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「私、フェラーリは誰のものにもならないと思っていたわ」
「ん? いきなり何の話?」
「恋バナ」
彼からそんな単語が出るとは思ってもみなかった。とっさに彼の顔をまじまじと見ると、ウイリアムズは「そんなに意外だったかしら」と、いたずらっ子のようにニヤリと広角を上げる。
「でも、意外なのはこっちよ。貴方は昔から"孤高の跳ね馬"みたいな雰囲気だったから」
「そうかなあ」
「そんな貴方が、メルシィと恋仲になるなんてね」
「残念だけど、そんな仲じゃないよ」
「あらまぁ。そうだったの。でも、いつかはそうなりたいんじゃない?」
「そうだね……お星さまと、ウサギちゃんと」
頭の奥がチカッと光ったような気がした。2人を思い出すとき、彼らが背負うスリーポインテッド・スターも共に、想像の中で3本の矢を輝かせる。フェラーリのエンブレムのように複雑なデザインではないが、誰もがそのマークとブランドを共に結びつけて覚えている。その点で言えば、あれは完璧といえるデザインだ。
「メルシィとR、2人とも追うなんて。貪欲ね」
「ダメかな」
「とても良いと思うわよ」
なんとも楽しそうなクスクス笑いが聞こえて、ウイリアムズの顔を見ると、バチリと目が合った。その嫣然たるさまに、目を奪われる。出会った頃から、彼は上品で美しかった。ハースが彼を思い慕う理由がよくわかる。
「ティーちゃんは、ぼくのキャンディちゃ……ハースと仲がいいね」
「ええ。私は、美味しいおやつを与えてくれる、親愛なる友人よ」
「本当に?」
彼はフェラーリの言葉に、きょとんと拍子抜けした顔をする。
「下、見てごらん」
フェラーリの指先を追いかけ、立ち上がりつつ窓の外に目をやったウイリアムズが、ハッと息をのんで口元を覆い隠した。瞳孔がさっと赤くなる。なにか素敵なものを見つけたらしい。
「行っておいで、ティーちゃん。ここはぼくが持つから」
窓の外では、こちらに無邪気な笑顔を向け、手を振るハースの姿があった。なんとも嬉しそうに、白い花で作られた綺麗な花束を抱えている。
「……そう。だから私を引き留めたのね。本当に、キザな人。貴方のそんなところが、ちょっぴり苦手で、大好きよ」
フェラーリは、ウイリアムズが視界からいなくなったあとも、彼の顔があった場所からしばらく目が離せなかった。ウイリアムズの口から「大好き」などという単語が聞けるなんて。聞き間違いだとも思った。だってあの子は今、外で大きな花束をもらって、ハースとハグをして、アルピーヌとマクラーレンに祝福されている。
ふと、アルピーヌがなにかを担いでいることに気づいて、フェラーリは「ああ、やっぱり」と独り言ちた。彼は花束を持っていた。その種類を見る限り、おおよそアルピーヌが選ぶような花はない。そしてその隣に立つマクラーレンの手に、作ってもらっていた花束は握られていなかった。
「Bravo.」
フェラーリの呟いた称賛の言葉が、紅茶の香りと一緒に喫茶店内へ溶けていく。
よく晴れた、本当に優雅な午後だ。ミルクティーを飲んで、吐息を漏らす。少し長居をしすぎた。みんなのところに戻ろうと、立ち上がる。
「お代は結構ですよ」
「それはダメだよ。ティーちゃんの分もある」
「先程、お支払いただきました」
やられた、小切手だ。大好き、なんて言葉に浮かれている間に渡したのだろう。それを見越しての策略だったか。
「じゃあ、これはチップだ。ありがとう、すごく美味しかったよ」
小切手を書いて渡し、店を出る。ああ、いつものようにスマートに渡そうと思っていたのに、先を越されていたなんて。なんとも悔しくて、桁をひとつ増やしておいた。事実、その金額に見合うだけの美味しい紅茶は飲めたのだから、それでいい。
階段を降りていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「そっちのはどうだ」
「あんまりかわいくないよ」
「美味しくなさそう」
「もう少し緑をいれてもいいんじゃないかしら」
花屋に戻ると、4人がわいわいと花を見て楽しんでいた。フェラーリに気づいたマクラーレンにヒラヒラと手招きされたので、素直に招かれる。
「さっき、ありがとね。アルから聞いたよ、メルシィへの花束を作るんだって?」
「そうだよ。シャンペトルブーケを教えてもらおうと思って。それより」
こっそり小声で「パインちゃんへの花束だったんだ」と耳打ちすると、マクラーレンは「ボクの荷物を持たせてるだけだよ」と、平然とうそぶいた。彼の耳がほんのり赤く色づいたことは、指摘すると機嫌を損ねるか、しらばっくれるか、どちらにせよはぐらかされそうなので、伏せておいた。
「何色にするの。やっぱり赤?」
「うーん、そうだな……」
ざっと見渡したとき、一際目を惹く花があった。その花は、今フェラーリが羽織るメルセデスのマントと、同じ色をしていた。
「ブラックプリンスね」
「さすが、ティーちゃんは花も詳しいんだね」
ウイリアムズは横髪を耳にかけながら、黒い花……ブラックプリンスの近くにあるメッセージカードを指差した。そういうことか、とフェラーリが笑みを浮かべると、「黒に近い濃い紫色が特徴のパンジー、ですって」と、カードを読み上げて微笑んだ。
「黒いバラとは雰囲気が違うね。他の花を拒絶するような冷たさがない」
「美味しそう」
ブラックプリンスという名前にも惹かれた。その花を手に取ると、自然と周りの花や草を合わせていく。子供のときに作った道草のブーケのように、感覚だけで花を選んでいく。
「分かってるじゃねえか、作り方」
アルピーヌに言われてふと手元を見ると、ブラックプリンスを中心に、小さな花束ができていた。
「そのくらいでいいか。それ以上やると収拾がつかなくなる」
「楽しくて、つい」
「その言葉が聞けて嬉しいよ。できるだけこの形を崩さないで、軽く整えてほしい。頼めるか」
「かしこまりました。この状態を維持して、ラッピングしますね」
「お願いします」
アルピーヌに言われるがまま、エプロン姿の女性店員に渡す。
「シャンペトルブーケは、相手を思う気持ちがないとできない。つまり"これ"は、メルセデスを思うフェラーリの気持ちだ」
改めて作った花束を見てみる。手際よく丁寧にまとめられたそのブーケは、かすみ草やパンダナス、カラフルなパンジーたちで華やかになりつつも、ブラックプリンスでしっかり引き締まっているように見えた。気恥ずかしいものがあったが、それを押して余りあるほどの誇らしさもあった。
「ありがとう、すごく綺麗だ」
「控えめで可愛らしいわね。いつものフェラーリだったらあまり選ばなさそう」
「バラじゃないんだ」
「バラは、いつもあげてるから。お星さまとバラ、すごく似合うんだよ。だから、いつもと違うお花を選んだの」
自分が作り出したシャンペトルブーケと、もうひとつの花束を胸に抱えて、店を出る。
「結局、バラの花束も買ったのね」
「これはウサギちゃんに渡すんだ。あの子が一番似合うのはやっぱりバラの花束だからね」
己自身の胸に収まるふたつの花束を見つめ、笑みをこぼす。
日が少し傾き始めていた。あと数時間後には、鮮やかな夕日が見られるだろう。みんなすっかり帰り足で、モーターホームのあるサーキット場へ歩き出す。
「ぼく、もう少し散策してから帰るよ。みんなは先に帰っていて」
「いいのか、コーヒー豆も届いている頃だぞ」
「パインちゃんが買ったものでしょ。パインちゃんがご馳走してあげて」
「ん、わかった」
4人と手を振り、フェラーリは1人になる。この街の夕日を見てみたくなった。さっきの喫茶店から見えた丘の上からの見張らしは、かなり良さそうだ。方向を確認して、独り歩き出す。