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 塔に入った瞬間、ありえないくらいの寒風が襲ってきた。メイが最後に、宝石をもって入ると同時に扉がガタンと閉まる。振り向けば、夜光石の光る台座が塔の中にはあった。そこに宝石を置けば、もう一度出られるとそういうことなのだろう。
「なにここ、めちゃめちゃ寒いんだけど」
 あと暗いな、とミコトが言って、辺りを見渡した。ところどころに夜光石、それも青白く光るものではなく、サヤカのもつ宝石のように色とりどりの夜光石が嵌まっているけれど、まさかその光だけで進むには多少心もとない。窓はないようだった。
「ナツ、どっちに進めばいいの?」
「いや、あそこに天動機って言って……上に行くための機械があるはずなんだが」
「……ないよ?」
 サヤカの声に、ナツがこくりと頷いた。確かにぽかんと不自然に開いた空間はあるが、そこになにか機会が存在しているわけでもないようだ。何よりも、思考が止まってしまうほど寒かった。
「そもそも、天動機って何なんですか」
「四季の塔は、上まで行かないと窓やらなんやらの外につながるものがないんだ。侵入者を打ち止めるためだとか、精霊の気まぐれだとか言われてるけど、まさかそこまで徒歩で移動するのはいささか面倒くさいってことでね。魔力を注ぐと上や下に行ったり来たりする機械がここにあるはずなんだが」
「そんなものがあるのか」
 ミコトの素朴な感想に、ナツが頷きながら顔を抑えた。
「ただ、今は上に冬の守り人がいるからねえ。予定の日は過ぎてるし、降りてきているはずがないのは当たり前っちゃあ当たり前なんだが」
「わたし、歩いていく道があると聞いたことがあります。ナツ、ご存知ですか?」
「あるさ、勿論。それが、『まさかそこまで』と言わしめる距離なんだよ」
 白い息を吐きながら、ナツが言った。マコトがふと見上げ、途中まで吹き抜けになっている塔に苦い顔をする。あまりの寒さに袖を引っ張り上げながら、指先だけで上をさして問いかけた。
「僕、外から何回か四季の塔見たけどさ。まさかとは思うんだけど、あの天井って……」
「ああ、塔の真ん中さ。あの天井のすぐ下で、外が少しだけ見えているだろう? あそこからが精霊と守り人の居住区さ。天動機がない今、歩いて登るしかないね」
「……ナフェリアちゃん、うそでしょう?」
 この中で、塔の中を綿密に知るのはナツ只一人であった。彼女からの無慈悲な宣告に、シュカでさえもがぽかんと口を開けたまま天井を見上げる。はるか高いところにあるように見えるそこが、四季の塔の中腹だというのだ。体力自慢のミコトでさえもが、うげと舌を出した。
「塔の中は精霊の魔力が色濃く反映されるけど……まさかここまで寒いとはね、想定外だ。もう力を失う時期だって言うのに」
「あっ、あそこ、燭台じゃない?」
 もう上を見るのをあきらめたのか、階段を探していたのか、辺りを見回していたサヤカが言った。薄暗い塔の中、火があるのはありがたい。
「ほんとに目がいいんだね、サヤカちゃん」
「んじゃ、ちょっくら火つけますか」
 いつか、馬車の中のお喋りか何かでナツが話したサヤカの目の良さを目の当たりにして、シュリは感嘆の息を吐いた。ミコトが、自分の目でそれを視認できるところまで移動するらしく、シュリもそれにてくてくと着いていく。
「あの方は、炎の魔法使いなんですか?」
「ああ、そうだよ。……メイ、大丈夫かい? 思ったより薄着のようだけど」
「ここまで寒いのは想定していませんでしたし、天動機が動いていないのも……」
 そう言って目を伏せたメイクラシアに、ナツが苦笑いで答えた。マコトとサヤカは相変わらず辺りを見回して階段らしきものを探している。
「階段はどっちだったかねえ」
「僕は夜目が効かないから、あんまり使い物にならないな。ナツは知らないの?」
「いや、普段は全く使わないもんだから。そもそも一旦居住区に入っちまえばあんまり下には降りてこないし、把握してなかったよ」
「じゃあ仕方ないか……」
 そんな会話を横で聞きながら、サヤカがきゅっと目を細めてあちこち見回している時だった。ところどころに燭台は見えるけれど、階段らしきものは見当たらない。あとで子の燭台にすべて火をつけてもらえば辺りも明るくなるだろうかなどと、ミコト任せなことを考えている間に、少し向こうから声がかかる。
 ぼうっと火が燃えて、燭台に置いてあった溶けかけの蝋燭に火がつくと同時、シュリが声を上げたのだった。
「みんなー、こっちに階段あるよ!」
「姉さん、それほんとに上につながってる?」
「繋がってるみたい! 少し向こうにまた燭台あるし!」
 すでにミコトは登り始めているようだった。シュリが説明している間に二つ目の燭台に火がつく。夜光石の不動の光と揺れる炎が相俟って、幻想的な風景を醸し出していた。
「お手柄だね」
 言いながら、ナツが一番に歩き出した。後ろにいるメイクラシアとシュカを気にかけながら、燭台の明かりの元へと歩き始める。
「ナツ、仕掛けとか罠とか、ありませんよね」
「それはメイがよく知ってるだろう。こんな王族しか入れないようなところの旧通路に罠なんてあってどうするんだい」
「……それもそうですね」
 心配そうな声色が、ほっとしたように息をついた。罠、という言葉に隣でぎょっとしていたシュカもため息をつく。今現在先頭をきって歩いているのが姉と、その恋人だとあれば罠だなんて物騒な言葉をきいたら当たり前の反応だろう。
 ナツたちの後ろをついていこうとしたマコトが、サヤカが全く別方向に走っていくのをみて足を止める。
「サヤカ、こっちだよ」
「うん、すぐ行く」
 サヤカは自分が見つけた、入り口付近の暗がりにある燭台に駆け寄ると、三本あった蝋燭のうち二本をぽきりと折る。それを素早く自分の鞄に仕舞うと、走ってマコトのところまで戻った。風こそないものの、冷え切った空気が肺を埋める。
 しっかりと待っていてくれたマコトは、サッヤカが追い付くなり心配そうな目で見ながらも次いで駆け足になった。燭台の元まで走り寄るついでと言った風に、問いかける。
「あのさ、…………大丈夫?」
「うん、もう平気」
「それ、僕もメルバルで言った記憶があるから、勝手に不安になってるだけなんだけど……辛くなったらすぐに言ってね」
「少し眠いかも。まだ朝早いよね?」
「いや、まだ夜中だよ。夕飯食べた?」
 首を振ったサヤカは、言われて初めて自分が夕飯を飛ばしてしまっていることに気が付いた。そういえば食べていないな、と真顔になったサヤカに、マコトが思わず笑う。前にいたシュカがその唐突な笑いに振り返っていた。
「食べてないのすら忘れてたでしょ、サヤカ」
「ご明察です……」
「じゃあ、朝ごはんしっかり食べよう」
 頷いたサヤカは、急にお腹が空いてきた気すらしてきた。階段はどうやららせんになっているようで、半周した当たりの大分向こう側の燭台にすでに火がともっている。
「ミコト、体力あるなあ」
「シュリちゃん、ちゃんと着いてけてるのかなあ」
「ミコトさんが、姉さんを置いてくとは思えないんですけど。どうなんでしょう」
 シュカがそう述べた瞬間に、二個目の燭台を過ぎたあたりのシュリが視界に入る。思わず姉さん、と声をかけたシュカに苦笑いで手を振ると、シュリはナツを待って一行に加わった。
「『先にできるだけの燭台点けてくるから、お前はみんなと一緒にゆっくり来いよ』……だって」
 気障だよね、とシュリがまんざらでもなさそうに続けた。