K -2-

練り切りを食べて、玉露を飲み終えた頃には、遙の機嫌はすっかり直っていた。

…本当に、美味しいものに飢えてたんだね…。

そう思うと不憫で仕方ない。
遙ほどのお嬢様が、流動食でずっと我慢してたと思うと涙がちょちょぎれそう。

俺も、相手から何か聞き出そうと、笑顔の仮面を貼り付けたまま、味もよく分からない状態で諜報する時くらいしか、こんな風に優雅にお菓子なんて食べる事はないから、こうしてただ綺麗な…それも大切にしたい子と一緒に、お菓子とお茶の味を楽しむなんて、かけがえのない幸せな時間だ。

「はぁ…美味しかったー!」
「俺も!はぁー、幸せー!」

遙があんまりにも幸せそうに微笑むから、俺もつられて笑みが零れた。

「ねぇねぇ、遙!昨日のお琴、また聞かせてよ!」
「うん、いいよ!あ、でも…」
「ん?どうしたの?」
「今日は、お食事の時間、後ろにずらしてもらえる?お琴が済んだら、おつまみつまみながら、お酒飲みたい。そうだなぁ、おつまみは鹿肉がいいかなぁ」
「ええ!?まだ、夕暮れよりずっと前だよ?食事しながらでいいんじゃない?それに、もう鹿肉食べるの!?」
「甘いな、佐助!」

遙はふふんと不敵な笑みを浮かべた。
遙ちゃん…その笑顔、伊達の旦那にそっくりだよ…?
そんな極悪な笑顔、君には似合わないよ!?

「私の別名はうわばみだよ!」
「う、うわばみ!?」
「ざる、とも言うかな?」
「ざる!?」

遙の口から飛び出した言葉に、俺は本当に度肝を抜かれた。

うわばみとかざるとか…!!

人は見かけによらないって言うけど、似合わない!!
激しく似合わない!!
お酒に酔って、頬を赤く染めながら、男にしなだれかかる儚げな美女の方が断然似合う!!

思わず呆気に取られて口を開けたまま絶句してると、遙はくすくすと笑った。

「だから、早めに飲み始めて、明日に響かないうちにやめるの。酔うなら早く酔いたいし、早く潰れたらもったいないから、鹿肉がおつまみ!!」
「参ったね、こりゃ。そこまで計算してるんだ」
「うん!当然!!それに、明日の事は大丈夫!!二日酔いになった事、一度もないもん!酔いつぶれるなら今日中に潰れて、帰るまでに抜けるようにしなきゃね。まぁ、大丈夫。うわばみだから。佐助もその方が心置きなく飲めるでしょ?」
「恐れ入ったよ、全く。俺の事まで計算ずくか。その方が、正直、俺も心置きなく飲めるのは確かだね」
「じゃあ、手配よろしく!私はお琴の仕度してくるね!」

ひらひらと手を振ると、遙は立ち上がり、お琴の準備を始めた。
その間に俺は、酒とつまみの手配をした。

うわばみ…。
ざる……。

そんな話を聞いた直後に風流にお琴なんて楽しめるんだろうか…。
遙ちゃん…流石の俺でも、それはショックだよ…。
めっちゃ切り替え早いよ…。
俺でもついてけないよ…。
せっかくの逢瀬なのに…。

はぁっと深い溜息が漏れた。
遙は、きちっと琴の前に座って調弦をしている。
俺は、昨日のように寝っころがって遙の姿を見つめた。

綺麗な長い髪が肩にかかっていて、上等な小袖にとても似合っている。
嫁入り前の姫様そのものという様子で、琴に目を落とした顔は、とても睫毛が長くて、鼻筋もすっきり通っていて、日本人離れの美貌だ。
琴をかき鳴らして調弦をする繊細な指は、とても綺麗で、見惚れる。

うわばみ…という言葉が脳裏を掠めて俺は慌ててそれを思考の外に追いやった。
こうして眺めてると、本当にどこかの姫様にしか見えないんだけどなぁ。

調弦が終わると、遙は俺を見て、ふわりと笑った。
とても綺麗で上品な笑顔だ。

「昨日の曲でいい?それと、あと覚えてるのがもう一つあるから、それも弾こうかな」
「ああ、いいよ。もう一つのも楽しみだな」

遙はにっこりと微笑むと、琴を弾き始めた。
座敷の雰囲気ががらっと変わったように、風雅な空気で包まれる。
俺は、目を細めて遙の姿に見惚れながら、琴の音色に聞き惚れた。
頭の切り替えが早いのは俺も、か。
もう、完全にリラックスして、琴の調べに神経が緩み切っている。
とても幸せな気分で堪らない。

遙…本当に綺麗だな…。
琴の音色も、綺麗だ…。

本当に、上手い。
繊細に、時に激しくかき鳴らされる琴は、まるで遙自身のようだ。
相当難しそうな調べなのに、それをいとも容易く奏でてしまう手技は驚きだ。
手先が相当器用な証拠だ。
お館様の手術で、それは実証済みだけど、改めて感服する。

遙が最後の節を奏で終わった後も、座敷には風雅な空気がまだ漂っていた。

「ああ〜、何度聞いても風流〜。幸せ〜」

幸せの溜息を吐いて言うと、遙はくすっと笑った。

「佐助がそうやってリラックスして聴いてくれるから弾きやすいの。あー、私も気持ちよく弾けたなー。満足、満足。じゃあ、琴の余韻を楽しみながら、ゆっくり酒でも飲み交わしましょうか」

うわばみ…という言葉がまた脳裏に浮かんだけど、風雅な気分のまま飲む酒はまた格別かも知れない。

「そうだねー。あー、いい気分のまま飲む酒は美味しいだろうなー」

俺は、身体を起こし、中居を呼んだ。
その間に遙は琴を片付けた。
ほどなくして、つまみとぬるめの酒が届けられた。

「ねぇねぇ、遙!」
「うん、なぁに?」
「俺の隣り、座ってよ。お酌したくても届かないから」
「あっ、そうだね!うん、分かった!」

遙は座布団を持って、俺の隣りに来ると、きちっと背筋を伸ばして座った。

「そんなにかしこまらなくていいの!足、崩したら?」
「着物を着るとね、何か癖でこういう風に座っちゃうんだけど、誰も怒る人いないもんね、お家と違って。じゃあ、遠慮なく」

そう言うと、遙は横座りに座って、ちゃぶ台に肘をついて、拳で頭を支えた。

…何か、さっきまでの姫様に全然見えない…。
まぁ、そんな所も可愛いかな。
リラックスしてる証拠かな。
…寛ぎ過ぎだけど…。

「本当に遠慮しないんだね、ははっ!その方が俺も気楽だな。じゃあ、お嬢様、ご一献」

そう言うと、遙は慣れた手つきで盃を俺に差し出した。

はぁ、そんな姿もある意味、様になってるなんて、恐ろしい子!!
肘ついたまま、盃差し出すなんて、何だか本当に伊達の旦那の仕草によく似てる。

徳利から酒をつぐと、遙は一気に酒を呷った。
くいっくいっと飲むたびに、白い喉が震える。
何ていうか…すんごく色っぽい…。

「はぁー、久々のお酒は美味しいねー!じゃあ、ご返杯」

…俺、まさか一気飲みするとは思わなかったよ…。
その盃、結構デカイよ!?
流石、うわばみ…!!
俺も相当強いけど、大丈夫かなぁ…。

「ほら、佐助も盃取って!」
「はいはい、お嬢様の仰せのままに」

そう言って遙の前に盃を差し出すと、遙は慣れた手つきで酌をした。
俺も、盃を呷った。
こりゃ、相当いい酒だ。
遙が一気に呷った気持ちも分からなくはない。

「いい飲みっぷりだねー、佐助!わぁい!最後まで付き合ってもらえそうで嬉しいなー!」

…俺、先につぶれるかも…。
早く遙を酔いつぶさないと、俺の方が二日酔いになる…!!

俺は次の徳利を3つ手配した。
この調子だと、全然足りない!!

「佐助、流石だねー!!気が利くー!!あー、幸せ!いいお酒をお座敷でゆっくりなんて、しかも、親の目がないから余計に嬉しい」
「遙の親って厳しいんだ?」
「うん。一応旧家だからね」
「そっかー。鬼のいぬ間に何とやら、か」
「そう言う事!」

他愛ない話をしながら、さりげなく遙の盃に次々に酌をする。
最初はぐいぐい飲んでいた遙も、少し落ち着いて、つまみを食べながら、ゆっくりと盃を空けるようになって来た。
頬がほんのり赤くて、目もとろんと酔いで潤んでる。
暑いと言って、襟元を寛げて手で扇いでいる。

何と言うか…。
とんでもなく、めちゃめちゃ色っぽい!!
崩した足からちらりと見える白い襦袢の裾とか、ほんのり色づいた首とか、寛げた胸元とか、とにかく、ヤバい!!
色んな意味で、ヤバい!!

そんな目で見つめられたら誘惑されてる気分だよ、こっちは!!
何て恐ろしい子なんだ!!

「あ、あの…?遙…?酔ってる…?もう、やめたら?」
「ん?ああ、私、すぐに赤くなるけど、こっからが長いんだ」
「そ、そうなんだ…」
「佐助、もっと!」

目の前に、盃を差し出されてまた酌をする。
遙は嬉しそうに、ちびちびと酒を飲んでいる。

これからが、本番…。
俺、相当理性強いし、どんなに誘惑されても冷めた目で見られるけど、流石の俺でも、想いを寄せてる子に、こんな格好で、こんな目で見つめられたら、理性崩壊しそう…。
しかも、これが序盤で、本番はこれからって…!!
やっと日が暮れ始めたばかりなのに、夜半までこの姿の遙に付き合うなんて、マジ、俺、耐えられるのかな…。
もう、理性、崩れそうだよ、本当に…。

こうなったら、俺も飲む!!
飲みまくる!!
…二日酔いしない程度に…。
酔えば男は使い物にならなくなる!!
それしか方法はないっ!!

遙に盃を差し出すと、遙はにっこりと笑ってお酌をしてくれた。
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