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 雪の降り積もっている時で良かったと、マコトは心底思った。そうでなければ、サヤカがどっちにいったかもきっと分からなかっただろう。どうやら走っていったらしい足音の方向に人の流れを横断していけば、再び人気のない方向へ続く足跡が現れた。広い王都の中で、何の手掛かりもなく人を探すなんていうのは不可能だ。どうかすぐに見つかってくれと願いながら、行き止まりである路地裏へとマコトは足を踏み入れる。
 路地裏を形成しているいくつかの家の、雪除けに張られた布のおかげでその一角には雪が積もっていなかった。それをいいことに壁沿いに座り込み体を震わせているその小さな体に、マコトは黙って近づいた。
 サヤカはマコトの気配を拒むことなく、ただ泣いているようだった。なんて声を掛けたらいいのか、マコトにはさっぱりわからない。ただ、昔泣いている自分に母親がやってくれたように、帽子越しにそっと頭を撫でた。サヤカはすぐそれに気が付いてか、片手で帽子を外す。膝を引き寄せるようにして縮こまっているせいで、表情は見えなかった。
「どうしよう、っ……おひめさま、だって」
「……うん」
「もう、お母さんたちと、お別れなのかなあ……? 私がにげだしちゃった、から……もう、新しい家族の、とこに、……行かなきゃいけないのかなあ……?」
 いやだなあ、とサヤカは自嘲気味に呟いた。しゃくりあげながらそれを言うものだから途切れ途切れになって、時々何を言っているのか聞き取れないこともあった。それでもマコトはサヤカに寄り添う。
「おひめさま、って、きらきらしてるだけじゃないんでしょ。……知ってる、もん」
「……お仕事もあるけど、きらきらしたこともたくさんあるよ」
「そもそも、なんで私、が。なんで、最初からお城にいないで、お母さんの、ところに」
 それに関しては、マコトには心当たりがあった。この国にはるか昔からある言い伝え、 双子の上の子は厄、下の子は幸とされる習慣──。ただの庶民であるマコトでさえ、ミコトと一年違いなのだと偽ってようやっと生き延びることができたのである。それが王女となれば、どうだ。厄災として忌み嫌われ、殺されてしまうのが常套なのではないか? マコトはむしろ、これからのことが心配だった。
 ──サヤカは殺されてしまいやしないだろうか?
 ナツは聡明で、情に厚い人である。マコトはそう信じているから、そんなことにならないと信じてはいるけれど、不安が一抹よぎるのも確かだ。
 このまま逃げてしまおうか、なんて無責任なことは言えなかった。もう捜索隊は組まれているらしい。同情で逃がされたいち使用人のシュリとは話が違うのだ。
「……素敵な王子さまとか、現れるかもしれないし」
 サヤカと自分の気を紛らわそうととっさに出した話題で、マコトは自分も大きく傷ついた。どこかの国の見知らぬ王子が、サヤカと共に在る。
 そんなことは、考えただけで嫌気がさした。そもそも王宮に戻って『姫』として暮らすのかどうかも分かっていないくせに、悪い予想ばかりが頭の上を飛び交ってやまない。小難しく考える癖のあるマコトだから、というわけではなさそうだった。
 サヤカが、か細い声で言う。
「……マコトが、王子さまだったらいいのに」
「僕が?」
「私がお姫さまだって言うなら、迎えに来てよ。一緒にいてよ、王子さま」
 悪戯っぽい声色だった。涙に濡れた眼が、小さく丸まったサヤカの隙間から覗く。王子さま、だなんて恥ずかしくなってしまいそうな台詞を聞いても、マコトの心はそんなことには動かなかった。
「……逃げちゃ、いけないんだろうなあ」
 流石に冗談だったようで、サヤカはすぐに目を伏せた。
 マコトが返答に迷っている間に、サヤカはもう別のことを考えていた。家族が既に城にいるというならば、今サヤカが逃げたところでどうにもならない。早く、戻らなければ。早く、早く、みんなのもとへ。
 サヤカは、ほどけかけた包帯が巻き付けてある自分の左腕を引き寄せる。こんな言い方はきっとずるい。腕が治ったのを隠し続けているより、百万倍ずるい。そう思っていながらも、サヤカは口からこぼれ出る言葉を押しとどめられなかった。
「ねえ、……マコト」
「うん、なに?」
「…………御伽噺のお姫さまには、いつだって騎士がいるよね」
 その言葉に、マコトが多少困惑しながらも頷いた。サヤカは一度深く息を吸って、吐いてから続けた。
「もし、本当に私が、お城に行くことになったら……」
「うん」
「……一緒に来てほしい。お願い」
 彼が断れないのは知っていたくせに、とサヤカを責める声が聞こえた気がした。