恋模様



「君を見てるとイライラしてくるんだ。何でかな?」
「え、それ本人に聞くんですか?」


雨が降る中、縁側で外の様子をぼーっと眺めているとき。お茶を持ってきてくれた相手にボソリと呟く様に尋ねる。

今、僕の目の前で無表情のまま驚いた声を出した女の人。この人は僕の記憶が戻る前からこの家で家事をしている。すぐに物を忘れてしまっていた僕の穴を埋めてくれる役目もあってこの人の事はなんとか覚えていられた。

その時から、この人を見ると訳のわからない気持ちにさせられてイライラする事があった。特に彼女が笑った時なんかは目を背けたくなるくらいだ。彼女もそんなに笑わないからそうなることは頻繁にはなかった。

けど、それは記憶が戻った今でも。



「私、何かしましたかね」
「僕のとっておいた、おやつ食べたね」
「とても美味しゅうございました」
「え、謝らないの」


冗談ですよ、すみません。って言ってるなまえも僕も無表情のまま会話をしていた。これが僕たちの日常。
でも、記憶が、戻ってからは些細なことでもイライラする事が増えてきた。だから、どうにかしたくて彼女に直接、言ってみたんだけど……。



「君が触ってきたりするのもムカつく」
「静電気のせいですかね?」
「それもあるけど、そういうのじゃなくて」

「無一郎様、こういう時は困った時の炭治郎様ですよ」


実はもう炭治郎には文を出している。時間が空いた時に来てもらうように。
ちょっと早めに来て貰うよう、文を書こうかと思った。けれど、少し考えて手が止まってしまう。炭治郎も任務で忙しいだろうなぁ。まあ、なまえとは割りと長い付き合いだしそんなに急がなくてもいっか…。



「無一郎様、無一郎様」
「な、に……?」
「山の麓から虹が伸びてますよ!綺麗ですね」
「…………うん」

彼女が手を指し伸ばした先には虹があるんだと思う。だと思うって言ったのは、僕は虹を見てないから。名前を呼ばれてなまえに顔を向けた瞬間に僕は顔を背けることが出来なかったから。

口角をあげて目を細める彼女は虹が珍しいのかずっと外を見ていた。


やっぱり、炭治郎には早めに来てもらおう。


よくよく、思い返してみると僕の記憶が戻ってからなまえが笑う回数も増えたかもしれない。どうして、こんなに鼓動が高鳴るんだろう。胸が締め付けられるんだろう。

柱稽古の時は大変だった。給仕をしていたなまえの手をご飯茶碗ごと握る隊士がいたり、休憩時間になまえのところへ話しかけに行く隊士がいたりするのを見た時のイライラと言ったら…稽古にも力が入ってしまう。



「そういえば、今日は少しお話があるんです」
「なに?」

虹が消えて、また雨が降りだす。一時的に雨雲が晴れていただけだったようだ。

なまえからは笑みが消えていて、表情は空と同じ、雲っているように感じる。彼女がこんな顔をするなんて珍しい。基本的に無表情が多いけど、暗くなるような事はなかった。



「……少し、思う事がございまして」
「……」
「無一郎様の記憶が戻った今、私はまだこの家にいていいのだろうかと」

「え」

「無一郎様は元々家事も1人で出来る方ですし、私は必要あるのかと思ったんです」


そうだ。気に止めていなかったけれど、彼女はすぐにものを忘れてしまう僕の穴埋め役だった。だから今の僕にはその必要がない。けれど…



「僕には君が必要だと思う」
「……」
「君の事は、忘れたくない」
「………」

それに、なまえの作るご飯は美味しいし。そういうと黙って僕を見ていたなまえは口から吹き出した様に笑っていた。たぶん、今までで一番笑っていると思う。
ああ、今のこの彼女が側にいないなんて、見れくなるなんて、考えたくない。



「ふふふっ、無一郎様」
「…何?」


次になまえの口から出てくる言葉に僕は衝撃を受けた。今思い返すと、雷が落ちたってこういう事を言うんだろうな。



「まるで、恋人に言うような台詞ですね」
「………」

クスクスと笑っているなまえを見ながら、空いた口がふさがらなかった。体も麻痺してるみたいに動けなくて、握った手も汗がにじんでる。



「無一郎様?」
「…ちょっと、厠に行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ」


火照る体を冷やそうとその場を離れる。
恋人…?恋…この感情が本当に恋なのか。こんなの初めてだからわからない。



「こんにちはー!」
「!」

丁度、玄関の前を通ろうとした時、外から元気な大きい声が聞こえた。
戸に手をかけ開けると、想像していた通り炭治郎がいて、こんにちは!ともう一度挨拶をしてくれた。けれど、すぐに驚いた様な顔になって、僕の顔を覗き込んでくる。



「……と、時透くん、どうしたの?」
「え、なにが?」
「顔が真っ赤だよ?それに……」

「ごめん、炭治郎。来てもらったのに、もう解決したみたいなんだ」


炭治郎はもう気がついたみたいだ。僕の心臓が早くなってることきっと、匂いでもわかるんだろうな。恋の匂いってどんな匂いがするんだろう。

僕は初めて恋と言う厄介なものを知ってしまった。



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