61

「……呑ませたの、まずかったかねえ?」
「まあ、……いいんじゃないか? ひとりで呑んだ時にこうなったらまずいから釘差さないといけないとは思うけどな」
 大きめのテーブルを囲うように座った六人のうち、酒を飲んだのは四人だった。心配そうにミコトに問いかけたナフェリアと、答えたミコト。それから、すでに机に突っ伏してすやすやと寝息を立てているシュリ──そして、へにゃりと笑ってマコトに甘えているサヤカの四人だ。
 シュカはどうやら酒場の雰囲気が苦手だったらしく、夕飯になる程度の料理を食べると早々に宿に戻ってしまった。結局この場に残ったのは五人だが、素面なのはマコトだけ。ナフェリアとミコトも落ち着いてこそいるが、酒が入っていないわけでもないので気分はよさそうである。
「シュリは本当に弱いんだねえ」
「兄貴よりはましだった」
「僕、そんなにひどかったっけ」
「そりゃひどかったぜ? ほとんど一口で数分後には爆睡だよ、どうなってんの兄貴」
「いや、知らないけど……」
「父さんも爆笑してた」
「覚えてないから知らないけど……」
 言いながらお茶をちびちびと飲むマコトに、サヤカがすっと顔を近づける。驚いた様子で身を引くも、サヤカは手を伸ばしてマコトの黒髪に触れていた。さっきから何度か繰り返したこのやり取りだが、サヤカの距離の近さにマコトはいまいち慣れない。びくりと体を揺らすたびにナフェリアか、ミコトかのどちらかから揶揄い文句が飛んでくるのもあって、マコトはこの酒盛りにそろそろ疲弊していた。
 シュカと同じタイミングで抜けておけばよかったと思うと同時、ただ眠っているシュリと違いこの状態のサヤカをここに置いていくわけにもいかないと思う。ナフェリアたちを信頼していないわけではないが、酔っ払いであることに変わりはないのだから不安だ。いろいろな気持ちがせめぎ合って、結局席を立てずにいるのが現状だった。
 芋と葉野菜を主に作られた、いかにも辛いですと色のほうから主張してくる煮つけを、ミコトとナフェリアは心底美味しそうに食べていた。
「さっきからやけにマコトを撫でているけど、サヤカは黒髪が好きなのかい? それともマコトが好きなのかい?」
「ナツ」
「んー、……黒い髪、お父さんとお母さんみたいだなーって……」
 諫めるように言うマコトにも頓着せず、ナフェリアはサヤカに質問を繰り返す。面白がっているのは明白だった。ミコトもそれを止めることなく、時々シュリの寝顔を眺めながらマコトたちを揶揄っていた。すっかり酒の肴にされている。
「あー、なるほど。そういう理由だったんだねえ」
「サヤカに変なこと聞かないでよ、ナツ!」
「いや、あたしも前に髪触らせてーって言われたもんでね。気になってたんだよ」
「両親が黒髪なのか。よくこんな金に近いような茶髪になったなあ、サヤカ」
 ミコトのその言葉に、マコトはどきりとする。思い出したのは昨日の朝のこと、家族を羨む言葉を零したサヤカのことだった。自分と同じ顔をしていたなら、サヤカも家族について触れられたくないんじゃないか。
「私、養子らしくてね。お父さんと、お母さんと、ミハル……妹とは血がつながってないのー。だから、髪の色が違うの」
 いつもと何も変わらない調子で、サヤカが続けた。その言葉に、ナフェリアとミコトの顔から笑みが一気に失せた。サヤカはその空気の変化に気が付かないのか、未だマコトの髪を弄びながら笑っていた。
 呑みかけのグラスを、ナフェリアが机に置いた。一気に酔いが覚めたのか、賑わう酒場のうちここのテーブルだけが冷たい空気になっていた。
 体重を預けてくるサヤカを黙って受け止めて黙りこくっているマコトに、ミコトが真剣な声色で問う。
「……兄貴、知ってたのか?」
「いや、……全く」
「……兄貴も知らないのかよ。これ、俺たちが聞いてよかったのかな」
 ナフェリアが小さく首を振る。
「……明日起きたとき、サヤカが覚えてるかどうか分からないけど……とりあえず、その子の口から聞くまで黙っとこう。あたしやシュリみたいに素面で軽く言うならともかく──酒の席で軽く話してても、実際はどうかわからないからねえ」
 そんなことはわかっていた。だからこそ、マコトはいま硬直している。ただ、心当たりがないわけではなかったのだ。それは多分、ナフェリアも。
 家族がいないナフェリアに、思わず怒鳴ったサヤカ。昨日の姉弟の再会の時にぽつりと零したあの台詞。すべてに辻褄が合う。合ってしまう。マコトは酒ものんでいないのに頭がぐるぐると回る気がした。いっそ酒を煽ってしまいたいくらいだった。
 無邪気に笑うサヤカに、ナフェリアが笑いかける。王都の向こう側のとある町で見たという大道芸人の話に、サヤカは興味を惹かれたようだった。まるで小さい子をあやすように話し続けるナフェリアも、さりげなく酒を飲む速度が上がっているようだった。その場で目を覚ましていた全員が動転していたのだ。ミコトは酒で手っ取り早くつぶそうとでも思ったのか、そっとサヤカのグラスに酒を注いでいた。マコトは止めなかった。
 そこでふと思い出したのは、シュリと再会する前夜の喧嘩での、サヤカの台詞だった。
(夢をかなえられなかった気持ちはわからないけど、絶望はわかる…………まさか、このことだったのか?)
 ぐるぐると、この数週間のことが頭を回っていた。
(そういえば、……家出してきたって、初めて会ったときに言ってた。それも、このことが理由だったとしたら?)
 サヤカはもしかして、僕よりもずっと、悩んでいたんじゃないのか。
 サヤカはマコトよりも、ずっと自分の中の翳りを隠すのが上手かっただけで、彼女も彼女なりに悩んでいたんじゃないのか。絶望の深さを比べるなんて陳腐なことはしないけれど、人の背中を押してばかりのサヤカが何も抱えていないなんて、どうして思いつかなかったのか。ただ、本当に気にしていないならそれでいい。
 ──だけど、ずっと悩んでいたなら。
 怪我が治るまでの約束だとか、あとどれくらい一緒に居られるかわからないだとか、マコトにはもうどうでもよかった。ただ、今は無邪気に自分に体重を預けているサヤカが抱えている心を垣間見て、どうしていいのか分からないだけなのだ。
 酒場の喧騒がここまで煩わしく感じたのは、初めてだった。