02

 冷え切った岩肌に沿うように、切り立った崖をゆっくりと歩いていく。見え始めた岩のへこみが洞窟でありますように、とサヤカは小さく願った。旅が終われば、両親の待つ家に帰らなければならないのだから、こんなところで野垂れ死ぬわけにはいかないのだ。雪の中無駄に体力を使うのが良くないのはわかっていたのだが、つい最後に少しだけ走った。
 少しだけ息を切らして岩陰をのぞきこめば、やはりそこは洞窟だった。安堵に息をつく。吹雪を一晩しのげるだけで十分だったのだが、どうやら割と深い洞窟のようで、それなりに休息が取れそうだ。サヤカは息を吐いてから、ゆっくりとその洞窟へと入った。
「……あれ」
 かつりかつり、とサヤカの底の厚い靴が硬質な足音を立てる。吹雪の音にまぎれていたそれがはっきりと聞き取れるようになった時のことだった。
 大きく道をふさぐようにして突き出ている、サヤカの肩ほどまでの高さのある岩の向こうにかすかな明かりが見えた。
 誰かいたのか、と静かに思う。わるいひとだったなら、すぐさま逃げなければ。悪い人じゃない可能性のほうが高いのも、旅人同士同じ洞窟に泊まることがあるのもわかってはいるが、警戒は怠らないに越したことはない。しかも、この場合はサヤカが後から来たかたちになる。警戒しなければならないのは、相手も同じなのだから、今すぐに追い出されても文句は言えない――とそんなことを思っているサヤカの足音に気が付いたらしく、岩の向こうで人影が立ち上がった。
 怪訝そうな顔で岩の向こうから顔をのぞかせたのは、金色のひとみに透き通るような黒髪をもつ、穏やかそうな青年だった。なんて声を掛けたらいいのかためらったサヤカに対し、ほんのりと微笑んで彼は言う。
「はじめまして。旅の方ですか?」
「えっと、……そうです。はじめまして。外が吹雪になりそうなので、寝床に洞窟を探してて……一晩、泊まらせてほしいのですが」
「あ、」
 青年が、納得した様子でどうぞ、と手招きする。サヤカは、直感で大丈夫なひとだと判断した。即時の判断は、一人旅ではそれなりに大事だ。青年のいる場所まで、岩の横を通っていくにはいささか隙間が狭すぎたので、岩を乗り越えた。青年は、何でもない様子でサヤカの手を取りエスコートしていた。
 蝋燭が二本、ゆらゆらと燃えていた。それだけでも周りはほんのり暖かい。背負っていた鞄を膝に抱え、さきほどまでの青年と同じように蝋燭の前に座り込んだサヤカに、青年がふと言った。
「吹雪……やっぱり春は来てないんだ」
「……そう、みたいですね」
 ここが静かな洞窟でなければ聞き漏らしてしまいそうなほど、ちいさなこえ。初対面なことに気を使ってか、蝋燭を挟んで向かい側に座った青年が、サヤカのほうを少しだけ驚いた顔で見ていた。
 ……聞こえてないと思っていたのだろうか。
「今年、春が来るのがすごく遅いですね」
「そうですね……。もう、春になってもおかしくない、というか、春じゃないとおかしいはずです」
「私、前の町で、もうすぐ春が来ると思って服を揃えたので……すこし寒くって」
 そう言って、蝋燭の炎に手をかざす。そのサヤカの仕草を青年の視線が追い、それから「指先真っ赤じゃないですか」と驚いたように言った。苦笑いで誤魔化したサヤカを、咎めるような視線が刺す。
 逃げるように、サヤカは話題を変えた。
「私、サヤカって言います。あなたは?」
「あ、……僕は、マコトです。マコト・ルテージ」
 よろしくお願いします、とマコトが小さくお辞儀する。どこか大袈裟なくらいに礼儀正しい彼に、サヤカもつられてぺこりと頭を下げた。洞窟の中に、衣擦れの音だけが反響する。
 ふと目が合ったマコトの金色の目は、どこか憂いを含んだように翳りがあった。薄暗い洞窟の中、ゆらめく炎に照らされ、ときどき金色に光るそのひとみに、サヤカは一瞬だけ魅入られる。
 そんなことも気にせずに、マコトは話を続けた。