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 鞄を持ち、部屋の前を警備してくれていたらしい兵士にぺこりとお辞儀してから、メイクラシアに手を引かれるまま城の中を歩いた。夜光石と燭台の入り乱れる幻想的な風景の中、サヤカはすでにどこを歩いているのかすらわからない。元の部屋にはもう戻れないだろうな、と数分進んだころに思った。
 軽快な足音がタイルに響く。四季の塔へどうやら向かっているらしいけれど、メイクラシアは部屋を出ると同時に手燭を消した。これでは曲者と間違われても仕方がないのだがメイクラシアはどう考えているのだろうか。サヤカははらはらとしながらもメイクラシアに着いて行った。
「あの、四季の塔って……」
「鍵が揃ったので、開けに行くのです」
「私が居ないと駄目なんですか?」
「いえ、魔導士たちによれば……鍵を開けるだけなら、わたしだけで大丈夫です」
 ひそひそ声で交わされる話に、サヤカは尚眉を潜めた。メイクラシアは、その様子を感じ取ってか続けた。
「お姉さまは、ずっと王宮はいられません」
「……はい」
「忌み子を、国の姫として……しかも今更、その座にあなたを置くわけにはいきません。これは議会でも、王宮でも決まったことです。せっかく出会えたのに、とても寂しいことですが」
 お母様は明日話すと仰っていましたが、とメイクラシアは続けた。なるほど、明日はサヤカの今後についてを話してくれるつもりだったらしい。血が繋がった家族と会えなくなるのは勿論寂しいけれど、サヤカは正直安堵していた。メイクラシアやエレアノーラと出会って分かるのは、自分には経験も度量も足りな過ぎる。何より、自由にどこかに行けなくなることが最も辛い、そんな気がしていた。自分勝手にそんなことを思ってしまった。
 黙り込んだサヤカの返答を一瞬待った、そんなような沈黙ののちに、メイクラシアが続ける。
「お姉さまの持っていらした鍵は、魔導士のもとへともう届けられて、今はわたしの手元にあります。国に混乱を呼ぶようなこの長い冬は、いち早く終わらせなければなりません」
「そう、ですね」
「これはわたしの我儘になりますが……せめてもの思い出に。お姉さまとその仲間を、四季の塔へとご案内します」
 ちゃり、と彼女の首から提げられていたのは、ふたつの宝石だった。鎖の色が違わなければ、もうどちらがサヤカのものだったかすらわからないほど、ささやかな違いもないその宝石。
「春が来る、そんな景色を共有したいのです」
「仲間たちって……」
「ナツに聞きました。お姉さまが一緒に旅をしていた人たちのこと。その人たちをみんな呼びつけました。こんな深夜に、申し訳ない限りです」
 場所は、大きな渡り廊下に差し掛かっていた。向こう側には四季の塔らしき建物が見えてきている。渡り廊下の向こう側に見える、開けた場所は階段だろうか。
「大勢で四季の塔まで行くと、お母様に怒られてしまうのでこんな夜半になってしまい……あっ、ちゃんと魔導士の方々の許可は貰ってきましたので、ご安心ください!」
「怒られちゃうんだ」
「!」
 必死な様子のメイクラシアに、思わずくすりと笑いを零したサヤカ。それを見て、メイクラシアは気を悪くした様子もなく顔を明るくした。
「そうなんです、怒られてしまうんです。でも、明日怒られるのはわたしだけだから、お姉さまは安心してください」
「……一緒に怒られますか?」
「いえ、お姉さまは悪くないので!」
 少しだけでも、気を許した様子のサヤカがとても嬉しかったらしい。ぶんぶんと手燭を持っていた手を振ってサヤカを庇う様子に、ミハルとは違う妹の可愛さを覚える。
 大階段が目の前に迫ってきていた。階段を下りた先、雪景色の向こう側に、見慣れた夜光石の光が見える。サヤカはそれにひどく安心した。屋根を失ったサヤカたちに雪が降り注ぐ。
 メイクラシアは、その双眸を細めて言った。
「ほんとうは、ひとり……守り人さんは、いらっしゃるのですけど。この寒くて冷たい仲を、ふたりきりで塔に登るだなんて心細かったんです。小さなころから、もしも姉妹がいたなら何も怖くないのになってずっと思っていました」
「……私は、妹が……義理の妹がいたから、そんなことは思わなかったけど」
 サヤカは思わずぎゅうと、メイの手を握った。サヤカも細く女性らしい手をしていたけれど、メイクラシアの折れてしまいそうな指とはやはり違っていた。なめらかな肌の感触と、確かなぬくもりがサヤカに伝わる。
「こうして会えて、よかったと思います」
「ええ、お姉さま。王宮に残ってだなんて駄々はこねませんから」
 行きましょう、とメイクラシアが会話を締めた。大階段を一歩一歩降りていくたびに寒風が肌を刺し、雪が頬をかすめていった。