ガンダムがそっと∀の頭を撫でると、カメラアイが光る。∀は周囲を見回してから、ガンダムを見つめた。ヅダがSDに新たな配線を接続している間、ガンダムは努めて笑顔を見せながら、∀の手を握る。
「あれ、良いの? いつも誰かがいるときは嫌がるのに」
 弱々しくもいたずらっぽく笑う∀に、少しだけホッとする。
「今日は……特別、な」
 互いの手を強く握ると、眠たげな瞳が柔らかく光る。
「オレが手を握ってる間は、寝ちゃダメだぞ」
「うん、わかった」
 できるだけ気配を消していたヅダは、隣でいいだけイチャつかれて辟易していた。早くしてくれ、と言いたげにゼータの方を見やる。
「フォーマット完了、ヅダ」
「よしきた」
 ヅダが、∀から伸びる配線のレセプタを、SDのコネクタに合わせる。これを接続すると同時に、データが移行する。
「よし、行くぞ。……覚悟はいいな?」
 ∀とガンダムが頷いたのを確認してから、レセプタをゆっくりと挿入させる。パチン、と配線コードが固定される。
「∀からSD、コード接続完了。目下、異常なし」
「配線異常なし。接続良し。システム、オールグリーン。データ移行を開始」
 真剣な眼差しでディスプレイを睨みつけていたゼータが、「オールグリーン」と息を吐く。
「とりあえず第一段階は終了。ちゃんとモニターもできてる。ヅダ、こっちに戻ってきて」
「おう、わかった」
「データの移行には時間がかかると思う。ロードの速度や、移行が完了するまでのパーセンテージはこっちでモニタリングして、その都度報告するから、ガンダムは∀を起こすことに集中してほしい」
 そう言われて、∀を見やる。まだはっきりと意識がありそうだ。
「ねえゼータくん、なんでぼくの中にこのデータができたの?」
 ∀の質問に、ゼータはディスプレイを見つめながら唸った。珍しく言葉を選んでいるのか、「えーとね」と口ごもる。ガンダムが視線を落としたのに気づいたのか、「メタスから聞いたでしょ」と話を振ってきた。
「え、オレが言うの?」
「僕は、隊員たちにはそこまで説明してないから」
 逃げられた。∀はガンダムの手を握り、キラキラした目で見つめてくる。純粋な好奇心ゆえの行動なのだが、今はそれがガンダムを追い詰めていることに、∀は気づいていない。
「……えっと、」
「うん」
「オレと∀が、コードで繋がった時があっただろう。あの、軽微なアップデートがあるからって言ったとき。オレたちが繋がったそのとき、オレと∀のストレージにあるデータのコピーが生まれて、それが、お前の中で融合したんだよ」
 ∀の瞳が、より一層輝く。彼の目が好奇心に輝けば輝くほど、軽微なアップデートがあるなどと嘘をついた罪悪感に苛まれる。
「ううっ! そんな目で見つめないでくれ! 消えそうだ!」
「まあ、それは俗説なんだけどね。詳しいことはまだ分かってない。このデータが発見されたのも、最近の話だし」
 言いにくいところをガンダムが言ったおかげか、彼はまた流暢に説明してくれる。
 ゼータの話によると、ここ数年の間に、Chデータの噂が少しずつ出回りはじめていたらしいのだが、そういう類の噂は個々のプライバシーにも関わってくるので、サイド上層部の意向により下手に広まらないように規制がかかっていたようだ。現に、このコロニーの隊員たちは、大将のガルマザクも含めてほぼ全員知らなかった。
「Chデータには、まだ分からない部分が多い。なにをきっかけにコピーができて、どうして融合するのかも分かってないからね」
 ゼータは、昔からあまり多くを語らず、飄々とした態度で、つかみどころのない性格だとは思っていたけど、彼の事が更に分からなくなってきた。
「なんで、ゼータとメタスはそんなに詳しいんだ? サイド上層部で止められてる話なんだろう?」
 その疑問にヅダも大きくうなずく。それに対してゼータはうっと声を詰まらせた後、呼吸を整えてから「クィンマンサがそうだから」と答えた。
「あの子の中身は付属AIじゃなくて、メタスの中にできたChデータだよ」
「そういえば、お前らたしか、メタスとゼータとクィンマンサの三機セットで、一気にうちのコロニーに引っ越して来たよな」
「ロード速度上昇、移行完了まで残り62パーセント。異常なし。……そう、クィンマンサは僕とメタスの子。妙に挙動が遅くなったメタスのストレージを見てみたら、見慣れないデータがあったから取り出してみたんだ。解体し分析した結果、SDに入れるAIのデータ構造に限りなく類似していたから、試しに僕の部屋にあったSDのクィンマンサに入れてみたら、ちゃんと起動した。それが、初めてのChデータ」
 ゼータは、ふと自分の手を見つめ「僕が、メタスからデータを取り出したんだ」と、なぜかうっとりし始めた。
「クィンマンサが動き出した時は、高揚感とは少し違う感情が芽生えた。僕がメタスを好きな気持ちとも違う……懐かしいような、あたたかで優しい感情」
「ゼータ、たまに詩人みたいなこと言い出すよな」
「今にわかるよ」
 急に突き放すように冷たくなるが、長年の付き合いだから驚きもしない。こんなに喋るゼータも珍しいが、捕捉し難い態度は変わっていないようだ。
「∀のも、本来なら、もっと小さいうちにデータを移行させた方が良かったんだけど。気づくのが遅れてごめん」
「オレも∀の異常にもっと早く気づいてあげていれば良かったんだけど、……ゼータ。∀が眠そうなんだけど、データ移行に異常はないか?」
「ロードの速度が少し落ちてるけど、移行に影響は」
 ふとディスプレイを見たゼータが、何かに気づいたように言葉を飲む。
「この速度はマズい、∀を起こして」
 その言葉にハッとして、∀を確認する。カメラアイに宿る穏やかな光は今にも消えてしまいそうで、手から少しずつ力が抜けていっている。
「ねむたい……」
「∀、しっかりしろ。悪い、話に集中してた」
「ロードの速度が格段に落ちた。起きて∀」
 手を強く握り、名前を呼びかけて、軽くアンテナを撫でてやる。∀も起きようとはしているが、あまりの睡魔に段々と不機嫌になってきた。
「十分、いや、五分でいい。あともう少しだけだから」
「∀、がんばれ。終わったらいくらでも寝ていいから」
「や……今寝たい……」
「頼む、今だけは起きてくれ!」
 カメラアイの光は、どんどん薄く、小さくなっていく。ガンダムの脳裏に、ゼータの"データが破損する危険"、"寝たら終わり"という言葉が浮かんできた。
 怖い。目の前にいる彼を、失いたくない。そして、彼が望んだあの子も、産ませたい。そんな思いが、心の中でぐちゃぐちゃと絡み合う。
「∀、お前はワガママで、オレの言うことなんかちっとも聞かなくて、自分勝手で、自由気ままで、基本的には自分至上主義で」
 ゼータの「ガンダム、何を言ってるんだ」という声は、もうガンダムには届かなかった。
「たまに優しくて、穴掘りが好きで、オレ何度も死に目に遭ってるけど、穴掘ってる時の顔が、オレは、一番好きだ」
「……すき?」
 光が、一瞬だけ強く光る。
「好きだ。そう、オレは∀が好きだ。愛してる! だから起きろ!」
 ∀の顔が、真っ赤に染まったその瞬間、エラー警告音が鳴り響いた。「温度上昇!」叫ぶゼータがクーラーを最強送風に切り替え、ヅダはすぐさまクーラントを汲みにいく。
「∀落ち着いて、データ移行速度を上げすぎてる。SDがオーバーヒートする!」
「だって、嬉しくて! 愛してるんだって! 初めて言われた」
「分かったから、ちょっと落ち着いて」
 突然、SD側から凄まじい音とともに火花が飛び散り、ガンダムはとっさに∀を庇った。衝撃でベッドからSDが転げ落ちる。様子を見ると、SDと∀を繋いでいたコードが、SD側の根元で焼き切れていることに気づいた。ディスプレイとSDを繋ぐコードは、見た目ではまだ繋がっている。
「ゼータ、どうなった」
「待って、確認中」
「う、んん……ここ、どこ……?」
 苦しそうな咳払いと共に聞こえてきたのは、聞きなれない幼い声だった。SDのガンダムがゆっくりと立ち上がると、その背中に突然虹色の羽が出現した。そしてそれに呼応するように、∀の背にも蝶の羽が生える。
 ガンダムの意識は、そこで途絶えた。