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「そういえば、鐘が鳴ってたよね。春が来たんじゃないの?」
「あー、あれはねえ、違うんだ」
 シュカの問いかけに、ヴァールが少しだけ警戒したように周りを見回した。シュカが「平気だよ、この人たちは」と補足する。思わずぺこりとお辞儀したサヤカとマコトに、ヴァールはなにかを確認するように見ながら礼を返した。機密事項にあたることなのだろうか。
「私たちが聞かないほうがいいなら、外に出ますよ」
 サヤカがそう付け足すと、ヴァールはふるふると首を振った。
「僕の息子が信頼できるというなら、それを疑う理由などありません」
 グリディアも同じように頷いた。椅子の背もたれに寄りかかるようにしているミコトもその言葉に、少しうれしそうに口角を上げる。ヴァールは、シュカとシュリに言い聞かせるように続けた。
「四季の塔の扉が開かなくて、僕たちはここ最近ずっとその研究をしてたんだ。その間に、冬の精に何かあったらしく、鐘が鳴った」
「……扉が?」
「イースタン陛下が亡くなっただろう。────今の王族の長子にあたる、王女メイクラシア様の鍵だと四季の塔が開かないんだよ」
 マコトとサヤカがふっと顔を見合わせた。それから、フードを被ったままのナフェリアを少しだけ振り返る。思い出したのはいつかのアルトンでの会話と、昨晩のお喋り。まさか本当に隠された長子が存在するのかと首を捻る。
「メイクラシアさまの持っている宝石は確かに本物だったんだ。それで鍵が開かないっていうのは、前例としてひとつだけある。数代前にあった、王子様が双子だった時」
「でも、メイクラシア様に双子の兄弟はいらっしゃらないはず。だから私たちが原因究明に駆け回っているのよ。だからもしかしたら、シュカは今年から守り人になるかもしれないわね」
 グリディアがそう言って、シュカの頬を慈しむように撫ぜた。そんな中、まさか本当に双子がいるはずなんてないよねと目配せしあっていたサヤカとマコトの後ろで、深いため息をついた人がいた。
「……まあ、仕方ないか」
 ナフェリアの小さなその声に、サヤカとマコトが振り向く。同時にフードをぱさりと取ったナフェリアは、マコトたちに隠れるようにしていた様子から一転、ゆっくりとグリディアたちの前に歩み寄る。その人影に気が付いて、部屋にいる人々の視線がナフェリアに集まった。
「おや、……ナツどの?」
「お久しぶり……夏の終わりぶりになるのかねえ。エンクス、ヴァールどの、グリディアどの」
「どこか見覚えがあると思ったら、ナツだったのか!」
 エンクスと呼ばれ快活に返事をしたのは、マコトたちの父親だった。ただのいちども名乗っていない彼の名前をぴたりと当ててみせたナフェリアに、マコトとミコトが怪訝な顔をする。
「ナツ、知り合いなの?」
「そうだねえ、……仕事仲間って言ったほうがいいのかい? グリディアどのにはあたしも世話になったんだ」
「ナツどの、もしかしてあなたは名乗っていなかったんですか?」
「ええ、まあ。シュカがグリディアどのの息子とわかってからは、彼には言っていましたが……なかなか、ほかの人に言い出す時期を逃してしまって」
 シュカを除いた四人が、ぽかんと間抜けな顔を晒す。その蒼い双眸を細めて、ナフェリア──もといナツが振り返った。サヤカをはじめとするシュカ以外のひとを視界に留めると、まるで初めて会ったもの同士が交わすようなお辞儀の末に言った。
「改めて、あたしは夏の守り人の──ナツ。名前がなかったあたしに、精霊様がくれた名前だよ。ナフェリア・ツヅキのほうが偽名なんだ」
 ぴたりと止まった空気の中で、シュカだけが能天気にホットミルクを飲んでいた。