ぽん、とエネルギーのエンプティを告げる音が聞こえた気がして、∀は目が覚めた。だがいつものようにすぐには起き上がらず、ぽやーっとガンダムの背中を見つめる。お布団はぬくぬくと温かいし、寝息を立てるガンダムの背中もあたたかい。
 バックパックのない彼の背中は、いつもよりも広く見えた。ぐりっと頭を寄せると、驚いたように跳ね、油断した声を出す。
「ど、どうした?」
 目が覚めてしまったのか、ガンダムの背中がゴソゴソと動き出す。
「ううん、お腹すいたから起きたの」
「補給行くのか、オレも行こうか」
「いーの?」
「いいよ。どっちみち、哨戒の集合場所だし」
 ∀と一緒に、ガンダムがのっそりと起き上がって、あくびによく似た深呼吸をしながら眠たげに顔を手で覆ってから、ぼーっと部屋を見回す。
「あー、スリープモードに入るつもりじゃなかったのにな。すっかり寝てた……夜間哨戒の集合時間、まだだよな。今、何時だ?」
 寝ぼけ顔で時計を探す。∀はさっきから油断しきっているガンダムの顔を見て、鼻先のへの字をつついた。「んぬぇ」なんて変な声を聞き、∀がふっと笑うと、「さっきからなんだよ」と、拗ねたような視線を向けてくる。が、すぐにとろりと優しく光る。
「なんとなく。目、覚めた?」
「お前のおかげでな。おはよう」
「うん、おはよ」
 ガンダムは決意したように、ベッドから出る。バックパックを背負うその背中をじーっと見つめていると、不意にガンダムが振り返る。
「ほら、ホールにいくぞ∀」
「うん」
 人工太陽は、すっかり夕焼けのオレンジ色に変わっていた。まもなく夜に切り替わる。
 ホールには珍しく誰もいなかった。ソファに座ると、ゆったりとまどろむ空気が基地を丸ごと包み込んでいるかのように、おだやかで心地がいい。
「誰もいないと、なんか変な感じだな」
「そうだね。タイミングかな」
 基地の正面玄関、コロニー内とコロニー外にはそれぞれ、昼間哨戒で何機か出動している。彼らが稼働する音が、遠くに聞こえてくる気がする。
「ぼくね、ここでガンダムとシャアザクがケンカしてるところを見たんだよ」
「なんだ急に。いつのときの話だ?」
「ふふ、いつもケンカしてるから分かんないよね」
 それはまだ、∀がガンダムとちゃんと話せなかった頃。ある日の哨戒終わりにホールに行くと、その時の哨戒リーダーだったバルバトスを中心にして、ガンダムとシャアザクが激しい口ゲンカをしていた。
「なんでケンカしてたんだったかな。内容は忘れちゃったけど、すっごいくだらない事だったと思う」
「えー……いつだろう。あいつとはいつもケンカしてるからなあ」
「そのとき気付いたんだ。ガンダムって、べつに英雄じゃないなーって」
「ハハ、手厳しいな」
 それがあったから、∀はガンダムに話しかけられた。仲良くなることができた。だから、本当はシャアザクに感謝をしている。
「∀、補給しないのか」
 ガンダムの問いかけに反応しようとして、自分の身体が動かないことに気づいた。スリープモードの影響なのだろうか。ほんの一瞬だけ、本当に一瞬だけ、反応が遅れる。
「あれ?」
「どうした?」
 こちらを覗き込んでくるガンダムの心配そうな顔を見た時、ふと、今のことを言ってはいけないような気がした。
「ううん、なんでもないや。補給するね」
「ん、そっか」
 補給コードを取り出して、自分に接続する。
 ここ最近、毎日同じ場所で補給していると、景色だって見慣れて飽きてくる。そんな場所に、ガンダムがいる。ただそれだけで、なんだか嬉しくなった。
「いつも見下ろしてるから、こう並んでみると、変な感じ」
 隣に座るガンダムをじっと見つめると、ガンダムはムッとしたように眉根をひそめる。
「失礼だな」
 ∀より背が低いことを気にしているのか、身長の話をするといつも不機嫌になる。身長差なんてそんなに気にしなくていいと言ったのに、オレが気になるんだと返されてしまった。
「やーん、怒っちゃヤダー」
「いや、別に怒ってはいないけど……ただ、もう少しオレの身長が高ければ、∀ともっと話せんのになって思うんだよ」
 こういう時、ガンダムは恥ずかしいのかいつもそっぽを向いてしまう。いつもそうだ。ベッドの上以外では、なかなか素直になってくれない。
「かわいい」
「そうかい」
「ねえ、ぼく以外にそんな顔見せないでね」
 それにガンダムが返事しかけたところで、ホールにウイングゼロカスタムが入ってくる。
「あれ、ガンダム。いつもより早いな」
 その後ろに、ゼロの翼を掴んだゼータもいる。∀が「やっほー」と笑いかけると、二機がそれぞれ手を振って答えてくれる。
「ああ。∀が補給するって言うからついて来たんだ。てか、ゼータはなにをしているんだ」
「ウイングバインダーの観察だって。さっきから羽をむしりとられてる」
 よく見ると、二機の足元には羽毛らしき形のガンダニュウム合金が多数落ちている。おそらく廊下から点々と続いているのだろう。
「大変だな、ゼロも」
「痛くはないからいいんだけどさ。それより、ガンダムの今日の哨戒パートナーは誰だ?」
「メタスだよ。もうちょっとしたら来てくれるだろ。ゼロは?」
「後ろにいる。はー、今日はどーやってサボろっかなー」
「おいおい、サボるつもりかよ」
 ゼータがゼロの翼から手を離して、おもむろに∀に近づく。ガンダムもゼロも談笑に夢中で気づいていない。
「今夜も夜間哨戒?」
「ううん、このあとは休みだよ。今朝はイライラしてごめんね。これって理由はなかったんだけど」
 ふと、ゼータが鋭い目つきで己を観察していることに気付き、言葉を飲み込んでしまった。今朝の態度で、怒らせてしまっただろうか。
「……ゼータくん、怒ってる?」
「ううん、怒ってない。ねえ∀。もしかして、最近毎日エネルギー補給をしてる?」
「えっ? なんで分かるの?」
「今朝は不機嫌だったし、少し眠そうだったよね」
「う、うん」
 ∀の問いかけにも答えず、ゼータは押し黙ったまま、エメラルドグリーンの瞳で∀をじっと見つめる。綺麗だなあと思っていると、その瞳が揺れた。その嫣然たるさまに目を奪われる。
「おめでとう、∀」
「……え?」
「反応も一瞬ラグがあるね。それは、多分」
 その時、デスサイズヘルカスタムがホールに駆け込んで来て、思わずそちらを見てしまう。その足音に遮られ、ゼータの声が聞こえなかった。
「やべ、部屋で本読んでたら遅れちまった」
「全然余裕だよ。昼間哨戒の部隊もまだ戻ってないし、今日の夜間リーダーも来てない」
「そうか、良かった」
 ゼロの言葉を聞いて、ヘルは安堵のため息をついた。∀がゼータに視線を戻すと、そこにゼータの姿はなく、すでにデスサイズの後ろで彼のアクティブクロークをしげしげと観察していた。
 何を言っていたのか聞き直したかったが、本当に重要な事柄なら、いつも後からまた言ってくる。そう思って、エネルギー供給コードを抜いた。
「ぼく、そろそろ部屋に戻るね。みんな、気を付けてね」
「おー」
「あ、ちゃんと行ってね」
 ゼータにそう言われ「どこに?」と聞き返す。
「大将のところ。あとでぼくも説明しに行くから」
「? うん、わかった」
 今日の哨戒部隊が集まり出したのを見てホールを出てきた∀は、廊下を歩きながら、最近の自分の食欲を改めて不思議に思っていた。エネルギーをいくら補給してもなんだかもの足りなくて、補給を終えた先からお腹が空いているような感覚に襲われていた。できることなら、補給コードにずっとかじりついていたい。
 そういえば、格納庫にも補給コードがあったはずだ。そこなら誰もいないだろうと踏んで、向かってみる。
「ヅダぴ!」
「そのニックネームをやめろ」
 格納庫にやってきた∀は、シュツルム・ファウストの手入れをしていたヅダに好奇心で「ねーねー、なんでお腹って空くんだろー?」と聞いてみた。
「どうした、まだ補給してないのか? コードならあっちにあるぞ」
「ううん。さっき満タン補給したばっかり」
「さっき?」
 ヅダが「うーん」と首をかしげるのを見て、ヤバいと感じた。そういえば彼は、一を言うと十どころか十五を返すような性格だ。多分、∀の質問に対してとんでもなく難しいことを考えている。
「そもそも、空腹を感じるというのは」
「あーっと、そーいえばぼく、執務室に用事があるんだったー! 急がなきゃー!」
 面倒で長い話が始まる前に逃げ出そうと、∀は格納庫の扉に向かってパタパタ走り出した。
「ああ、そういえば」
 呼び止められた∀の肩が跳ねる。多少ぎこちなく振り返ると、ヅダは小首を傾げつつ「ターンタイプとRXシリーズのレセプタを使ったコードを知らないか」と聞いてきた。
「この前使ったけど、そのあとは……分からないなあ。どうしたの?」
「前にガンダムに貸してから戻ってきてないんだ。あいつが物を無くすはずないし、何か知っているかと思ったんだが」
「じゃあ、あとでガンダムの部屋に行くから、その時に探してみるね」
「ああ、頼んだよ……別に私が備品管理しているわけではないんだがな。私がいるときに限ってお前たちが来るから」
「わかったわかった、じゃあね!」
 逃げるように格納庫を出てから廊下を少し歩いていると、くら、と目が回り、ふらつきながら壁を伝ってその場にしゃがみこむ。
 頭も痛いし、熱い。それをたまたま見ていたサザビーが駆け寄ってきて、心配そうに顔を覗き込んできた。
「∀、大丈夫か」
「びぃさん……あつい、目ぇ回る」
 それを聞いて、サザビーは∀の額と胸、背中に手を当てる。
「全体的に熱っぽいみたいだし、オーバーヒートかな。格納庫まで行けるかい?」
 よいせ、と肩を貸してもらい、そのまま格納庫にフラフラととんぼ返りする。
「ん? 今度はなんだ」
「ヅダ。すまないが、少し手伝ってくれないか。オーバーヒートしたようだ」
 ヅダはサザビーと∀の姿を見て目を見張った。先ほどとは打って変わって、ぐったりした∀に「この数秒の間になにがあった」と、早速∀の様子を診る。
「クーラントを用意する、そこに寝かせてやってくれ」
 ベッドに寝かせられると、∀はそのまま意識を手放すようにスリープモードに入った。
 ヅダは違和感を覚えた。電源が落ちたわけではなく、スリープモードになったのは、冷却のためにセーフティ機能が働いたせいか。通常のコンピュータだったならそれも分かる。けれど、モビルスーツが自身の意思とは関係なくスリープモードに強制突入するオーバーヒートは見たことがない。
「サザビー、士官室に行って手の空いているやつらを無線で集めてくれ。どうも様子がおかしい。悪い予感がする」
「大将への報告は?」
「無線を入れたら、おそらく一番に来てくれるはずだ。その時、私が報告する」
「了解」
 ヅダに言われるがまま格納庫を出たサザビーは、そのまま士官室に飛び込む。夜間哨戒リーダーを任されている百式が、格段驚く様子もなく迎え入れる。
「無線、借りるぞ」
「構わんが、何があった」
 彼の隣を通り抜けながら、「∀が倒れた」と伝えつつ、隊員全員に向けて無線を入れる。
「各員に告ぐ、手の空いているものは至急、格納庫まで来られたし。繰り返す、手の空いているものは至急、格納庫まで来られたし。……ただし、ガンダムを除く」
 無線を切ると同時に聞こえてきたのは、百式のため息だった。
「今頃、血相変えて飛んできているだろうな。あいつは確か、コロニー内部の哨戒だったな。到着にはさほど時間もかからんだろう」
「来るなと言ったのに」
「来るなと言われて行かない機体じゃないだろう、ガンダムは。……それとも、わざとかな?」
 返事は、しなかった。あえて口にせずとも、どうせ皆分かっていることだろう。"アレ"がガンダムに向けての発信だったことぐらい、想像は容易のはずだ。ならば、誰に何が起きたか。おそらくガンダムのことだ。持ち前の"勘の鋭さ"で、もう大体わかっているはずだ。