03 愛しき我が子
如月家は有名な投資家だ。龍のおじいちゃんのそのまたおじいちゃんからと長く続いていた。
ある日、龍の父親は一人の女性と出会った。彼女は「現代のモーツァルト」と呼ばれていた女性だった。容姿は美しく、そして不思議に雰囲気を漂わせていた。だが男はそんな不思議な女性に、一瞬にして心を奪われた。
あるパーティーの事だ。如月家の盛大なパーティーに彼女は招待された。多くの人間が、彼女が招待されている事に驚いていた。だが彼女は誰とも喋ろうとせず、シャンパンを片手に会場のバルコニーで風にあたっていた。
「隣、いいですか?」
男が話しかける。彼女は「えぇ」と答えた。
少しの間、二人の間に沈黙が破れた。先に口を開いたのは男の方だった。
「パーティーはつまらないかな?」
「つまらないわ。だって、誰も私を“見ない”もの」
「君は目立っているよ」
彼女の髪の色は嫌でも目立つ。それに独特な目の色。現に会場内ではかなり目立っており、多くの男性から声をかけられていた。それなのに、彼女が言う“見ない”とは、一体どういう事か……。
男が考えていると、彼女はクスっと笑った。
「容姿の事じゃないわ。“私”を視ないってことよ」
「?」
「みんな、私の“財産”にしか興味ないのよ。地位、名誉、“私”と言う妻を持つ肩書。皆が見ている私は、そのすべてを着飾っている“私”。誰も“私”と言う存在を見ていないわ」
「だからパーティーは嫌いなのよ」と、彼女は小さくそう呟いた。その声は少し悲しそうで、震えていた。
男はなんと言ってあげたらいいのか、分からなかった。もし余計な事を言えば彼女を傷つけてしまうかもしれない……そう思ったからだ。
「僕は……君を知らない」
「え?」
「君が言うそのすべてを着飾っている“君”しか、僕は知らない。だから教えて欲しい。本当の君を……」
「……それって、口説いているつもり?」
「べ、別にそういう訳じゃ!?」
赤面する男に、彼女はクスクスと笑った。初めてこんなに楽しそうに笑う姿を見た気がした。
「うふふふ、貴方って面白い人ね。いいわ、教えてあげる」
彼女は男の手を優しく握った。
それから1年後、彼女はピアニストを辞めた―――。
******
「遊園地?」
「えぇ、今度の日曜日一緒に行かない? 少し早いけど、誕生日プレゼントよ。」
いつもの様にピアノのレッスンをしていると、彼女が突然龍にそう言った。龍はキョトンとした表情で彼女を見ていると、すぐに嬉しそうな顔になった。
「行く! 行きます!」
「わーい!」と子供らしく嬉しそうにはしゃぐ龍を見て、彼女は嬉しそうに笑った。彼女は、龍と目が合うようにしゃがんだ。
「でも、お父さんとお母さんには内緒よ」
「内緒なんですか?」
「えぇ。約束できるかしら?」
「約束します!」
「良い子ね」
彼女は優しく龍を抱きしめる。龍は何故か、それが懐かしく感じた。前にも一度、彼女に優しく抱きしめられた気がする。
けど龍は、何も思い出せなかった。
約束の日まで、あっという間だった。その日は龍の御両親は二人とも仕事で家を出ていた。今のうちに彼女は龍を連れて家を出た。彼女が乗って来た車に龍を乗せて、遊園地へと向かった。
龍は後部座席でワクワクしていた。彼にとって彼女と遊園地に行くというものが嬉しくて溜まらなかったからだ。龍は遊園地に着いたらまず何乗るかを考えていた。
「観覧車、ジェットコースター、どれにしようか迷います」
「ジェットコースターに乗れるかしら? 貴方みたいな怖がりさんが」
「べ、別に怖がりじゃないですよ!」
クスクスと彼女は笑う。龍はぷくぅと頬を膨らませていたが、すぐに彼も笑った。今走っている道路を次に左に曲がれば遊園地はすぐそこだ。
彼女の車が左に曲がろうとした―――その時だ。
「ッ!?」
右から来たトラックと、彼女たちが乗った車が衝突したのだ。
大きな衝突音が鳴り、車は横転した。その音に釣られて、事故現場にぞろぞろと人が集まってきた。隣の人と話す者、警察と救急車を呼ぶ者、悲鳴を上げる者、スマホをいじる者、様々な人間が集まって来た。トラックの運転手は何が起きたのか理解できず、運転席からピクリとも動かなかった。
車内には彼女は頭を強く打ち、血を流していた。何とか身体は動かせるが意識を失いかけていた。とにかくシートベルトを外し、車から外に出た。正直、体を動かす事さえ辛かったが、彼女は辺りを見わたした。そして事故の瞬間に車から投げ飛ばされた龍が少し離れた所で横たわっていた。彼女は倒れる龍の姿を見つけると、ゆっくりと彼に近付いた。
龍もかなり重傷を負っていた。特に左目は完全に潰されていた。彼女は龍を優しく抱きしめた。だか彼女には、もう彼を強く抱きしめる力は残っていない。
「ごめ、なさい……私のせい、よね」
返事がない龍に、彼女は話しかける。
ぽたぽたと、龍の頬に彼女の涙が落ちる。
「もっと、一緒にいてあげたらよかった……無理をしても、貴方を連れて行けばよかった。貴方にいっぱい、愛してるって、言ってあげたらよかった……」
まるで懺悔の様に呟く彼女の声を聞こえたかのように、龍はゆっくりと目を開けた。
「せん、せい……泣いてるんですか?」
龍はゆっくりと手を伸ばし、彼女の頬に触れた。
「なか、ないで……僕が、まもって、あげますから……」
龍は弱々しく笑う。それを見た彼女も泣きながら笑みを浮かべた。それを見た龍は、再び気を失ってしまった。
遠くから救急車のサイレンの音が鳴った。龍のおでこに優しくキスをした。
「おやすみなさい、私の愛しい子。あなたを、愛していたわ……」
彼女はそう言うと、意識を失った―――。
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