02 愛
「天才」と呼ばれた元ピアニストは幼き龍のピアノの先生だった。出会いは彼が3歳の頃だ。龍の父親に会いに来た彼女は、母親と遊ぶ龍を見つけた。その時なんとなく彼女は龍に声をかけた。ピンク色の髪、緑色の瞳を持つ彼女に、龍は惹かれた。
それから週に一回会いに来る彼女に龍はとても懐き、次第に好意を持つようになった。
彼女が弾くピアノ、彼女の不思議な性格、すべてが好きだった。中でも好きだったのは彼女の「声」だった。美しく、綺麗な彼女の「声」。龍は彼女のすべてが大好きだった。次第にピアノにも興味を持ちだした龍は、父親に頼んで彼女をピアノの先生にしてもらった。
龍は驚くほどのみ込みが早かった。彼女にピアノを教えてもらい、その一週間後には完璧に弾けるようになっていた。彼のまさかの才能に、彼女もさすがに驚いた。
―――ある日、龍は先生に聞いた。
「先生って好きな人いますか?」
子供にありがちな質問に、彼女は少し口を閉じた。「ん〜」と考えた後、彼女は口を開いた。
「そうね、モーツァルトかな」
「モーツァルト?」
「yes! まぁ過去の人だからどんな人物なのか知らないけど。でも彼が創る曲は全て素敵な物ばかりよ」
「そう言えば、初めて教えてくれた曲も、モーツァルトさんの曲ですね」
「『きらきら星変奏曲』……誰でも知っている有名な曲ね。私、この曲一番好きなの」
「……僕も、モーツァルトになれば先生好きになってくれますか?」
龍のその発言に、彼女は何も言わなかった。何も言わず、彼女はピアノを弾き始めた。
この時、龍は自分がフラれたことにまだ気付いていなかった。
******
「龍くんは、お母さんとお父さん好き?」
唐突に彼女はそう聞いた。
龍は間を開ける事もなくすぐに答えた。目を輝かせ、今までよりいい笑顔で……。
「大好き! 父さんも、母さんも! 二人とも優しいんですよ! 最近、お仕事が忙しくて一緒に過ごす時間が少ないですが、休日はたくさん遊んでくれるんです!」
目を輝かせて答える龍に、彼女は笑みを浮かべながら聞いていた。しかし彼女の表情は何処か切なく、悲しく見えた。
彼女は突然立ち上がり、窓辺の方へ歩いて行った。窓の外を少しの間観ていた後、彼女は振り向く事なく口を開いた。
「龍くん。私と両親、どっちが好き?」
「え?」
「もし私の方が好きと言うのなら、私と一緒に行かない?」
その時、部屋のドアが勢いよく開いた。そこに立っていたのは龍の父親だった。男は息を切らせ、彼女を睨み付けていた。それから龍に「部屋から出て行きなさい」と言った。龍は少し躊躇ったが、男の指示に従い部屋から出て行った。
部屋に二人っきりになった男と彼女。男はドアを閉めると、すぐに鍵も閉めた。
「用心深いのね。部屋に誰も近付けないよう見張りとかつけているんでしょ?」
「自分の家でそんな事する訳ないだろう」
「それで、何か用かしら? まだピアノのレッスン中よ」
「……」
男は部屋に置いてあった椅子に深く腰掛け、口を開いた。
「頼むから、あの子をたぶらかさないでくれ」
「別にたぶらかしていないわ。ただのお喋りよ」
「あの子は将来、如月家を継ぐ長男だ。正直、ピアノなんてやらせたくないが……」
「あら、結構才能あるわよ。あそこまで才能がある子、久しぶりよ」
「と、とにかく! この先またあの子をたぶらかそうとする発言をしたら、二度とこの家に入れないようにするからな」
男のその発言に、彼女はニヤリと笑った。
「別に私は構わないわ。辞めさせられたら、“真実”を打ち明かすだけだよ」
「き、君ッ!!」
怒りと焦りが有頂天に達した男は、彼女を近くのテーブルに押し倒す。彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。彼女が笑うと、男は一瞬ドキッとした。
彼女の容姿はとても美しい。彼女の笑み一つで虜となる男性は多い。この男も、彼女の虜となった一人だ―――。
「貴方って本当、嫌な男ね。私から全て奪っておいて、次はあの子を奪うのね」
「あの子は君の生徒だろ」
「私の生徒なら私のモノでもあるわ」
彼女は男の首の後ろに手を回す。
「安心して。貴方が約束を守ってくれている間は、大人しくしているつもりよ。約束を守ってくれたら……ね」
「僕は約束を守ってる。破ろうとしてるのは君じゃないか」
「私は言った約束は決して破らないわ。だって……」
貴方を、愛しているもの―――。
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