K -4-

しばらくすると、牡丹鍋が届けられた。
正直、酒で腹が膨れてたけど、まともな食事をしてないから、今食べないと変な時間に腹が減る。
煮える頃には少し腹も落ち着くかな。

「やっぱり飲み会の締めは鍋だよね!」

遙は、まだ酒で顔が赤いのに、いそいそと鍋に具材を入れている。

まだ、食べれるんだ…あんなに飲んだのに。
だから、ざる、ね…。
あの酒はいったいどこに消えたの…?
思わず呆れて溜息が出た。

鍋に具材を入れ終わると、遙はまたちびちびと酒を飲み始めた。

「ねぇねぇ、佐助。武田の姫様ってどんな人?政宗様の許婚筆頭なんでしょう?」
「よく知ってるね」
「村人から聞いたの」
「そっか。お館様が必死だからね。甲斐じゃ有名だよね、そりゃ。はぁ…」

俺が深い溜息を吐くと、遙は不思議そうに首を傾げた。

「女子会って本当に恋バナをたくさんするもんなんだねぇ。はぁ…」
「ん?姫様の恋バナ?」
「うん…。遙、いい?これから話す事は他言無用。絶対にね」
「うん。医者には守秘義務があるからね。誰にも言わないよ」
「まあ、君の口が固いのは分かってるから、信用するよ。はぁ…それにしても、一晩で二回も純愛の悲恋話をする羽目になるとは思わなかったよ…」
「悲恋!?姫様、恋をしてらっしゃったの?姫様なのに、報われなかったの!?」
「姫様だからだよ…。それに、相手が悪かったかな。姫様が恋してらしたのは、うちの旦那。真田幸村だよ」
「えええっ!」

遙は大きく目を見開いて驚いた。

「それじゃ、姫様、報われないわ…。相手が悪過ぎる…。幸村、姫様の恋心なんて気付いてなかっただろうね。あんなに破廉恥破廉恥ばかり言ってるもん」
「ははっ!遙もキツい事、言うねぇ!君のそういう所、大好きだよ!正に、その通り!でもね、姫様が旦那に惚れ込んだのは、旦那に責任があると俺は思うな…。旦那は、姫様の守役だったんだ。小さい頃からね。姫様は旦那を一目で気に入って、ずっとべったりだった。それをさ、あの天然無自覚男が、それはもう、大切に大切に育て上げたというか、甘やかしまくったというか…。俺だって、旦那が姫様に対しては破廉恥だなんて叫ぶ事なかったし、本当に恋仲だと思ってたんだよ。この俺が、そう騙されるってよっぽどの事だって、分かるよね?」
「佐助が騙されるほどかぁ…。そりゃ、相当だ。姫様なんて、絶対恋仲だと思ってただろうね」
「そうなの!遙、分かってくれて嬉しいよ!本当にそうなの!ったく、ああいうのを天然たらしって言うのかねぇ。あれだけ姫様を期待させといて、旦那はお館様が姫様を嫁がせるって宣言した時、あっさり同意しちゃったの!もう、あの時の俺の気持ちと言ったらもう!!怒りと悲しみでさ、泣きたくなったよ…。俺、純愛に弱いの…」
「はぁ…切ないねぇ…。姫様、可哀想…」
「本当だよ、もう!」
「もしかしたらさ、幸村が身を引いたんじゃないの?流石に天下人の政宗様には敵わないし。ロミオとジュリエットみたいにさ、引き裂かれたんじゃないの?」
「ロミオとジュリエットか…ううっ、それ以上言わないで、思い出し泣きするから」

遙はまたびっくりしたように目を見開いた。

「えええっ!何で、佐助がロミオとジュリエット、知ってるの!?私、言った後に、しまった!佐助は知らないはずだ!って思ったのに!だって、シェイクスピアが英国で書いてから、そんなに時代が経ってないでしょ?」
「俺の方が驚きだよ。何で、この時代の話を知ってるの?」
「だって、名作だもん。400年後でも、超有名!それにしても、英国から日本に伝わるの早かったねー!数十年前かそこらに書かれたお話でしょ?」
「うん。あの南蛮かぶれの伊達男がさ、英国の噂を聞いて取り寄せてさ、自ら翻訳したの!あんだけ政治で大忙しなのに、教養もどこまで追求すれば気が済むのやら。和歌も一流、手習いも一流、茶の湯も能楽も武芸も、武家の嗜みは全部完璧。それに、異国語だろ?本当に感心するやら呆れるやら。ロミオとジュリエットはね、写し本がたくさん市中に出回って、評判だから俺も読んだの!ううっ、思い出すだけで…。シェイクスピアの文才なのか、伊達政宗の文才なのか分からないけど、すっごく切なくて、最後は号泣だよ…。あの、伊達男め。はぁ…うちの姫様、武田の姫様の中では一番出来がいいけど、伊達政宗の前じゃ全く霞むね。見向きもされないんじゃない?つまらないってさ。お館様も諦めればいいのに…」

遙は呆気に取られたようにぽかーんとした後、くすくすと笑い出した。
それが、段々堪えきれないような笑い声になって行って、終いにはお腹を抱えて笑い出した。

「遙…俺が号泣したのが、そんなにおかしい?」
「ち、違うっ!!はははっ!!政宗っ、様っ!!最高!!流石、政宗様っ!!シェイクスピアまで訳すとはね!あれ、原文、難しいのに!はははっ!!」
「原文!?もしかして、遙、原文で読んだ事あるの!?」
「うん、もちろん!原文じゃないと意味ないしね!私、原文しか読まない主義なの!」
「ここにも化け物がいたか…。伊達政宗級の化け物が…。伊達政宗の英語ってやっぱりすごいの?」
「うん、多分。私にとっては常識だし、そのロミオとジュリエットを読んでないからどうすごいのか説明出来ないけど、この間の政宗様の文は、完璧な英語だったよ!」
「それが普通に読めて、常識と言い切る君の方が激しく常識から逸脱してるよ!あの時も、全く淀みなくさらさらと異国語で文書いてたしね。それも、何かすんごい難しそうな言葉ばかりで。そうだよ、本当に…。茶の湯にお花にお琴に香道…それに異国語…。君こそ、伊達政宗の嫁にぴったりじゃない?」

そう言うと、遙はびっくりしたように目を見開いた。

「えええっ!天下の伊達男の奥さん!?天下人!?…でも、今は、私、ただのしがない医者…身分違いだよ…?政宗様にお会い出来るかどうか…。すごくお会いしたいけど…お嫁さんになれたら嬉しいけど…憧れの人だし…」
「だから、ただの医者がそんなに教養高いのが、もう化け物級!それに君の技術は化け物級の医術!!伊達政宗と張り合えるのは遙しかいないってば!…そうか…遙がお館様の養女になれば、身分も釣り合うか…。妙案だな…いや、しかし、お館様は、我が娘の方が大切か…。まぁ、江戸に行ったら評判になって、会えるかも知れないよ?」

遙は複雑そうな表情をしていた。

「あの、佐助…。お鍋が煮えたぎってるけど…」
「ああ、ごめんごめん!じゃあ、食べようか」
「うん!」

俺達は、また別の話題にうつって食事を始めた。
案外、鍋物は酒に相性が良くて、食べ切る事が出来た。
俺達は、女将にお礼を言って、村へ帰った。

遙を昨日と同じように部屋に送ろうとしたら、遙が、村はずれの腰かけで頭を冷やしたいと言うので、二人でそこに座って星を眺めた。
あれだけ飲んだのに、もう顔色はすっかりいつもの透けるような色白の肌に戻っていた。
遙は、またタバコに火を点けて、ゆっくりと吸いながら空を見上げてる。

Close your eyes.
Give me your hand, darling.
Do you feel my heart beating?

ふと、空に消えて行く煙を眺めながら遙が歌い出した。
初めて遙が歌うのを聞いた。
とても透き通った綺麗な歌声だ。

「幸せな恋歌だねぇ…」

そう呟くと、遙は歌うのをやめて微笑んだ。

「佐助には、意味が分かるんだね」
「ああ、そのくらいならね。いいねぇ、憧れるなぁ。愛する女との情事の後に、そんな歌、聞かされてさ、柔らかい胸に手を当てさせられてさ、まだ少し速い鼓動を感じたらさ、一生離したくなくなりそう…。まあ、俺には無縁だけど」
「無縁なの?どうして?」

俺は苦笑いをした。

「忍は夫婦にはなれない。嫁が可哀想だよ、本当にね。だから、憧れるのかな、純愛に」
「そう…。ねぇ、佐助?」
「なぁに、遙?」

遙は少し困った様子で、俺の袂を掴んだ。

「あのね、頭撫でて欲しいの。験担ぎでね…。目の手術の前には、美紀に頭撫でてもらって、絶対成功するよって言ってもらって、ぎゅって抱き締めてもらってたの。目の手術の前日だけは、すごく手が震えるの。だから、失敗しないように、おまじない…」

そう言う遙の右手は確かに震えていた。
酔いは完全に覚めているのに。
完璧に見える遙にも、弱点があるのか…。
何だか女の子らしくて可愛らしい。

「うん、いいよ。おいで…。大丈夫、大丈夫。遙なら絶対出来るよ。手術は成功するよ、だから、大丈夫。心配しないで…。いつも通りに冷静になるんだ。絶対に成功するよ。俺もついてる。君の手が震え出したら代わってあげるから。だから、リラックスして…。必ず、成功するから、大丈夫…」

そう言いながら頭を撫で続けると、遙の手の震えが止まっていった。
そして、ぎゅっと抱き締めて、背中をぽんぽんと叩くと、胸元から安堵の吐息が聞こえて、俺は身体を離した。

「大丈夫?」
「うん、もう大丈夫…。佐助、ありがとう。じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

遙は村長の家に戻って行った。
その後姿を見送って、俺はまた腰かけに座って溜息を吐いた。
これからしなければならない汚い仕事の事を考えながら…。
涼風の処分を考えながら…。


でも…。
俺は本当に後悔してる。
そんな事を考えてる場合じゃなかった、と。
考えなきゃいけなかったのは、君の言葉と表情の意味だったんだ、と。

君が何度も仄めかしては隠したヒント…。
核心に迫ると、浮かべていた複雑な表情、言葉、仕草…。
そして、右目の手術の前に手が震えていた事…。
全てを総合して俯瞰すれば、君がはっきりした言葉で俺に頼みたくても頼めない願いが精一杯込められていたのに…。
全てのヒントは伊達政宗を指し示していたのに…。
君は、俺に気付いて欲しくて、何度も仄めかしては、俺から申し出るのを待っててくれたのに…。
きっと、俺が武田の人間だから、君は何度も言葉を飲み込んでいたんだね…。

俺は、気付かなかった…。
確かに思い込みもあったけど、君を見くびっていた…。
君は本当に、憎いくらい口が固い。
口が固い上に知恵が回り過ぎる。
演技だって、配下の忍より上手い。
信用しているようで、肝心な時に信じてくれない。

本当に、本当に、俺にだけは素直にはっきりと明かして欲しかった。
政宗の下に帰りたい、と。
そうすれば、俺の手ですぐにでも、その晩のうちにでも、愛する男の下に返してあげたのに。
これが、最後のチャンスだったのに、君は最後まで信じてくれなかったね。
気付かなかった俺が悪いのか、君の信頼を完全に得られなかった俺が悪いのか…。
俺が武田の人間だったばかりに…。

悔やんでも悔やみ切れない。
戻れるものならあの時に戻ってやり直したい。
そうすれば、君を傷付ける全ての事から君を守れた…。
武田も真田も関係ない。
本当に、俺は、全てをかなぐり捨てて、君を守る騎士になりたかったんだよ…。
王子に大切な姫を返す、騎士になりたかった…。

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