寝室の戸は開けられていて、遙は見た事のない道具や点滴の道具を出していた。
それらを大きな鞄の周りにたくさん並べ、背中を壁に預けて両膝を立てて座り込み、膝の上に置いた白く光る板を熱心に見つめていた。
「遙、おはよう。約束通り、鳥肉の炭火焼持って来たよ」
遙は俺の顔を見て、微笑んだ。
でも、何だかいつもの笑顔と違って、顔つきが厳しい。
ぴりぴりしてる感じがする。
「ああ、ありがとう。ゴメン、戸も開けっ放しだったね」
「ああ、閉めとくから気にしないで」
「ありがとう」
俺は部屋に入ると、戸を閉めて、遙の隣りに座った。
白く光っている板には、文字が書いてあった。
「小児?麻酔?」
「うん。大人の手術とだいぶ違う部分があるから。麻酔科医がいればいいんだけど、いないからね。これも専門外。しかも、使い方を誤れば命に関わるから、もう一度確認してるの」
「麻酔って、昨日言ってた痛みを感じない眠り薬の事?」
「うん、そう」
「あー、それは厄介だ。忍も使うけど、あれで命を落としたり、寝たきりになる人も多いから禁じ手なんだ。殺す予定の捕虜を使って人体実験はしてるけど、なかなか思うようにいかないからね。遙は、使いこなせるの?」
「使いこなせなかったら手術なんてしないよ。ただね、本当に患者さんが意識回復するまでは完全に安心なんて出来ない。麻酔に失敗はまずないけど、やっぱり意識回復するまでは、すごく不安になる」
「はぁ…やっぱり君の医術は化け物級だ…」
「本当に化け物級だったらいいんだけどね…。はぁ…ナースもいない、麻酔科医もいない、無影灯もない、無菌室でもない、野戦病院だよ、全く…。はぁ…まあ、この機械よく出来ててバイタルがすごく分かりやすいから、まだマシか…酸素のボンベとかもコンパクトだし、上手く出来てる」
遙の言葉がまるで呪文のようで、全く分からない。
「まあまあ、とりあえず、腹ごしらえしようよ。俺もまだ食べてないの。一緒に食べようと思ってさ。俺も昨日はあの後、久々に忍の里に帰ってゆっくり寝て来たの。だから、朝餉はまだなんだ」
「そうなの?じゃあ、いったん切り上げて、私も一緒に食べるよ」
遙は膝の上の板を、脇に置いてある機械の上に乗せた。
俺は、二人の前に包みを広げると、俺も両膝を立てて壁に寄りかかって座り、爪楊枝を遙に手渡した。
「ああ、これはキジだね」
「あれ?佐助が用意したんじゃないの?」
「部下に用意させちゃった」
「そっかー。じゃあ、ゆっくり眠れて良かったね!いただきます!」
「俺も、いただきます!」
本当はゆっくりなんて眠れなかったけどね。
あー、また思い出したら嫌な気分になっちゃった。
でも、我慢、我慢。
遙は、嬉しそうにパクパクと食べている。
「炭火がいい香りー!美味しいよ!後で、美味しかったってお礼言っといてね!」
「そりゃ、良かった」
嬉しそうに微笑んでそう言われたら、何か嫌な気分が晴れて来た。
あんまり食欲なかったけど、遙の代理を務めなきゃいけないかも知れないから、俺も少し控えめにキジを食べた。
肉を食べると活力になるのは俺だって知ってるから。
遙はよっぽどお腹が空いていたのか、あっと言う間に食べ終わってしまって、また白く光る板の文字を熱心に読み始めた。
俺は、ゆっくり食べながら、遙の横顔に見惚れていた。
とても真剣な表情が、知性溢れる女性って感じで、とても魅力的だ。
綺麗なだけの女はたくさんいるかも知れないけど、今の遙は、片倉小十郎顔負けの、知性に満ち溢れた顔つきだ。
…あんなにいかつくないけど。
…やっぱり、伊達政宗に釣り合うのは遙しかいないんじゃないかなぁ…。
つくづくそう思う。
「ふぅ…おさらいはこれ位でいいかな。朝早くに痛み止めの注射して来たから大丈夫とは思うけど、あんまり遅くなったら、あの子、お腹空くだろうし、きっとしばらく食べられないから、中心静脈栄養の処置もしなきゃ」
「そんなに重症?」
「ううん、子どもの血管って細いの。末梢じゃ、あんまり栄養与えられないから、念のため。それに、予想通りの目の腫れ方をしてたから、そろそろ手術に取りかからなきゃ」
「ああ、分かった」
遙の治療に付き合っているうちに、俺もだいたい要領がつかめるようになって来た。
衰弱が激しい患者の時だけ遙は中心静脈栄養の処置をしている。
末梢の血管から与えられる栄養の量に制限があるからだ。
俺は部下を何人か呼び出し、遙に指示された通りに機材を運ばせ、あの少女の布団の横に屏風を置かせた。
両親を驚かせないための配慮だ。
俺も食事を終えると、それを片付けた。
遙は立ち上がり、仕度をしていた。
「ねぇ、遙?」
「うん、なぁに?」
「手の震えは止まった?大丈夫?少し顔が青褪めてるよ?」
遙は溜息を吐いて、苦笑いをした。
「本当に、佐助って鋭いね…。正直、今までにないくらい不安…。手の震えは止まったけど、こんなに手探りな手術は初めてだから…すごく、不安…」
「そう…。ねぇ、遙。抱き締めても、いい?」
「え?」
「それで君を勇気付けられるなら、抱き締めたい」
嘘。
それは、口実。
君を勇気付けたいってのは本当だけど、俺自身の穢れを祓って欲しいってのが本音。
弱みにつけこんで、ゴメンね。
でも、今、君を抱き締めたくてたまらない。
遙は困ったように悩んでいたけど、こくんと頷いた。
立ち尽くしたままの遙に近付き、そっと抱き締めた。
遙は、抵抗する事なく、すっぽりと腕の中に収まった。
はぁ…すごく落ち着く。
でも、何か物足りない。
もっとぎゅっとしたい。
「遙、心配しないで。俺、目の摘出には慣れてるから。だから、安心して…」
そう耳元で囁いて、ぎゅっと抱き締めた。
そのまま、耳元に顔を埋めると、ほんのり花の香りがした。
何か、心の中が穏やかになっていって、すごく満たされる。
「佐助…何かあった?」
「あー、バレた?君も鋭いね。うん、そうなんだ。だから、もう少しだけ、こうさせて。すごく癒されるの。あと少しだけ…」
そう言うと、遙は俺の背中に腕を回してぎゅっと抱き締めてくれた。
「お互い、もっと落ち着こう。一緒に頑張ろう。大丈夫、きっと、大丈夫…」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、抱き締める腕に力を込めて、ぎゅっと俺を抱き締めると、遙は身体を離した。
そして、優しい笑みを浮かべた。
「私も何か落ち着いた。絶対に成功させてみせる。佐助、行こう」
そう言うと、鞄を持って遙は部屋を出て行った。
俺もその後に続いた。
落ち着いて癒されたのは、俺の方だよ、遙…。
いくら身体を清めても穢れが消えないのに、それを祓えるのは君だけなんだ。
君は、その医術だけではなく、存在そのものがかけがえのない癒やしだから…。
もう一度、心の中で誓う。
俺は、君を絶対守り抜く…。
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