朝起きてからから朝餉を済ませ宿を出るまで、もはや最低限の会話すら消えかけていた。申し訳なさそうに肩を竦めるサヤカに、マコトはちいさく罪悪感が募る。
自分から『騎士見習い』の件について話を出すつもりはないし、何かを語るつもりもなかったけれど、ただ痛々しいほどに薄く笑うサヤカに心を痛めた。だれかの気に障ってしまったと気に病むたちなのは、ナフェリアに家族のことを聞いてしまったときに知っている。あの時はマコトがとりなす側だったがしかし、今度はナフェリアもシュカもいない二人旅だ。自分たちで解決しないと先には進めない。その間にサヤカの手が治ってしまえば、こんな雰囲気が最後の記憶になる。
そんなマコトに、サヤカが声をかけた。少し先に見えてきている街道の分かれ道を指さしながら、朝餉の時に地図を確認していたからであろう、マコトに問う。
「行こっか、マコト。キアドは左の道だよね?」
「……ああ、うん。左だよ」
ぼうっとしていて返答が遅れたマコトに、サヤカが気まずそうにありがとうと言った。見上げてくる桃色の瞳がいつになく翳っている。それはサヤカのせいでも、マコトのせいでもあった。
空はからりと晴れ、昨日まで降っていた雪がまるで嘘のようだった。そう思うのは何度目かわからないが、マコトは昨日までの沈黙と違いあきらかに改善が必要なほど、気まずい沈黙から逃避してそう思った。宿から旅人が何組か出ていき、それぞれの道へと進んでいく。先の分かれ道にも数人の人が見え、それぞれキアドか、小さな集落メルバルへ向かう道かに進んでいく。先が割れるようにして別れた道の真ん中には看板があり、そこには深紅のバンダナをした少女が佇んでいた。
看板が読めないのだろうか。それなりに近くまで来ても、まだその看板を凝視している少女に、マコトは声をかけるべきか否か悩んでいた。正直、放っておいてもサヤカが声をかけてしまいそうな気はするけれど、昨日の今日ではわからない。沈黙の中そんなことを考えているマコトの横から、いきなり気配が消えた。
視界の隅を駆け抜けていくのはもちろんサヤカだった。何を、と思ってぱっと前を向けば、彼女は一目散に赤いバンダナの少女のもとへ向かっているようだった。切羽詰まった様子になにをそこまで、と思うも、同時に目に飛び込んできた光景がサヤカの突発的な意味の理由であった。看板の横にあった木に積もっていた大量の雪が、今にも落ちそうに揺れていたのだ。しかも、それなりの高さから。
いまから追いすがっても、流石に間に合わない。あの高さからあの量の雪が降ってくるとなればそれなりの重量になる。マコトは一瞬ぴたりと硬直した。こういう時に何事も一度頭を通さなければ行動に移せないたちだとまったくもって困る!
昨晩のように、頭に血が上った時こそ頭を通してから発言しなければいけないというのに、そういうときに限って口をついて言葉は出てきてしまうものだ。マコトは珍しく舌打ちをした。
そんなことはどうでもいい、とマコトは自分に言った。とにかく、サヤカを助けなければいけない。突然のことに驚いてぽんこつと化した脳で考え出したのは、魔法だった。まともには扱えず、威力も弱いけれど、せめて雪を分散させられれば。サヤカの手が少女に届くと同時、マコトはひどく短い呪文を唱えて魔力を放出させた。
距離感をいまいちつかめなかったマコトによる閃光がサヤカの背中すれすれを掠めて雪を貫いていく。驚いたのか恐怖したのか、サヤカがぴたりと動きを止めた。落ちてきた雪は間一髪で砕けて別方向へと落ちていき、マコトはとりあえず安堵した。雪の落ちる音とサヤカの気配、それからマコトの魔法に反応してか、看板を見ていた少女がくるりと振り返る。
栗色の髪に緑の目をした彼女は、マコトがよく見知った人だった。
「あの、大丈夫ですか!」
「……ルテージさま?」
サヤカを一瞥したその少女だったが、その後に振り返りマコトと目が合った少女はサヤカの言葉に返事をしない。マコトもその場に釘で打ち付けられたかのように固まって、その名前を口にする。
「シュリ、さん?」
その場で一人、サヤカだけが置いてけぼりをくらって間抜けな表情を晒している。マコトと少女のふたりは、まるで石像のようにしばらくそこから動けなかった。