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 一瞬の沈黙ののちに、頭を下げたマコトの髪をベルが無遠慮にぐしゃぐしゃと撫でた。驚いて目を見開いたマコトに、ベルがにっこりと明朗な笑顔で言う。
「──頑張ったね、マコト」
「…………母さん?」
「ごめんなさいね、シュリさんから全部聞いたの。あんたがシュリさんを守ったことも、そのあと黙ってシュリさんを逃がしたのも全部ね。兵士からの手紙にも不運だったって書いてあったし、事情は大体分かってたわ。なんだか怯えてたみたいだけど、私が怒るはずないじゃない」
 言いつつ、ぐしゃぐしゃと頭を撫でる手は止まらなかった。マコトの金色の目にじわりと涙が滲む。サヤカと繋がれた手には、無意識か力が籠められた。
「父さんだって叱りゃしないわ。あんたはあんたとして、あんたの騎士道に基づいてシュリさんを助けたんでしょ? それから、サヤカさんも。だったらそれでいいのよ。まだ若いんだから、さっさと次の道を見つけなさい」
 いつかサヤカが言ったように、母親はマコトを肯定した。無意識のうちに恐れていた親からの評価に、マコトは滲みかけた涙を拭う。家族全員に応援してもらって掴みかけた夢を失ったマコトを、夢に向かって動くことこそが自分の存在意義だとまで思ったことがある夢を失って、からっぽになったマコトを──世界はこんなにも受け入れてくれる。
「父さんのことも母さんのことも気にしなくていいのよ。好きなことをまた見つけて、また頑張ればいいの」
 全くあんたは昔から小難しく考えすぎるんだから、と笑ったベルに、サヤカはこくりと頷いた。何でもかんでも考えてから。それはマコトのいいところでもあり、悪い癖でもあるのだろう。自分でもわかっているらしく、マコトは肩を竦めた。

「サヤカ? ……あー、寝ちゃったか」
 マコトとベルが、空白の期間について話に花を咲かせている間に、サヤカは眠気の限界が来たらしかった。いつの間にか空になっているホットミルクのカップを抱えたまま、サヤカは椅子の上で眠っている。
 危ないからと、サヤカの手からそっとカップを取っても、起きる気配はなかった。ベルが微笑ましそうにサヤカを見つめてから、言う。
「こんな姿勢で寝てたら体痛くなるでしょう。そこのソファにでも寝かせてあげたら?」
「……僕が?」
「あなた以外に誰がいるの」
 座位で寝るのが常だと言っていたから大丈夫だと思ったが、確かにこんな体勢で寝ているのは見たことがない。揺り起こせば起きるだろうが、静かに眠っているその顔を見ると起こすのもしのびなかった。そもそもマコトの都合でサヤカを居間まで連れてきてしまったのだから、確かにマコトが運ぶのが道理だろう。わかっている、わかっているのだ。
 ただ、触れるのに躊躇った。それだけだった。華奢な体に触れたら、壊れてしまわないかとそんな詩的な不安を持っていた。それでもベルの視線とサヤカの体を思うと、触れざるを得ないのだろう。
 背と、膝の裏にそっと手を差し込んだ。椅子と机の隙間から彼女を抱き上げれば、その小さな体はマコトの腕の中にすっぽりと収まってしまう。起こしてしまわないよう最大限に気を付けながら、マコトはゆっくりとサヤカを運んだ。ソファにその体を横たえると、迷った末に寒いからと羽織っていたローブをサヤカにかける。すうすうと規則正しい寝息が聞こえるのに安心してから、ゆっくりと机に戻った。まだマコトのカップには、ホットミルクが残っていた。
「サヤカさんは、これからもマコトと旅をしてくれるのかしら」
「……あれ、そこまで聞いてたの」
「ええ、そうね。ミコトはシュリさんのことやらマコトのことやらと他人のことばかり話してたわよ。それでどうなの、話はした?」
「まだ出来てない。……一緒にいてくれって言うつもりはあるよ」
「じゃあ、早く言っちゃいなさい。女を待たせるもんじゃないわよ」
「はーい」
 言いつつ、マコトはホットミルクを飲み干す。サヤカの分のカップもまとめて水桶に居れると、母親に数年ぶりの「おやすみ」を言って部屋に戻ることにした。ナフェリアたちにサヤカは下で寝ていると伝えないとな、と階段を登りながら思う。また揶揄われるだろうかと、マコトはつい笑みがこぼれた。