「遙の嫌な予感?それってどういう予感?」
遙は天井を見上げたまま、また溜息を吐いた。
「何かが少しずつずれて、予想外の展開が起きる予感、かな。最善の一手を一つずつ打って来たのに、残る不安要素。そうだなぁ、強いて言えば、極論は武田の姫様の存在とお館様の婚儀に対する熱意がどこまでか、かな?」
「えええっ!?姫様!?何でっ!?遙、会った事もないのに!」
「うん、会った事がないから全然読めない。それに、政宗様の動きを封じる存在だから。政宗様は婚儀を拒んでるからね。でも、私の知る政宗様は、誰かに動きを封じられるなんて耐えられないお方って印象かな。喉から手が出るほど、私が欲しいなら、政宗様は何とかして策を練るだろうね。でも、やっぱり武田の姫様が政宗様にとっては懸念材料だね。だから、お館様がどれだけ姫様の婚儀に懸けてるのか、姫様を切り札になさるほど政宗様との婚儀をまとめたいのか、そこがまず問題。政宗様も、お館様の出方を考えあぐねてるんじゃないかな。姫様がやっぱり幸村を諦められなくて、幸村がお館様から姫様との婚儀を認めてもらう漢気があるなら、それが最善の一手。つまり、王手。それで政宗様の障害物はなくなる。でも、幸村には期待出来そうにないな…。まず、姫様の想いに気付いていないっていうのと、幸村はお館様には絶対逆らえないってのが理由。姫様の婚儀の存在のために、私は政宗様の出方が読めない。まぁ、二択だけどね。だから、追加の文を書いて一手を打ったの。政宗様の出方を絞るためにね。後は、政宗様のお返事待ちかな。それにしても、やっぱり読めないのは姫様とお館様なんだよなぁ。お館様については、3日後にお会いする約束をしたから、その時に明らかになる。佐助の打った一手だね。政宗様のお返事と、お館様のお返事は時間の問題だね。だから、待つしかないんだけど、今現在、武田、伊達、両陣営で何が動いてるのか、全く分からないから、不安だな…。その原因は、突き詰めれば姫様の婚儀に尽きるね。私と佐助が打った最善の一手の前に、すでに何か事が動いていたら、全く予測不能。もしかしたら、私達がそれぞれ打った一手は間に合わなかったんじゃないかって、嫌な予感がする…。それが、私の嫌な予感」
俺は、改めて遙の頭の回転の良さは化け物級だと思った。
理路整然というか、何というか…。
何でこんな少ない材料からそこまで推測出来るのか不思議でたまらない。
まるで、両陣営を空から俯瞰しているみたいだ。
「はぁ…。君って本当に頭がキレるね…」
「そう?どう考えても結論はそこに辿り着くなぁって思っただけだけど?」
「言われてみれば確かにね。全ての問題は、姫様の婚儀に尽きるなぁ…。遙の言う通りだね」
「ねぇ、佐助。幸村焚き付けて、姫様略奪愛とかさせられない?」
「無理無理!そんなの出来たら、一発で王手じゃないか!」
「だから、一発で王手かけられたら一番被害ないでしょ?」
「それが出来ないのが将棋でしょ?あの奥手の旦那を姫様にぞっこんにさせる上に、姫様をあのお館様に楯突いてまで貰い受けるだけの漢気だよ?無理に決まってるじゃないか。前者を成功させるのも難しいのに、旦那はお館様には絶対に逆らえないから、後者が最大の障害!」
「はぁ、やっぱり想定通りだな。幸村の一発王手にほんの一瞬だけ夢見たんだけど、すぐに諦めたもん。じゃあ、発想を逆転させて、姫様の熱意で全てをひっくり返すって手も考えたんだけど、私は姫様の事を何にも知らないから、だから、読めないって言ったの。正直、幸村で王手かけられなかったら、姫様で王手しかないからね」
「はぁ、遙、キツい事、言うねー。ほんの一瞬って、旦那、可哀想、ははっ!!でも、その読みは鋭いよ。そうか、姫様か…。それなら、あり得るな…。何せ、真田幸村の初めてのキスを奪ったのは姫様だからね。お互い初キスだったんだよ?」
「ええっ!?そうなの!?そっか、そこまで行動的とは…。直情ゆえに、突っ走る?でも、突っ走る方向が予想外の動き?うー、更に読めなくなった。何をやらかすか分からない感じで、更に不安要素になった!何て大胆な姫様!」
「俺から言わせると、遙の方がよっぽど大胆!ったく、策士だしさ。あの伊達政宗を利用するつもりだしさ。姫様の想定外の行動の方がよっぽど可愛らしい範囲内だよっ!!」
そう言うと、遙は声を立てて笑った。
「策士よりも、感情だけで動く人間の方がよっぽど怖いよ、佐助。全く読めないから。佐助だって策士でしょ?」
「うん、まあね。はぁ、そんな所まで俺達似てるんだ。道理で馬が合う訳だ。ねぇ、遙?君の夫、見つからなかったら、俺と祝言挙げない?似た者夫婦って言うでしょ?」
遙は目を瞠って固まった後、くすくすと笑った。
「ダメ。私の存在意義は、彼と再会して再び夫婦になるためにあるから。神隠しはそのためだと思ってる。7年間の積年の想いをかけて、策士に徹するんだもん!全ては、彼との再会のために!はぁ、私も7年前は純粋だったのになぁ。男社会で揉まれたのがいけなかったのかな…。ううっ、彼に嫌われたらどうしよう…。お前はもっとピュアだったのに、こんなに汚れちまって幻滅だぜ、なんて言われたら、ショック…。ショックで寝込む…」
「今でも純愛してるからいいじゃん。その割に天下人を利用したり、ものすごい事やってのけるけどさぁ。はぁ、運命の恋人夫婦だもんねぇ。そりゃ、必死になるよねぇ。俺のは、冗談だから気にしないで」
俺は遙と結ばれたくても、結ばれないのは分かってる。
裏の仕事がある限り…。
でも、冗談でも求婚してみたかったんだ…。
断られるの、分かり切ってたけどね。
はぁ、切ない…。
一緒にいて、こんなに楽しいのになぁ…。
「ねぇ、佐助?」
「うん、なあに?」
遙は不安そうに、それでいて勘が冴え切っているような目で、俺を見つめた。
「私も何かすごく胸騒ぎがするんだ。佐助に確認したいんだけど、何か色々な事が長い事かけて少しずつずれていって、今は何かが大きく狂っているような感覚がしない?色々、予想外の出来事が起こるタイミング…時期のせいで。時期って言うか、ほんの一瞬の時間なんだけど」
俺が言いたい事、正しくズバリその通りだった。
胸騒ぎの直接の原因は、俺には確かにある。
でも、そうなってしまったのは、少しずつ色々な事がすれ違って、ずれが生じて、複雑に絡み合ってしまって、大きく狂ってしまった。
そんな感じがする。
「全く同感だね。俺の胸騒ぎの理由が、それ。正しくズバリね。そうか、タイミングって言うのか、便利な表現だね。そうだね、色々な事象のタイミングが悪くて、すれ違いを重ねた結果、大きな狂いが生じている感じがするよ」
「やっぱりね。例えば、本来なら今頃お館様にお会い出来てたはずなのに、あの子が今頃になって疱瘡に罹って右目を患って手術をしなければならなかった事もそう。本当に偶然で、しかも時期的にも想定外なんだけど、そのために、私は動けない。別にあの子が悪いんじゃない。タイミングが悪い。こういう風に、色々な偶然が重なって、何かに翻弄されている気がする。一例を挙げればね」
「色々な偶然ね…。思い当たるよ、色々。さっき考えてた。で、結局手詰まりなんだよね」
「そうだね…。はぁ、何だか不安だな…」
遙は、本当に憂鬱そうに溜息を吐いた。
「ねぇ、遙?俺も確認したい事があるんだけどさ」
「うん、何?」
「君の秘密ってそれで全部?」
「全部、ねぇ。何をもって私の秘密って言うのかによるけど、あらかた話したよ。私は未来の世界から来た事。私は未来の世界で結婚をしたという事。夫がすぐに神隠しに遭って、今は絶対にこの世界にいるという事。私の願いを叶えられるのは政宗様だけって事。それは、全部真実で、究極的に言えば、全ては政宗様にかかってる。政宗様の下へ行くのが私の願い。それが、私の抱えていた秘密だよ」
「なるほどね…。全部真実を言ってる目だね。真実なのは間違いないのに、何か引っかかるんだけど、俺の気のせい?」
遙はふっと口元を緩めた。
「じゃあ、逆に尋ねるけど、佐助は何が知りたいの?」
「知りたい事ねぇ…。全て、筋が通っていて、非の打ち所がないのは確かなんだよなぁ。嘘ってどこかに綻びが必ず出るんだけど、それも見当たらない。そうだなぁ、強いて言えば、勘かな?何かが引っかかる。何だろう…こういう非論理的な推測って好きじゃないんだけどさ、君は人に利用される事はあっても、利用するような子には見えないってのが引っかかるのかな。馬鹿みたいにお人好しの遙がさ、愛する男のためとはいえ、天下人を利用するってのが解せないかな」
遙は、見ているこちらが切なくなるような、儚げな笑みを浮かべた。
「そっか…。佐助はそう思ってくれてるんだね、ありがとう」
遙の瞳が潤んで、そして、一筋涙が頬を滑り落ちて行った。
「でも、本当に真実は一つだけ。私は、政宗様の下へ行きたい。それが、私のたった一つの願い」
そう囁くように言うと、遙は、はらはらと涙を流した。
とても、とても、綺麗な涙…。
見ているこちらが切なくてたまらなくなるような涙。
嘘で流せる涙なんかじゃない。
本当に、遙は、心から伊達政宗の下へ行く事を望んでいる。
痛いほど、それが伝わってくるような、綺麗で切ない涙…。
「はぁ、俺、つくづく君の涙に弱いな…。君は嘘で泣ける子じゃない。だから、伊達政宗の下へ行きたいっていうのは本当の事なんだと思うよ。そう信じざるを得ない。何かまだ引っかかるけど、君のたった一つの願いが伊達政宗の下へ行く事なんだっていう事は、よく分かった。伊達政宗も君を必要としてる。だから、必ず会えるさ、大丈夫」
「うん…」
そう言ってよしよしと遙の頭を撫でると、遙はやっと秘密を吐き出せて、ホッとしたというような表情で涙を流していた。
伊達政宗の下へ行きたい、か…。
それは間違いなく真実なのに、解せない。
何かもやもやする。
こうして静かに涙を流す遙の姿を見ると、間違いなくそれは真実なのに。
その違和感が明らかになったのは、俺達が恐れていた悲劇が起こったのと同時だった。
遙の抱えていた胸騒ぎの理由。
俺が抱えていた胸騒ぎの理由。
それは、言葉にしてしまえば、一言で済んだ上に、お互いに共有出来ていたら、更に二手が打てていた。
大きな戦になるのを恐れて口をつぐんでいた、遙。
最後まで、どこかで主をまだ信じて口をつぐんでいた、俺。
どちらにも、絶対に言えない理由があった。
今、思い返しても、あの日、遙はその言葉通り、あらかたの秘密を、俺に打ち明けていた。
ほとんど、嘘も言わずに。
正確には、誤魔化しと嘘の間のような偽りが1厘くらいだけ織り交ぜられていた。
鍵になってた言葉は「政宗様との取り引き」。
あの言葉は、ある意味遙にとっての真実で、そして俺の誤解も招く事が出来る絶妙な表現だった。
しかし、その1厘の偽りが、遙の最大の秘密を巧妙に隠していた。
そして、それは本当に、遙にとっては誰にも知られてはならない秘密だった。
特に、甲斐においては、命取りになるほど重大な。
俺にすら打ち明けられないほどの、重大な秘密だった。
その最大の秘密とは、遙の夫の正体だった。
誰があの時、遙の夫があの男だと想像出来ただろう。
誰も想像出来なかったはずだ。
まさか、あの天下人がずっと想いを寄せて、操を立てていた相手が遙だったなんて、誰が想像出来ただろう…。
あの天下人に、すでに妻がいたなんて、誰が想像出来ただろう…。
それを知っていた人物は本人達以外ではたった二人。
片倉小十郎と真田幸村だけだった…。
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