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 青年はシュリの言った通り誰かを手伝っていたようで、運んできていた樽を地面にどさりと置いた。店主らしき人がお礼を言っているのをサヤカは目の端で確認し、シュリに追いすがる。シュリは別段サヤカより足が速いわけではないようだが、雑踏の中だと少しとはいえ体が小さいのが有利に働くようだった。小さくお辞儀をしながら人の間をすり抜けていくシュリは素早かった。
 サヤカがシュリに追いすがるころには、楽団から散っていく人々はようやく捌けて、それなりに閑静な通りに戻っていた。ぱたぱたと足音を立てながら走るシュリにようやく気が付いたらしく、青年がちらりとこちらに視線を向ける。先に目が合ったのはなぜかサヤカだったが、その一瞬でシュリは青年のもとへとたどり着いていた。
「うおっ!?」
「ミコト!」
 がばりと後ろから抱き着く形で青年──ミコトに飛びついたシュリ。それなりに衝撃を受けたようだが、青年のほうはなんとか倒れずに立っていた。そのあたりでサヤカもシュリに追い付いて、一行の間には妙な沈黙が流れる。街のざわめきだけが一瞬その場を埋め尽くした。
 あー、と青年が声を出して、沈黙を破り捨てた。
「シュリか?」
「うん!」
「良かった、無事だったんだな。ところで顔見たいから前に来て」
「やだ。ミコトにくっついてるもん」
「あーわかった、いくらでも抱きしめてやるからこっちこい!」
 がっしりとミコトの腰を抱きしめていたシュリが、そう言われて初めてぱっと手を離してみせた。ミコトがすぐさま振り返ると、シュリは再びミコトの胸に顔をうずめるようにして抱き着く。サヤカは、目の前で交わされる熱い抱擁に疑問符を飛ばしていた。
「あの、シュリさん?」
「サヤカさん! ありがとうございます、この人です!」
「あ、やっぱこの人お前の連れか。俺はミコトです、仲間がお世話になりました」
 一瞬何と答えればいいのか迷ってから、サヤカは無難に自己紹介を返した。
「私はサヤカです、こちらこそお世話になりました」
 そういってぺこりとお辞儀すれば、シュリの相方ミコトは人好きのする笑いでお辞儀を返してきた。歯を見せて笑う快活な笑顔だった。
 そんなことより、とサヤカはシュリに目を向ける。ミコトに落ちつけ、と肩から剥がされている彼女は、どこかのお姫様かのような品をもつシュリとはもう別人のようだった。にこにこと純粋無垢な子供のような天真爛漫さを全身から振りまきながらミコトと話していた。流石に満足したのかそれなりの距離を保ってはいたが、目を離した隙に抱き着いていてもおかしくないような雰囲気だった。
「ええっと、サヤカ、さんでしたっけ」
「え、あ、はい」
「ほんと、こいつがお世話になりました。俺を探すのを手伝ってくれたみたいで、ありがとうございます」
 がしりとシュリの頭を掴んで一緒に礼をさせるミコトに、サヤカは両手を振って説明する。たまたま出会っただけで、そんなお礼をされるようなことはひとつも……というと、シュリがあった時に助けてくれたと嬉しそうに言う。ミコトはまるで妹にでもやるかのようにぽふぽふと頭を叩いていた。
「ちゃんと会えてよかったです。私も探した甲斐がありました」
「こちらこそ。こいつとははぐれたときどうするか、って話してたんですけど。次の目的地で集合って決めてたのに、あいまいなまま別れちまったんで気になってたんです。合流できて本当によかった」
 マコトとよく似た、強いて言うならばマコトより癖毛である黒髪の彼が、心底大切そうにシュリを見つめる。照れたようにはにかんで、シュリが見上げていた。シュリも、ミコトの前では気を抜いて過ごせるのだろう。薔薇のような高貴な花に見えていた彼女が、一気に近しい存在になった気がした。
「あのね、ミコト」
「お、なんだ」
「三十分後に広場に行かなきゃいけないの。もうひとりミコトを探すのを手伝ってくれた人がいるから」
「お前、二人も巻き込んだのか。サヤカさんの連れですか?」
「はい、私の連れです。マ──」
 サヤカがマコトの名を告げようとした瞬間に、ぴたりとシュリの指がサヤカの唇に触れた。悪戯っぽく微笑まれ、思わず押し黙る。
「まだ秘密でお願いします、サヤカさん」
「……え、なんだよ。俺に秘密ってこと?」
「うん。絶対驚くから、内緒」
 ミコトと同じように歯を見せて笑ったシュリに、ミコトは苦笑いで返した。もしかしてマコトとミコトは知り合いなのだろうか。確かに思えば顔も名前もよく似ていて、なんの関係もないと言われたほうが不思議ではあるのだが。ミコトは店主にあとひとつ樽を運んでもらうよう頼まれているらしく、また路地裏に消えていった。
「驚かせてすみません、サヤカさん」
「いえ、ぜんぜん……ミコトさんと会えてよかったです」
「ええ、本当に。わたしの大切なひとなんです」
「すごく仲がいいんだなって、すぐわかりました」
 サヤカがそういうと、こくこくとシュリが頷いた。マコトと、貴族の話をしている時の静やかな視線とも、何かを諦めたような笑顔でもないシュリの表情は、サヤカが見ていてもなんだか嬉しくなるような、そんな笑顔だった。