一年半後

 サヤカとマコトが城へ足を踏み入れるのは、実に一年半ぶりとなった。朝餉を城下町で済ませたあと、ふたりは城へと向かった。宮廷魔導士たちが主に使う門を、女帝カーラより賜った称号で通り抜ける。どこからか鳴り響く管楽器の音に、サヤカは顔をあげた。
 今日ここへ来たのは、女王に会うためではなくシュリたちと久々に会うためである。連絡はしてみたがさすがは旅人同士、ナフェリアとは初日の日程が合わず、数日後王都にて合流することになりそうだった。
「やっぱり、女王様にも挨拶するべきかな?」
「シュリたちと会ってからでもいいと思うな。僕らだけじゃぱっと取り次いではもらえないだろうし……」
「そうだよね」
 サヤカはそう言って苦笑った。いくら称号があれど、そもそも誰に言って取り次いでもらえばいいのかわからない。シュリに聞いてからのほうが早いだろう。
 宮廷魔術師たちが住む官舎は、いくつかの実験場、それから植物園を超えた先にある。普通の石と、夜光石交じりに敷き詰められた石畳は、昼間は何の変哲もないただの道だった。かつりかつりと厚底の靴の音を立てて、サヤカは先を急いだ。マコトはきょろきょろと辺りを見渡しながら、サヤカの歩幅に合わせて歩いた。シュリは今日非番で、訪ねるということは前触れしてあるので官舎にいるはずだ。王都近くまで来て連絡を入れたときに非番の日をつらつらと手紙に並べ立ててきたのは、記憶に新しい。その中でも、ミコトとシュリの非番が合う日──休日の申請ができる日はすべて同じ日に入れているようだが──が近いシュリの非番を選んで今日の日程を決めた。
 官舎の近くにある小さな森からは、兵士らの訓練か魔導氏らの実験でもやっているのかざわめきが聞こえてくる。
「何やってるんだろう。あの中にミコト、いるかな」
「今日は兵士の仕事してるはずだから……あそこでやってるのが訓練だったらいるかもしれないね」
 兵士の訓練のそれにしては統率のないざわめきである。まるで、ただお喋りをしているだけかのようだった。森の向こう側に人だかりは見えるが、サヤカたちはそれ以上深追いすることなく官舎へ向かって歩く。それを引き留めたのは、その人だかりから駆け寄ってくる一人の人影だった。
 おーい、と大声がした。思わず振り向いた二人の目に、乱れた黒髪が飛び込んできた。マコトがぱっと顔を明るくして、声をかける。
「ミコト! 久しぶり!」
「久しぶり……じゃなくて、兄貴にサヤカ、なんでいんだよ!?」
「えっ、遊びに来たんだけど……あれ、シュリに聞いてない?」
「聞いてねえけど!?」
 訳が分からないといった風に身振り手振りで伝えるミコトに、サヤカが、納得したように頷いた。きっとシュリは面白がって、ミコトに何も伝えなかったのだ。穏やかなマコトと意味が分からないと繰り返すミコトのもとに、兵士の訓練服なのかミコトと同じ服を着た人が近づいてきた。
「あー待て、もしかしてお前らシュリには連絡したのか?」
「うん。これからシュリのとこ行くけど…………」
「今日訓練の後呼び出されたのはそれか……!」
 頭を抱えたミコトの襟を、後ろから近づいてきていた人影がむんずとつかんだ。げっ、と声を出したミコトに、お構いなしのその人は言う。
「休憩終わるぞ、馬鹿。フィーザさんの客人に絡んでる暇があったら素振りでもしとけ」
「客人っつーか俺の血縁っつーか!」
「すみません、おれの同僚が。フィーザさん……フィーザ魔導士どのはたぶん、城内にいると思いますので、そちらを訪ねていただけると。こいつにはしっかり言い聞かせときますので、無礼にはどうか目を瞑っていただけると」
「話聞けよユーク、あとシュリは今日非番だ!」
「なんでお前みたいなやつがフィーザさんを呼び捨てにしてるのか、おれにはさっぱり理解できない」
「何度も説明してやっただろうが! お前筆記の成績いいだろ、その明晰な頭脳で理解しろよ! それともなに、お前のあたま悪知恵しか詰まってねえの!?」
 ユークと呼ばれた彼は、ミコトの弁明も意に介さずサヤカたちにぺこりと頭を下げる。あとでな、と叫びながら引きずられていくミコトに、ふたりは笑いを堪えながら手を振った。


 シュリに指定された官舎の部屋を尋ねると、なにやら分厚い魔導書を呼んでいたらしいシュリが待っていた。髪はずいぶんと伸び、降ろしていると胸の下あたりまで来るようになっていた。部屋にいたからかもしれないが、あのころにいつもつけていたバンダナも今はしていない。ふたりを部屋に招き入れたシュリはいま、マコトらからミコトのことを聞いて笑い転げていた。
「ユークさん、面白い人なんだよね!」
 シュリの主に扱う魔法と同じように風の魔法使いであるユークは、ミコト経由でシュリと知り合って、教えを乞うようになったのだという。特別魔法がうまいわけでもない彼は、風を優雅に操るシュリのことを尊敬しているようだ。シュリはざっくりとそう説明した。
 マコトは少し心配そうに問う。
「ユークさんこう……シュリに心酔してるみたいな言い方だったし、ミコトもだいぶ振り回されてるみたいだったけど、大丈夫なの?」
 言外に、ふたりの仲を心配する質問である。いくら魔法を教えてるとはいえ、あまりに距離が近ければ心配にもなるだろう。シュリはいたずらに笑って、大丈夫だといった。
「ユークさん、城下にかわいい恋人さんがいるの。ミコトは知らないけど」
「うわ、シュリってばいじわるなんだから……ミコト、すっごく振り回されてるみたいだったよ?」
「ユークさんも面白がってるだけみたいでね。別に魔法教えてる時も距離が特別近いとかそういうこともないし、ミコト以外の兵士がわたしのことを呼び捨てにしても興味なさげだし」
「あいつ、なにかに熱中すると周りが見えなくなる種類のひとだからなあ……しっかりシュリに主導権握られちゃって」
「えへ」
 シュリは心底楽しそうに笑ってみせた。ふたりの仲は上々であるようだ。シュリは言いつつ部屋に置いてあったらしい菓子を机に置いた。既に荷物を置いてくつろいでいたサヤカたちは、シュリがそのなかのひとつを口にするのを見て手を伸ばした。部屋の窓は開け払われていて、なまぬるい風が出入りしていた。