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 ミドハンスから王都までの道のりは街道をひたすらに進むのみだ。降り積もる雪は吹雪と言うには弱かったが、生易しい勢いでないのは確かである。膝まである雪をいちいち掻き分けて歩いていたら体力の無駄遣いであることは確かだった。
 歩き始めてから何度も聞いた呪文が再び紡がれた。そのミコトの声に反応して、ぼうと辺りに勢いよく火が灯る。その炎にあてられて、勢いよく溶けていくのは眼前に積もる雪だ。炎魔法で道を作りながらサヤカたちは進んでいるのだった。
「私、炎魔法は使えないけど呪文は覚えたよ」
「奇遇だねえ、あたしもだよ」
「そんな簡略化した呪文であそこまでの威力があるなんて、ミコトさんは凄いですね」
 サヤカとナフェリアがぼんやりとした感想を述べる中、シュカだけが素直に感嘆の言葉を紡いでいた。興味をそそられたようで、あからさまにきらきらとした目でミコトを見つめている。ナフェリアがそんなシュカを揶揄うように、そして少し羨むような口調で続ける。
「シュカだって指を鳴らすだけで雷が扱えただろう? あたしからしたらどれもこれもすごいことだよ」
「あれは小威力だからできるんです。俺の呪文じゃ、あそこまで簡略化したら指を打つのと同じくらいの威力しか出ません」
「あたしなんかいつだって同じだけどねえ」
 言いつつ、ナフェリアが素早く呪文を紡ぐ。あらぬ方向へと向けられた指の先から、呪文の終わりと同時に水が流れ出た。いつの日かサヤカとマコトを助けたときと同じ勢いで雪を吹き飛ばすそれに、既にみたことのあるふたり以外の面々が目を丸くする。指先までぴんと伸ばされていた彼女の手が、指揮者が曲の最後にするように握られて、水はその存在をふと失った。
「……ナフェリアちゃん、すごい!」
「え?」
「すごいよ、あんな威力の魔法滅多に見ないよ!」
「そうなのかい? コントロールできたら強いんだろうけど、いつもこの直線の勢いだからねえ……あんまり使い物にならないというか」
「それでもすごい! わたし、あんな威力どの魔法でも出せないもの」
「ええと……ありがとう。でも、色々使えるのがまずすごいってことを忘れないでくれよ?」
 こくこくと頷きながらそう詰め寄るシュリに、ナフェリアが助けを求めるように視線を泳がせている。シュカがすっと前に出た。目をきらめかせている姉を止めるのかと思いきや、ふと顔を上げた彼の目もきらきらと輝いている。ミコトがその様子を見て、思わず噴き出している。
「すごいです。すごく、すごいです」
「まともな言葉で喋ってくれると助かるんだけどねえ」
「すごく素晴らしいです」
「ああそうかい、ありがとう! 誰でもいいからこの魔法バカふたりを止めてくれないかい、あたしが歩けなくなるだろう!」
 黒髪を振り乱しながらそう言ったナフェリアに、サヤカもミコトに次いで笑った。つられてマコトも俯いて笑う。シュカはそう言われてふと我に返ったようで、何事もなかったかのように前を向いていた。その白々しさにミコトが腹を抱えて笑いだす。笑いつつシュリの襟を掴んで自分のほうへと引き寄せていた。
「……そういうシュリはどんな魔法が使えるんだい」
 二人に詰め寄られて流石に疲れたのか、解放されたナフェリアがぽりぽりと頭を掻きながら問いかけた。
「わたしは風魔法が一番得意かなあ」
「ねえねえ、風魔法って人を浮かせたりできるの?」
「人を? うーん、魔力が余ってればなんとか……うん、多分今ならできる、かな」
 今度、話に食いついたのはサヤカだった。シュリの返事に、小さな子供がおもちゃを見つけたときのような勢いで顔が明るくなる。やってみてほしい、と目が口ほどに語っていた。シュリはその純粋な瞳に絆されてか、悪戯っぽく微笑んでみせる。
 シュリが歩きながら、呪文を歌に乗せ始めた。透き通った声色が雪の間を縫って響く。ずいぶん久しぶりに聞いたらしいシュカが、懐かしそうに目を細めてシュリを見つめていた。サヤカはもちろん、ナフェリアもどこか聞き惚れているようで目を伏せる。マコトだけが、ミコトに囁き声で聞いていた。
「歌ったときって魔法の威力があがるの?」
「幻惑魔法の場合はそうらしいけど、ほかの魔法は知らねえなあ。ただ、あいつは歌ってるほうが力が籠めやすいとかそういうやつなんじゃねえの?」
「なるほど」
 マコトもそれ以降は、シュリの声に耳を澄ます。やがて紡がれた呪文は終盤を迎え、目を細めていたシュリが立ち止まって目を伏せた。つられて全員が街道の真ん中に止まる。歌の終わりと同時に眼をぱっちりと開いたシュリが、くいと勢いよく右手をあげた。
 足元から風が吹きつけた。ふわりと足が地面から離れる感覚に思わず声を上げる。そんなことをしている間にも体は宙へと浮いていって、景色が揺れながら変わっていく。実際サヤカの身長の分の高さにすらなっていないのだが、浮いているとなると感覚が全く異なった。魔法に巻き込まれたのはシュリを除く全員だ。
 マコトは静かに、ただぱちくりと瞬きをしている。ミコトとシュカは慣れているようで楽し気に周りを見渡していた。シュカはどこか懐かしむような表情だった。サヤカはそれなりに驚いて声をあげているが、意外なことにそれをかき消す勢いでナフェリアが悲鳴を上げている。
 随分慌てている様子の彼女が、一番最初にシュリの魔法から解放される。それを皮切りにそれぞれが順番に、ゆっくりと地面へと降ろされていった。面白かったと満面の笑みを零すサヤカに対して、ナフェリアがこれまでに見たことないほどに息を切らせていた。
「……ナフェリアさん、大丈夫ですか」
「いや、あたし、高いところが、駄目でね……」
 へたり込みそうな勢いのナフェリアに、シュリが申し訳なさそうに駆け寄る。シュカが声をかけていた。
「高いところが駄目だなんて、それじゃあ大変ですね」
「それなりにね……」
「ごめんねナフェリアちゃん、高いところ苦手だって知らなくて……」
「いや、気にしないでくれ。いい経験だった……」
「ナツは高いところが苦手っと……」
「そっちがその気ならあたしにも考えがあるからね、ミコト」
 すみません、とミコトが両手を挙げた。
 未だ放心状態のマコトをそのまま放置して、サヤカはシュリとナフェリアの二人に駆け寄った。ざくざくと、数日ぶりの雪の感覚が足から伝わってきていた。
「ありがとうシュリちゃん! すっごく楽しかったっていうか、面白かった! それからごめんね、ナツ……」
「いや、本当に気にしないで……」
「サヤカちゃんだけにすればよかったね、ごめんね!」
 両手を合わせて謝るふたりを見てか、ナフェリアは再度気にするなと伝えてシュカの隣へと逃げ出した。ふたりはいつのまにやら仲良くなっていたようだった。