「ごめんください、私です」
外から声をかけると、あの母さんが戸を開けた。
「先生、お待ちしておりました」
「遅くなって申し訳ありません。娘さんは痛がって泣いていませんか?」
「いいえ、朝早くに、先生が来て下さるまで痛がって泣いてましたけど、痛み止めの注射をしてから、痛みが止まったみたいで、おとなしく寝てますよ」
「そうですか。これから治療の準備に入ります。お勝手をお借りします。それから、治療中は絶対に覗かないで下さい。気が散ると、下手に傷を付けてしまうかも知れませんので」
「ええ、分かりましたとも。先生を信じて、お待ちしております。お勝手は、こちらです」
勝手口に案内されて、俺は桶を洗い場に置いた。
「佐助、排水はどっちに流れるの?」
「ああ、この樋を通って外の溝に流れるようになってる。ここが洗い場だよ」
「分かった。私、ちょっと診察して来るから待ってて」
そう言うと、遙は鞄を持って子供の寝室に向かった。
しばらくして、遙は少しホッとした表情で戻って来た。
「お待たせ。じゃあ、佐助にも手術の衣装着てもらうね。動かないでじっとしてて」
遙は、手袋をして、鞄の中から水色の割烹着を2着取り出すと、ピンセットを使って俺に着せた。
そして、俺にも手袋を手渡した。
「同じように、私にも着せて欲しいの」
「ああ、分かった」
遙の見よう見真似で、遙にも割烹着を着せた。
そして、髪の毛を束ねて、三角巾に似た帽子をすっかりと髪の毛を隠すように被り、マスクをした。
遙は、俺の頭にもその帽子を被せ、マスクをかけた。
「これから、手指と腕まで洗浄と消毒するから、手袋外して、動かないでね。腕は、こう。そのまま動かないで」
手袋を外すと、遙は俺の肘を曲げて手が上になるように、石鹸を泡立てブラシで爪の間までごしごしと洗った。
「いててて!痛いってば!」
「我慢して!すぐ終わるから」
それから念入りに指の間から手首、肘にかけて洗うと、桶の水を柄杓で何度もかけた。
厚手の紙で俺の手と腕の水を拭き取ると、アルコールで消毒した。
「乾くまで、そのまま動かないでね。私も洗うから」
遙は慣れた手つきで手早く、それでいて念入りに指先から肘まで洗うと、桶に手を突っ込み、それをひっくり返しながら泡を流し、紙で拭き取った。
そして、念入りにアルコールでもう一度消毒をして、茶色液体で更に消毒をした。
「あー、水道ないと不便だねぇ」
そう言いながら、俺の手に、肘まで届きそうな長い手袋を被せた。
そして、自分も手袋をする。
「佐助、いい?これから、手術の道具しか触らないでね。無菌室じゃないから、気休めにしかならないけど、なるべく汚染は避けたいから」
「分かったよ」
遙は頷き、肘を折り曲げたまま、子供の寝室に向かった。
道具は遙の指示通りにきちんと並べられていた。
子供の胸には何か線が付いたものがいくつも貼り付けられ、それが機械に繋がっている。
腕に巻かれた帯からも、指を挟んだ洗濯バサミのような物からも線が出て繋がっていて、少し大き目の点滴の袋が二つぶら下がっていた。
そして、子供は透明なマスクを口にかけられている。
ピッピッという音が定期的に鳴り響き、機械には不思議な波形と数字が書いてあった。
子供は、少し不安そうに、でも興味津々というように周囲を眺めていた。
「大丈夫?気分、悪くない?」
「うん、大丈夫。私のお目々、なくなるの?」
「うん、ごめんね…」
「大丈夫!先生が、新しいお目々入れてくれるってお母さんが言ってたもん!治ったら、痛いのもなくなるって聞いたから、大丈夫だもん!」
「いい子だね。じゃあ、ちょっとちくっとするけど、我慢してね」
遙は子供の上腕を縛ると血管を確認し、肘の裏を消毒し、注射器から伸びた細い管の先に付いた針を、刺した。
「痛かった?」
「全然!」
「じゃあ、先生と一緒に十まで数えられるかな?」
「うん、数えられる!」
「じゃあ、行くよ。せーの、一、二、三、四」
遙は注射をしながら子供と数を数え始めた。
子供は、三まで言い終わらないうちに眠りに落ちて行った。
こんなに強い眠り薬は初めて見た。
遙はゆっくりと注射を終えると、縛っていた紐を外し、点滴を調整し、機械の数字を確認して、手袋の上からまた手を消毒した。
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