朝比奈家
「またね〜! 朝比奈くん!」
「はい、また明日!」
学校が終わり、朝比奈 晴菜は一人で家へと向かった。普段は自分専用の従者が車で迎えに来るのだが、今日は歩いて帰りたいと言ったため、迎えは来ない。それに家はそう遠くはない。
見慣れている道を進み、目の前にある角を曲がる。ここで晴菜はポケットからスマホを取り出す。そして、誰かに電話をかけようとした……その時だった。
「君が、朝比奈 晴菜くんだよね……」
******
どかどかと男は廊下を走る。彼を止めようとしたメイドたちの声は、彼の耳には届いていなかった。
男は目の前のドアを勢いよく開け、息子の名前を呼んだ。
「晴菜ッ!!」
「宗一!」
部屋にはメイドと従者に囲まれ、ベッドに腰掛ける息子、晴菜がいた。宗一と呼ばれた男は、晴菜の姿を見るとホッと安心したのと同時に、一気に涙を流した。そして、宗一は晴菜に近付くと彼を優しく抱きしめた。
「よかった。無事で……」
「宗一、仕事はどうしたの? 今日は遅くに帰るって言ってたじゃないか」
「お前が不審者に襲われたって聞いたらから、居ても立っても居られなくて……」
宗一がそう言うと、晴菜は呆れた溜息を吐いた。
「もー! 凄腕の弁護士さんが、たかが息子が誘拐されかけたくらいで、大事な仕事を置いて帰って来るなんて……」
「俺にとっては仕事より息子が大事だッ!!」
宗一がそう強く言うと、晴菜は「ですよね」と意味を込めた笑みを浮かべ、宗一の服を強く握りしめた。
朝比奈 宗一―――苗字からも分かる通り、彼は朝比奈 晴菜の父親であり、朝比奈 桃栄の夫である。
彼は弁護士界の中で知らない人はいないほどの有名人だ。法廷デビューをして以来ずっと連勝し続ける凄腕の弁護士だ。仕事熱心で、後輩に厳しい男だ。少なくとも仕事を放っておく男ではない。そんな彼だから周りの皆は彼を慕うのだ。
しかしまさか彼が息子を溺愛する泣き虫な男だとは、きっと彼と古い付き合いの人間でも知らないだろう。
「だが、本当に無事でよかった…けど、どうやって逃げ切ったんだ?」
「それは……」
「私が、撃退しました」
その声に、宗一は少し驚いた。声がする方を見ると、部屋の隅に一人の男が立っていたのだ。声を出すまで、そこに彼が立っていた事に、宗一は全く気付かなかった。影が薄いとか、晴菜にしか目に入らなかったとかではない。完全に男は気配を消していたのだ。
「黒戯か。息子を守ってくれてありがとう。礼を言うぞ」
「仕事ですから、当然です」
黒戯はそう言うと、頭を下げた。
宗一はもう一度晴菜の方を見ると、彼の手を強く握った。晴菜は彼の名前を、まるで女性の名前を呼ぶかのように優しく呼んだ。
「宗一」
「やっぱり、アイドルなんかにさせるんじゃなかった……」
宗一はそう呟いた。
元々、宗一は晴菜がアイドルになる事に対して反対だった。彼は晴菜にまっとうな道を進んでほしかったからだ。しかしそれは妻である桃栄が許さなかった。桃栄は息子である彼に、自分と同じ道に進む事を望んでいたのだ。
それが原因で、宗一は桃栄と口論になった。結果、じゃんけんをする事でその場を治めた。しかしその際、宗一はある条件を出した。
“もし晴菜に危険が及んだ場合は、アイドルを辞めさせる”と―――。
「危険が及ぶ」とはまさに今日起こった事だ。アイドルになるという事は、世界中の人間に知られるという事だ。宗一が恐れている事はそこだった。
朝比奈家は近所では有名なお金持ちだ。父親は弁護士、母親は有名な歌手。そしてその二人の息子。もし晴菜が有名になり、実家が金持ちだと知られたら、誘拐される恐れがある。他にも、晴菜のファンとなった人間が、晴菜に危害を加える可能性だってある。
現に今日だって、今回は黒戯がいたから良かったものの、もし黒戯がいなかったら……。
「宗一」
晴菜のその声に、宗一はハッと我に返った。晴菜は優しそうな笑みを浮かべて、宗一を見ていた。そして今度は、晴菜から宗一を抱きしめた。
「宗一、貴方は僕から“夢”を奪う気かい?」
「夢……」
「アイドルになると決めたのは母様じゃない。僕だよ。これは、僕が決めた道だ。確かに今日の事は少し怖かったけど、それでもFHCに入った事に後悔はしていないよ」
「でも怖いんだ。晴菜に、もしもの事があったら俺は……」
「知ってるよ。宗一はいつも優しい。だから僕は、そんな宗一が大好きだよ。でも僕がもっと好きな宗一は、愛する息子の夢を奪わない所かな」
晴菜がそう言うと、今度は宗一がはぁと溜息を吐く。
「頑固な所だけ、どっかの誰かに似やがって…」
「そんな所が好きだから、母様と結婚したのでしょう?」
「まぁ、頑固すぎるのも困りものだが……」
「朝比奈さま、そろそろ……」
宗一の秘書は申し訳なさそうな表情で、宗一に耳打ちをした。そろそろ仕事に戻らないといけないと言う事だ。宗一は、「分かった」とだけ告げると秘書を下がらせた。
「ごめんな、晴菜。仕事に戻らないと」
「お仕事、頑張ってね。宗一」
「あぁ。頑張って早く帰るよ」
宗一は優しく晴菜の頭を撫でると、部屋を出た。
部屋を出ると、いつの間に部屋を出ていたのか黒戯がそこに立っていた。宗一は黒戯と一瞬目が合ったが、何も言わずに彼の前を横切った。宗一の姿が見えくなった事を確認した黒戯は、小さく一言だけ呟いた。
「かしこまりました」
________________________________________
____________________________
多くのビルやマンションが建つ中、ひと際目立つマンションがあった。20階もありそうな大きなマンションだ。そのマンションの15階に、一人の男は住んでいた。
男は真っ暗な部屋の中で、パソコンを見つめながら傷の手当てをしていた。男はぶつぶつと呟く。
「あの野郎目……せっかく、せっかく朝比奈くんに会えたのに……せっかく……」
それは数時間前の出来事だ。
******
「君が、朝比奈 晴菜くんだよね……」
男は息を切らせながら、晴菜の前に立っていた。
「貴方は?」と尋ねた晴菜に、男は興奮した。男は晴菜のファンであった。まだデビューもしていない晴菜の事、何故この男が知っているのかは不明であるが、男は晴菜のその愛らしい見た目の虜となっていた。
(この男はヤバい……)
男の不自然な行動に流石の晴菜も警戒した。そんな怯える晴菜の姿に、男はさらに興奮した。あの愛しい晴菜が目の前にいるのだ。興奮しない訳がない。
「あ、おじさんね、別に怪しい人じゃないから。ただ、朝比奈くんとね、お話したいだけなんだよ……」
男はそう言いながら、晴菜に向かってゆっくりと手を伸ばす。晴菜も急いで逃げようとするが、いくら大人びていようと彼はまだ9歳の子供だ。あまりの恐怖に足が動けないのだ。晴菜は慌てて目を閉じる。
(怖い……助けて、おとう……)
男の手があと少しで晴菜に触れようとした……その時だ。
「ぐはッ!!」
男は勢いよく後ろへと飛んでいく。その声を聞き、晴菜はそっと目を開けると、そこには見覚えのある後ろ姿があった。彼の従者、黒戯だ。
晴菜は一瞬、どうしてここにとか、色々言いたいことはあったが正直そんなことはもうどうでもいと思った。見覚えのある人間に会えたからか、晴菜は腰を抜かした。
「黒戯……」
「心配して、陰から見守っていて正解でした」
黒戯は陰から晴菜を見守っていたらしく、男が晴菜に近付いたのを見てて男の腹を勢いよく蹴り飛ばしたのだ。
男は腹を抑えながら黒木を睨み付けた。しかし黒戯は笑顔のまま、男を見ていた。
「くそッ」
男はそう言い残し、その場を去っていった。黒戯は男の後を追うとしたが、それよりも晴菜を優先し、男を諦めたのだ。
******
そして今に至る。
男はパソコンの画面に映る晴菜の画像を見ていながら、黒戯への憎しみを募らせていった。やっと晴菜に会えたと言うのに邪魔が入った。恐らくこれ以降晴菜が1人で行動する事はないだろう。つまり今回が晴菜に二人っきりで会える絶好のチャンスだったのだ。
「あぁ、朝比奈くん……もう一度君に会いたいなぁ……今度は誰にも邪魔されず、誰もいない、僕たちだけしかいない所で……」
人差し指で、画面に映る晴菜の画像を撫でながら男はそう呟いた。それと同時に、部屋に涼しい風が入って来た。確か窓は閉めていたはず……と、男は後ろを振り返る。
「なッ!?」
男は情けない声を出しながら椅子から落ちてしまった。それほど目の前の光景に驚いたのだ。
何故なら、彼の前の前には夕方に出会ったその男。つい先程まで憎んでいた相手、黒戯がそこに立っているからだ。しかも15階のベランダに、だ。どうやって上って来たのか、どうやって鍵を開けた、いつからそこにいたのか、男がそう考えている間に、黒戯は部屋の中へと入っていく。
「こんばんは、不審者さん。夕方以来ですね」
黒戯は夕方の時に出会った時と全く同じ笑顔で男に話しかけた。しかし男は気付いていた。同じ笑顔だが、夕方と全く違うこの雰囲気。殺意にも似た雰囲気が彼から放っていた。
黒戯はパソコン画面に映る我が主人の画像を見ると、再び男を見た。
「夕方は、私の主がお世話になりました。そのお礼をしに、今夜参りました」
「なななななな、なぜ、ここが!!」
「簡単でしたよ。貴方の住所を特定するのなんて……」
黒戯はそう言いながら、ゆっくりと男に近付く。男は後ろに下がるも背中に壁が当たり、完全に逃げ場を失ってしまった。それでも黒戯は容赦なく、彼に近付く。
「ぼ、僕が悪かったよ!! だ、だから助けてくれッ!!」
男が慌てて謝罪するが、黒戯にはそんな言葉なんて聞こえていないかの様に、男の腹を蹴り上げた。
「ぐッ!?」
男は腹を抑えながら、その場にうずくまる。黒戯はそんな男の様子を見ながら言った。
「どうやら、貴方。なぜ私がココに来たか理解されていないようだ」
黒戯はそう言うと、男の頭を容赦なく踏みつけた。
「正直言いますとね、私はあのガキがどうなろうと知った事ではないんですよ。そもそも私、子供の御守とか嫌いなんですよ。ほら、子供ってウザいし我儘だし、一緒にいるだけで虫唾が走る程、私は子供が嫌いです」
突然ベラベラと喋り出す黒戯に男は少し驚いていた。先程まで礼儀正しそうだった彼が一変し、自分自身の主を愚弄し始めたのだ。
子供が嫌い? 御守が嫌? じゃあ何故彼はここに来たのだ。先程彼は昼間に起きた事のお礼をしに来たと言っていた。彼は、この男が晴菜に触れようとしたことに対して怒っているのではないのか?
男の考えを悟ったのか、黒戯はゲラゲラと高笑いした。その黒戯の姿に、男はまた別の意味で彼にゾッとした。
「この俺がッ! あのガキの為だけにここに来ると思っていたのかよ! ばっかじゃねぇの? そんな面倒なこと、するわけねぇだろ!!」
黒戯がそう言うと、男は少しずつ怒りが湧いてきた。何故このような人間が、あの晴菜の従者をやっているのか。なぜ、このような腹立つ男が、晴菜の傍にいるのか……男はそれが理解できなかった。
「けど俺はかなり怒ってるんだぜ。何故かって? お前が俺の大事な人を傷つけたからだ。もっと簡単に言ったら、俺の大事な人の大事な物を、穢れた貴様が触れたから……かな」
黒戯は男の頭をさらに強く踏みつける。もう黒戯にとって目の前にいる男は人間でも何でもない。ただのゴミとしてしか見えていなかった。
黒戯は最後に一言、呟いた―――。
「すべては愛しき、宗一さまの為……」
END
<キャラ紹介>
朝比奈 宗一(あさひな そういち)
一人称「俺」。年齢:31歳。朝比奈 晴菜の父親で、桃栄の夫。百戦錬磨の弁護士で、彼を慕う弁護士も多い。仕事熱心で厳しい一面を持つが、実は息子を溺愛しており、泣き虫で心配性。
息子の晴菜とは仲が良く、晴菜から名前で呼ばれても特に何とも思っていない。逆に妻との仲は最悪。
黒戯(くろぎ)
一人称「私」、「俺」。年齢:23歳。朝比奈家の使用人の一人で晴菜の従者。晴菜とは幼い頃からの知り合いで、晴菜本人は彼を兄の様に慕っている。料理を始め家事なら何でもできる。誰にでも優しく、温厚な人物。
正直、晴菜より宗一にしか興味が無く、晴菜の事はどうでもいいと思っており、「晴菜が宗一の宝物だから守っている」だけである。
- 40 -
[*前] | [次#]
ページ: