始動 -2-

ああ、昨日は、久々に胸の悪くなるような仕事だった。
起きてもまだ、気分が晴れない。
俺だって、人間だ。
心が痛む時だってある。
落ち込む事だってある。
それを無理矢理、理性で抑え込んで、笑顔の仮面を張り付けて隠しているだけだ。
気分の切り替えは早い方だけど、今日は憂鬱でたまらない。
深い溜息を吐いて、朝日の差し込む部屋で、布団の上で寝返りを打った。

早く、遙に会いたいな…。
少しだけ甘えさせてもらおうかな…。
何か、すごく、遙を抱き締めたい。
そうしたら、また、少しだけ、穢れが祓えそうな気がする…。

ああ、そう言えば、キジを食べさせる約束してたっけ…。
はぁ…約束は守りたいけど、キジを〆るのさえ憂鬱。

「ねぇ、誰か、そこに控えてる?」

部屋の外の気配に向かって声をかけると、返事が聞こえた。

「鶏かキジを〆たやつ、ある?」
「はい、佐助様の朝餉のために、ございますが」
「じゃあ、それ、もも肉を炭火で塩焼きにして、一口大に切って、爪楊枝と一緒に包んでくれる?俺、村で食べるから。二人分ね」
「かしこまりました」
「出来上がったら、ここまで届けて。俺、もう少しゆっくりする」
「では、お届けに上がりますので、今しばらくお寛ぎ下さいませ」
「ああ、頼んだよ」

気配が遠ざかって行って、俺はまた溜息を吐いて寝返りを打った。
考えなきゃいけない事は山ほどある。

今日の手術の事。
旦那が考えてる事。
伊達の動向を探る事。

正直、人手が足りない。
伊達は、多分、大きな戦は起こさない。
今までがそうだったし、平和を壊したくないっていう決意がすごく強い戦と政を徹底しているから、大国甲斐に対して大がかりな戦を仕掛ける事はまずないだろう。
そんな事をしたら、他の大名達も動き出して、また戦乱の世に戻ってしまう。
多分、動くとすれば、遙を奪いに来るのが関の山だ。
でも、遙は伊達政宗に現在の状況を知らせる文を書いていたから、動くとすれば、疱瘡が収束する頃だろう。

伊達を探るくらいなら、真田幸村の動向を探る方が優先だな。
何か、嫌な予感がしてたまらない。
あの人は、猪突猛進で、単純で、そういう真っ直ぐな所が好きで仕えてたんだけど、今回の涼風の件を考えると、旦那らしくない汚い小賢しいやり方だ。
単純な嫉妬で俺を探りたかったのかも知れない。

でも、あの人には残忍な一面がある事も、俺は、知っている…。
拷問に立ち合う時の非情さ…。
敵を早く楽にさせるための情けではあるけれど、その情けのためには、驚くほど冷徹になれる一面がある事も知っている。

だから、胸騒ぎがして仕方ない。
可愛さ余って憎さ百倍という言葉の通り、遙と俺を、今、とても憎んでいて、どんな形で暴走するのか、俺にも読めない。
ただ、ものすごく嫌な予感が拭えない。

遙に張り付いているしかないか…。
遙が江戸に行くなら、俺自身の手で送り届けて、伊達政宗に直接引き渡して、伊達に遙を保護してもらうしかない。

旦那自身、忍を使う事も多いけれど、旦那直属の斥候もいる。
忍隊をあまり動かせない今、斥候の妨害に合ったら厄介だ。

あー、かすがにでも援軍頼みたいよ、本当に。
あの子は暗殺専門の忍頭だけどね…。

諜報も暗殺もこなすのが、俺の忍隊。
諜報専門の忍隊が黒脛巾組。
暗殺専門の忍隊がかすがの忍隊。

姫様の婚儀の事さえなかったら、黒脛巾組の力を借りたいくらいだよ、本当に。
要するに手詰まりだ。
俺の配下の忍の顔は真田幸村に割れてるから、見張る事すら難しい。
やっぱり、かすがに頼もうかな…。
見張りくらいなら、手を貸してくれるかも知れない。
ただ、その場合、遙の存在が上杉謙信の耳に入るしなぁ…。
あー、本当に厄介だ。
やっぱり、手詰まり、お手上げ。

また深い溜息が漏れた。

「俺、本当に君の事、守れるのかな…守ってあげたい。誰にも傷付けられないように、守ってあげたいよ…」

流石に今の戦況は俺には厳し過ぎて、弱音が零れる。

「近々、遙を連れて、お館様にご相談だな。うん、多分、それが一番王道で、間違いない一手だ。真田幸村も、お館様にだけは逆らえない。それしか方法はないなぁ」

俺はお館様に文を書く事にした。
疱瘡の収束に、そう時間はかからない見通しだという事。
予想以上に多くの村人達の命が助かり、被害が少なかった事。
遙がどうしても行わなければならない手術があり、経過が良好であれば、すぐに遙を連れて、お館様にご報告に上がる事。
伊達に遙の存在が知られて、伊達政宗が遙を欲しがっている事。
遙は伊達政宗の下で八王子と吉原の治療をする約束の文を書いた事。
真田幸村の動向から目を離さないで欲しいとの事。
それを文にしたためて、鳥に遣いにやらせた。

今、打てる手はこれだけだ。
俺はやっと袋小路の思考から解放されて、一息吐いた。

後は、遙の手術を成功させる事だけを考えよう。
眼球の摘出なら俺でも出来る。
ただ、遙がどういう治療をするのか分からないから、あくまで助手に回って、遙の手が震え出したら交代だな。
それで、全て上手く行く。

やっと気分が晴れて来た。

「佐助様、お申し付け通り、お届けに参りました」
「ああ、ありがとう。戸の所に置いておいて。俺、これから着替えるから」
「かしこまりました」

細く戸が開けられると、包みが床に置かれ、また戸が閉まった。
俺は、手早く身仕度を整えて、部屋を片付けると、部屋の外に出て愛鳥を呼び、包みを持って遙の待つ村へと向かった。
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