたと思ったら、ニコッと笑ってウィンクをされてしまった。
その茶目っ気のある仕草に、柄にもなくときめいてしまった。
この子は自分がどれだけ美形か分かってなくて、こういう仕草を唐突にするから厄介だ。
全く、無自覚の無防備だ。
一体何人の男をそれで魅力して来たのか問い詰めたくなる。
と、同時に、遙は何か深い闇を抱えていて、今、精一杯強がっている事に勘付いた。
「そうだね…。不安は色々あるよ。設備的な意味でね。私は本当に恵まれた環境で手術をして来たから…何人かの専門家でね、分担して手術をするの。明日は、佐助が手伝ってくれるとは言え、専門的な事は全部自分でやらなきゃいけないってのは、すごく負担にはなってる。でも、全部研修医の時に経験してるから、何も知らない訳じゃないし、何とかなるよ。そうだな…佐助以外にもう一人助手がいるかな」
「ああ、それくらいなら、何とでも出来るさ」
「そうだね」
そこで、襖の向こうから声がかかり、練り切りと玉露が運ばれて来た。
「わぁい!今日も練り切り!しかも、秋の紅葉の色だ!綺麗!」
「粋な計らいだね!俺も楽しみー!」
遙は嬉しそうに玉露を飲むと、幸せそうな溜息を吐いて、そして、小さく切った練り切りを食べてまた満面の笑みを浮かべた。
「君って、本当に不思議な子」
「そう?」
「あれだけ悲惨な状況の村ばかり診て回ってるのに、全然引きずらないんだね。こうして見てると、本当に世間知らずの、綺麗な物しか見てこなかったお嬢様みたいなのにね」
遙は、きょとんとした顔をした後、苦笑いをした。
「いちいち引きずってたら、精神が持たないもん。引きずって、上の空になってたら、次の患者さんの手術に影響する。失敗は許されないからね。だから、手術が上手になるのも大切だけど、気分の切り替えと短時間でぐっすり眠って疲れを取れる身体を作る方が大事。それが出来なくて、見習いのうちに辞めていった人も結構いたよ…」
「そっか…。そういう所に共感するのかな。俺もそうだから。非情な仕事も多いからね。それでいちいち落ち込んでいたら、忍なんて務まらない。身体の身軽さを維持するのも仕事のうち。変幻自在に身分を変えて化けるのも仕事のうち。自分のありのままの姿でいる時間って本当に短いよ。まあ、料亭で君と二人きりの時は、ありのままの姿かな。君が無防備にリラックスしてるの見てると、何かつられちゃうんだよねー!」
「う…また無防備って言った!」
「ごめんごめん!だって、本当の事だし、その方が俺も気楽だし。本当、君とこうしてると疲れが取れるんだよ。だから、俺の最大の褒め言葉と思って、ね?」
「う…複雑な気分だけど、佐助がリラックス出来るなら、いいかな」
遙は、唇を尖らせて拗ねたような表情をしてたけど、またふわりと笑った。
「せっかく美味しいもの食べてるから、今は仕事の事、忘れたいなー。頭の片隅では考えてはいるんだけどね。明日の手術の手順と準備についてね。まあ、話しながらだいたい頭の中で整理出来たから大丈夫。また寝る前にもう一度おさらいすればいいかな」
「ははっ!忍みたいな子だねぇ。全然違う話題だったのに、上の空にも全然見えなかったのに、ちゃんと頭の中で、明日の計画を組み立てちゃうなんてね。君みたいな優秀な部下、欲しいよ。ないものねだりだけどね。優秀だけど、君はくノ一にはなれないな」
「うっ…どうせ運動神経、普通だもん。気配とかそういうの、全然分かんないもん」
「そう!そういう事!これから仕込むにしても、もう年がねぇ…」
「酷ーい!!どうせ、行き遅れの年増ですよ、私は」
遙は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
俺がくすくすと笑うと、ますますいじける。
いじけながらもちゃっかり練り切りを美味しそうに食べている。
その姿がおかしくて、俺はまた笑った。
違うんだよ、遙…。
君がくノ一になれない、本当の理由はそんな事じゃないんだ…。
俺の配下のくノ一になんてしたくない、本当の理由は…。
君は、きらきら煌めく宝物だから…。
この俺の穢れた手でくノ一に育てあげるなんて酷い事、俺は絶対にしたくないんだ…。
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