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 夜明けが来るんじゃないか、むしろもう昼じゃないかと思うほど果てしない時間のように感じた階段をのぼる時間も、終わりが見えてきていた。ゆっくりと登るほうがつらいのか、サヤカやシュリはもちろんマコトとナツも後半になると黙り込んで、喋る余裕もないようだった。メイクラシアの持つ魔導石を傷つける係を、息の切れたサヤカにやらせるのは危ないからとマコトが請け負ってから何度魔導石が冷めただろうか。
「よう、だれも欠けてねーみたいで良かった」
「余裕そうだね、ミコト……」
「兄貴と違って鍛えてるから。……てのは冗談として、上で休んでる時間が長かったからだよ。お前らのとこまで戻ってたら多分、体力もたなかった」
 階段を登り切り、大きく太い柱が何本も立っている場所へと到着した。どうやら外と繋がっているらしく、そこは雪交じりの風も吹きこんでいる。随分高いところまで来たんだな、とサヤカは海のほうを見た。雲に隠れているとはいえ、流石にまだ朝になってはいないようだ。暗く長い階段を登っていると、完全に時間間隔は損なわれるらしい。もう何時間も経って、昼になっているような感覚だった。
「まだ外は暗いので、朝にもなってないみたいですね」
「もう昼くらいだと思ってたけど……」
 サヤカが思っていたことをシュカとシュリが息を整えながら代弁する。この季節に、しかもこの気候で汗をぬぐうことになろうとはまさか思わなかった。しかもこの汗が冷えれば体もぐんと冷える。そのまえに早く居住区へ行ってしまったほうがいいのだろう。
 雪まみれの風は渦を巻いているように見えた。ナフェリアが再び先に立って歩き始めるも、二十歩も離れれば靄に隠れて見失ってしまいそうだ。誰もはぐれないように、とお互いに目を凝らしながら、その階層を進んだ。
「残念なお知らせだけどねえ、もう少しだけ階段があるんだ」
 ナツの通告に、思い切り不満を隠さず声を上げたのはミコトだった。ほかの人々はもはや絶望感に俯くしかやることがない。確かに少し向こう側に、柱に紛れて階段があるのは見えるがしかし、しかし。
 永遠に続くように思えた階段より随分と近い距離にその階段はあった。ちょいと待ってておくれ、と言い置いて、ナツが階段をひとりで駆け上がっていった。十数段の階段だったことに安堵する面々の耳に、次の瞬間激しいノック──これをノックと呼ぶならばの話だが──の音が触れた。
 ガンガンガン、と金属で出来ているらしいノッカーを遠慮も会釈も容赦もなく叩きつけるナツは、長すぎる階段でたまった鬱憤を晴らしているようにも見えて、サヤカは瞬きを繰り返した。ここにいる人たちはナツもそうだしたしかミコトもそうだ、どうしてこうもノックに静かさがないのだろう。まだミコトは、自分の家に夜中にノックしただけだが、ナツはシュカの家といい今回といい思い切りが良すぎる気がしていた。
 ナツの怒涛のノックにも、なかなか守り人は出てこなかった。ノックの数を静かにカウントしていたシュカが諦めたころに、ナツも限界が来たようだった。二回連続で力強く叩きつけた後に、思い切り声を張り上げる。
「ユーキ{emj_ip_0792} ナツだよ、メイクラシア様も一緒! 開けてくれないかい!」
 金属製の扉の向こう側に、果たして吹雪に紛れた声は聞こえるのか。ナツが声を張った後数秒扉の前で待って、ゆっくりとサヤカたちのところに降りてきた。
「……ナフェリアさん、ここまで来て引き返すとか言いませんよね」
「言わないさ。無理やりこじ開ける」
「……ここにいる人たちって、時々物騒だよね」
 シュリの小さな呟きは、隣にいたシュカとサヤカだけに届いて、のこりは雪に攫われていった。シュリがシュカの元へ行く晩の、夜の森でのマコトの発言を聞いていないサヤカはいまいちピンとこなかったが、それでもなんとなく頷いておいた。
 どうやってこじ開けようかねえ、と呟いているナツに、サヤカも真剣に考え始めた。扉を壊せばいいだけなら、適当な魔法を全員で打ち込めば何とかなる気もするけれど、そんな適当なことでいいのだろうか。そもそもそんなことをすれば、扉の全壊は免れない。ナツもさすがにそこまではしたくないらしく、少し悩んでいる様子だった。ついでにと魔導石を受け取って傷をつける。
「……魔導石って、爆発しなかったっけ?」
「さすがにまずいと思うけど……どうだろう」
「言うだけ言ってみようか」
 サヤカはそんなマコトの様子に、シュリの先ほどの発言がよく分かった気がした。
 ナツに駆け寄ったサヤカたちに倣ってか、もともと近かったとはいえ全員が小さくまとまった。そんな大袈裟なことではないんだけど、とマコトは思いながらナツに告げる。
「炎の魔導石って、いきなり割ったら爆発しなかったっけ」
「その勢いで扉を開けるってのかい?」
 マコトの発言を真剣に考えはじめたらしいナフェリアが、眉を潜めつつ魔導石をメイクラシアに返した。シュリが小さく告げる。
「でもこれ、暖かさのもとだし……使っちゃうの、まずいんじゃないかな」
「そこなんだよ」
「待ってください、爆破するってことにはだれも反対しないんですか」
「守り人は今、来客があることを知らないし知る由もないんだ。ノックで応じてくれないなら無理やり突破しないといけないのは道理だろう」
「鍵とか……」
「完全に内鍵だ。外からじゃ開かないし、そもそも滅多にあの扉は使わない。天動機で行き来するからねえ」
 シュカの冷静な意見に、ナツもそれなりに冷静に返した。困惑しながらも、言い返す言葉が思い浮かばないのか黙り込んだシュカをいいことに話続けようとしたナツ。その言葉を遮ったのは、大きく扉が開く音だった。