ノックが聞こえて、強く握っていた拳をふっと解いて「誰もいないよ」と促すと、周りの目を確認しながらシャアザクが入ってきた。
「お前、外を哨戒してたんじゃないのか。なんでこんなところに」
「抜け出してきた。フフ、こんなところをガル、いや、大将に見つかったら、怒られるなんて騒ぎじゃないな」
「だから言ったろ、誰もいないって」
 怒られるなんて、微塵も思ってなんかいやしない。余裕の笑みを浮かべるシャアザクに「なんでまた哨戒を抜け出してきたんだ」と聞きつつも、少し考えればなんとなく分かった。
「聞いたのか、ゼータに」
 SDを抱く腕に力が入る。
「∀が倒れたことは知っているが、他は知らん。今は何の時間だ」
「∀のエネルギー補給タイム。完了次第、データ移行の準備をする」
「データ移行……?」
 シャアザクはふと顔を上げて、「入るなら入れ」と、扉の外へ向かって言った。すると、おそるおそるといった様子でメタスが入ってきて、驚いたように「あら」と声をあげた。
「声が聞こえると思ったら、哨戒を抜け出してきたの?」
「いろいろ大変だと聞いてな」
「そうなのね。ありがとう」
 メタスは、いつのまにか∀が眠っていることに気づいて「今のうちに、Chデータについて説明しちゃうね」と笑う。聞きなれないデータの名前に、シャアザクが首をかしげた。
「Chデータは、簡単に言っちゃえば、自己増殖型のウイルスだよ。あ、でもプログラムに寄生しないところを見ると、ウイルスっていうよりも、ワームに近いかも。このテーブル、使っても良いかな?」
「イス、あるからどうぞ」
 メタスはテーブルに向かうと、持参した紙とペンを用意して、サラサラと図を描いていく。
「そもそもSDって、合金製のモデルキットを買って組み立てたあと、キットに付属するAIデータのZIPファイルを入れて、展開させることで動き出すよね。Chデータは、そのAIの代わりみたいなものだと思ってほしいの」
「じゃあ、∀のストレージからChデータを取り出して、SDに入れてやれば、こいつが動き出すってことか」
 ずっと抱いたままのSDを見つめる。AIの入っていないSDは動くはずもなく、ただ静かに、ガンダムへ身を預けるのみだ。
「そう。これから行うのは、∀ちゃんの中にあるChデータの抽出と、SDのガンダムちゃんへの転送。∀ちゃんとSDちゃんをコードで直接繋げて、データを転送させる方法を取るよ」
 図に描かれた∀とSDのガンダムを、線でつなげる。図だけなら簡単そうに見えるが、これを行うには、周りの協力が不可欠だと、メタスは熱弁する。
「本来なら圧縮されているデータを、圧縮せずそのまま移すのか。時間がかかりそうだな」
「本当は、他コロニーにある専門チームと専用デバイスに助けてもらいたかったんだけど。事態が切迫してるし、今はもう∀ちゃんを動かすのは難しいからね」
「もしかして、さっきメタスが伝えたかったのって」
 困ったように目を伏せて、小さくうなずく。
「早く気づいてあげられなくて、ごめんなさい。……次に、Chデータが発生する原因なんだけど」
「お、おい待て待て、そんな一気に覚えられないよ」
 SDをベッドに寝かせながら、メタスを止める。
「ごめんね。でも、とても大切なことなの。あなたにとってもよ、ガンダムくん」
 その言葉に引っかかりを感じたガンダムが、「どういうことだ?」と食いつく。
 メタスの説明によると、データを移動させる時などにモビルスーツ同士がコードで繋がった時、ごくごく稀にお互いのデータのコピーが生まれて、そのコピーデータがどちらかのストレージ内で融合し、新しいデータができることがある。ウイルスともバグとも少し違う"それ"にChという名前が付いていたから、Chデータと呼ばれるようになったらしい。
「モビルスーツ同士がコードで繋がること自体は、たまにあるけど……モビルスーツ間でデータを移動させるなんて、滅多にあることじゃない。特に、ほら。そういうのって、結構センシティブ、ていうか」
 はっきりそれだと言い切らないメタスの口ごもった言い方に、四肢が冷えていくような感覚を覚えた。生唾を飲み込む。あまりにも、身に覚えがありすぎた。心当たりは、確信へと変わっていく。
「つ……つまり、それ……って」
 シャアザクがため息を吐きつつ「∀の腹の中に、ガンダムの子供がいるってことだな」と、直接的かつ分かりやすい説明を加えた。
「いや待て、だってあの時しか」
「やった事実はあるんだな」
 その言葉がガンダムに深く突き刺さった。言い返す必要はないにしろ、言い返す言葉が見つからなくて、頭を抱えながらその場にへたり込む。
「私が教えた直後にやったのか」
 返事はしなかった。「また余計なことをしてくれたもんだ」と冷めた視線がまた突き刺さる。
「まあまあ、SDちゃんが生まれるのを祝福しましょうよ」
「生まれる、ねえ」
「∀の腹の中に子供がいるから、それを取り出す……なるほど、出産だな……」
 先ほどのバルバトスの言葉があながち間違ってないことに気づき、ガンダムは乾いた笑い声をあげた。シャアザクが肩にぽんと手を乗せる。
「まあ、腹をくくれ。"おとうさん"」
「ははは……」
 ピク、と何かに気づいたシャアザクが、どこかへ隠れる。空気の抜ける音と同時に格納庫の扉が開かれて、ゼータとヅダが入ってきた。その後ろには大将もいる。
「メタス、ありがとう。あとは僕がやる」
「うん、わかった。ざっと説明したから、簡単には分かってくれたと思う」
「大丈夫か、ガンダム」
 ヅダの心配そうな声に、ガンダムは首を横に振る。何か言いたげなゼータに「大丈夫、分かってる」と返すと、彼は小さく頷いて配線を用意し始めた。
「ヅダ、接続をお願いしてもいいかな。さっき説明した通りに」
「了解」
「まずSDからデバイスにコードを接続して、中身をフォーマット化する。そして分岐でSDと∀を接続させる。ガンダムは、二機のそばで様子を見てあげて」
「分かった」
「特に∀の様子は重点的に見て。データ転送中はただでさえエネルギーも食うし、今の様子を考えると、転送中に眠くなる可能性もある。もし転送中にスリープモードに移行すると、データが破損する危険もあるから絶対に起こしていて」
 ゼータの言葉ひとつひとつが、ガンダムの背中へ重くのしかかってくる。グッと強く拳を握ると、「あとは?」と、なるべく冷静に聞き返す。
「あとは……」
 ガンダムの硬く結んだ握りこぶしを、両手で優しく包んだメタスは、「笑って」と微笑んだ。
「緊張する気持ちはわかる、でも笑って。ガンダムくんが不安な顔をすると、∀ちゃんも不安になっちゃうから。ね?」
「あ、……わかった、ありがとう」
「……こういう気持ちは、私よりもゼータの方が分かってくれていると思う。きっとあの人も、不安だっただろうから」
「どういうことだ?」
「それはッ」
 珍しくゼータの焦った声。メタスは少し困ったように笑って、自身の胸に手をやり、「私の口から言ったらダメそう?」と彼を見やる。照れくさそうなゼータは目を泳がせ「それは、後で僕から言っておく」とディスプレイを見つめるふりをして隠れてしまった。
「SDからデバイス、配線接続完了。目下確認、異常なし」
「SD、デバイス共に接続良し。フォーマット開始」
 ゼータとヅダが着々と準備を進める中、大将がおもむろに近づき、ガンダムの背中を思い切り叩く。「いってえ!」というガンダムの悲鳴は聞こえなかったのか、大将は未だに眠っている∀の肩を優しく撫で「気張れよ」と囁いて離れていく。
「ゼータ、ヅダ。∀とガンダムを頼んだぞ」
「私も行くね。ゼータ、私がいるときっと集中できないだろうから」
 二機がうなずいたのを確認し、大将がメタスを連れて格納庫を出て行こうとしたところで、後ろから背中をポンと叩かれる。振り返ると、そこにシャアザクの姿があった。
「なんでお前がこんなところに」
「キミたちにひとつ頼みたいことがあるのだが、いいかな?」
 有無を言わせぬその態度に、大将もメタスも思わずうなずいてしまう。「私は良い上司を持ったようだな」とシャアザクがニヤリと笑った。