07
(side サーシャ)
もう、我慢も限界だったのです。無茶な命令を聞かされるのも、理不尽な暴力を受けるのも。
なにより、この状況が大人になってもずっと、それこそ一生続いていくのだと思うと気が遠くなるような、暗い深海で藻掻くような気分であったのです。
逃げ場はありませんでした。
実家はもちろんのことクラスメイトも皆見て見ぬ振り。可哀想だけど仕方がないよね、みたいな、そんな空気だったのです。
家柄は言うまでもなく、僕自身の技術でも敵いはしません。権力の強い誰かに保護を求めようにも、そんな天上の人たちは僕など歯牙にもかけないでしょう。でも、どうしても今回の要求だけは受け入れがたかった。
……八方塞がりでした。
そんな時に彼はふらりと現れました。
人払いの魔術で助けは来ないはずの教室に迷い込んだ彼は、飄々としているようでどこか気を張り詰めていて……真っ黒な野良猫を彷彿とさせました。
彼が噂の編入生であろうことは僕にも察しがつきました。ーー彼しかいない。この閉塞した状況を脱するには、彼にたよるしか。
そう直観するや、僕は気付けば彼に縋り付いてとんでもないことを懇願していたのです。彼が困惑したのが分かりました。
けれど僕も必死でした。ここで引いてしまっては、また地獄に逆戻りです。状況が悪化する可能性すらあります。
耐えきれずに涙が零れました。
「……話、聞かせてくれるよね。」
事情を偽りなく吐露するのはこれが初めてでした。彼は返答を急かすことなくゆっくりと聞いてくれました。興味深げに話を聞き、相槌を打ちます。
それだけで僕にとってはいくらかの救いになったように思います。
……そればかりか、彼は保護を提案してくれました。何も対価はいらないと言うのです。
「損得はいらない。そもそもそんなものが介在するのがおかしいんだ。」
彼の思想は僕にはとても新鮮で眩しいものに感じられました。こんなに上手くいってしまっていいのかな。
何か恐ろしい条件でもあるんじゃないかと思ってしまいます。
うじうじと躊躇う僕に、彼はしょうがないなあと2つの条件を提示しました。
……そうですよね、ノーリスクなんてそんなうまい話がある訳が……
「実は迷子なんだ。教室に連れてってくれないか」
……僕は、いいのでしょうか。
こんな眩しい手を取っても、いいのでしょうか。
僕は人を信じて、いいのでしょうか。
(side サーシャ 終)
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